三章 死体は温泉に入りましょう 1—2



 自分で誘惑しといて、猛は苦笑する。


「いいけど、蘭。当日の宿が、とれるもんか。きっと予約で、いっぱいだ」


 ところがだ。なんと奇跡が起こった。蘭さんが執念でネット検索した旅館。ダメもとで電話してみると、空室があった。


「たったいま、キャンセルなさったお客さまがございます。八人用の大部屋が、今なら一室のみ、おとりできますよ」


 な、なんて超ラッキー!


「じゃあ、お願いします!」


 電話を切って、ふりかえる僕を(雑用係な僕)、みんなが拍手で迎えてくれる。


「やったな。今夜は温泉で豪華懐石だ。もちろん、蘭のおごりだろ?」


 どこまで頼る。うちの兄。


「任せてください。あっ、でも、今、現金が三十万くらいしかないな。足りるかな」


 充分すぎると思う。


「それより、ミャーコは? 温泉ってペット不可だよね」

「一晩くらい、るすばんしてるだろ」

「ミャーコはねえ。一人で、おるすばんなんてしたことない箱入り猫なんだよ」

「川西だ。川西に預けよう」


 ごめんね。ミャーコ。毎度、毎度、この扱い。

 ミャーコは猫好きの友人、川西さんのもとへ。


 けど、蘭さんは、そんな罪悪感をふっとばすほど浮かれていた。


「僕ね、僕。よそでお泊まり、初めてなんですよ。あー、ホテルとか、宿って意味ですけど。修学旅行も病気ってことにして休んだし。身の危険を感じたので(だろうね……男子校)。うれしいな。なに着てこっかな。そっか。温泉こそ着物がピッタリなんだ」


 ウキウキ弾む蘭さんの、なんて可愛らしいこと。

 蘭さんって、少年時代は学校以外、外出禁止だったらしい。大人になってもストーカーをさけて、ひきこもり。お金持ちなのに、意外と、なんにもしたことがない。

 ふびんだ。このさい、ミャーコには泣いてもらって、たっぷり楽しんでこよう。


「七時までにチェックインすればいいんだってさ。それまで、どうしてよう?」


 いや。僕は、やること、たくさんあるよ。洗濯物とりこんで、庭木に水かけて……。


 猛は考えながら答える。


「時間に余裕あるんだから、蛭間さんちに、よってみないか?」


 すっかり忘れてた。そうだった。依頼、受けてたっけ。


「蛭間さんのお姉さんの件?」

「両親が死んでるなら、本人に聞くしかないだろ」

「愛波さんは?」

「知ってるなら、昨日、話してるはずだ。あの兄妹、年が離れてるから、知らないのかもな」


 ああ、そうか。ということは、家族は殺されないっていうのは、愛波さんの思いこみってことになる。


 というわけで、二時間後。

 そのあいだに僕らは家事をすませ、三村くんは実家から着替えをもってきた。

 暑苦しいビルとアスファルトと、ときどき町家アンド神社仏閣の京都の街とも今夜はオサラバ。涼しい山のなかに逃避行だ。


 僕らはタクシーにて、蛭間さんちへ。


「あれ、愛波さんの車だ。それに、あの赤い車」


 なんという、ぐうぜんだろうか(ってほどじゃないけど)。

 蛭間さんちには昨日と同じ配色で、青、黄、赤の自動車がとまってる。


「こんにちは。遊びに来ました」


 蘭さんの声で『ひらけゴマ』。


 すると、邸内には、車の持ちぬし、愛波さんと細野社長のほか、今井さんと藤江さんもいた。


「あれ、ムニュ口くんたち。どうしたの? その荷物」

「けっきょく、僕らも温泉、行くことにしました」

「宿とれたの?」

「はい。『烏庵』ってとこ」

「あれ、いっしょだあ」

「へえ。じゃあ、卓球しましょうよ。うちから一人、貸すんで。三対三で」

「こっちにはマナちゃんと社長さんがいるもんね。まあ、細野さんは卓球なんてしないだろうけど」


 な、なんと! 愛波さんが僕らと同じ宿に?

 こ……混浴はムリだとしても、湯上り美人の愛波さんと卓球をエンジョイできるかも。


 僕が自分の身に舞いおりた幸運に、ぼうっとしてるうちに、みんなは居間に入っていった。

 猛が蘭さんに耳打ちしてたのが、ちょっと気になったけど。


 猛は女社長に近づいていき、すとんと、となりのイスにすわった。


「細野さん。まだ、こっちにいらしてたんですね」


 タバコをだしかけてた細野さんに、自分のライターの火をさしだす。

 猛は男前だから、そういうことすると、まるでホスト。


 変だな。熟女好きではなかったはずだが……。


「警察に足止めされちゃって。どっちにしろ、愛波さんたちと温泉の約束があったから、いいんだけどね」


 猛のさしだす火をもらいながら、細野さんも、まんざらでないようす。うれしそうだなあ。

 猛、熟女よろこばして、どうする気だ。まさか、愛人をねらってるわけじゃないよね? 探偵活動の一環だと信じてるぞ。兄よ。


 猛を見つめてるうちに、いつのまにか、蘭さんがいなくなってた。ど……どこ行ったんだろう。


「三村くん」


 聞こうとしたら、三村くんまで、いなくなってた。なんなんだ。みんなして。かくれんぼでもしてるのか?


 立ちつくす僕に、愛波さんが手招きしていた。

 え? 僕ですか?

 僕はニヤけそうな顔をひきしめる。


「なんですか?」

「紅茶入れるので、手伝ってください」

「はい(よろこんで)」


 お手伝い要員でもいいもんね。と思ってたら、お手伝いですらなかった。

 キッチンに入ったとたん、愛波さんは真顔で言った。


「東堂……弟さん(薫だよ。おぼえて。くすん)。昨日、たのんだこと。何かわかりましたか?」


 なんだ。依頼のことか。

 僕は愛波さんにとって、あくまで探偵助手でしかないのか。


「まだ昨日の今日なので、そんなには……でも、ひとつだけありますよ」


 愛波さんは依頼人だし、話したっていいよね。


「じつは、愛波さんのお姉さんのことなんですけど」

「姉ですか?」


 愛波さんは、なんとも、けげんな顔をした。町なかで、急に知らない人から、『あなた、ほんとは宇宙人ですよ』とでも言われたような。


「え? お姉さんですよ。子どものころに亡くなったっていう」


 僕のほうが、とまどって、くちごもる。と、愛波さんは、あわてた。


「ああ、その姉ですか。ごめんなさい。わたしが生まれる前に亡くなってたものだから」

「そうですよね。ずいぶん前に亡くなったみたいだし」

「兄が小学二年のときだそうです」


「そのお姉さんなんですけど。どうもね。蛭間さんのモデルになってたふしがあるんですよ。お姉さんのお棺に、蛭間さんの手づくり人形を入れたって。そんな話、聞いたことないですか?」


 愛波さんは青ざめた。

「わたしは、ないです」


 やっぱり知らなかったんだな。

 となると、まさか、本格的に呪いの……やだなあ。


「でも、それで、なんとなくわかりました。兄が自分のウワサについて否定しないわけが。人形が魂を吸うんだなんてこと、自分でも信じてるみたいで。子どものころにも、そんなことがあったからなんですね」


「三人となると、ぐうぜんというには、少し……だから、自分をモデルにした人形で実験しようなんて考えたんでしょうね」


 報告できるのは今のところ、それだけだった。なので会話も、とぎれる。建前、ほんとに紅茶をいれて居間に帰る。


 ホストのまねに飽きたのか、猛がよってきた。


「二人で何、話してた?」

「例の件、報告してただけ」

「どんなふうに?」


 いやに根掘り葉掘り、猛は僕らの会話を聞きたがった。


「猛こそ、なに話してたんだよ」

「蛭間さんの人形って、一体、いくらぐらいで売れるのか、聞いただけだよ」


「それだけ? ほんとに?」

「それだけって、なんだよ」


「猛がホストに転職する気なんじゃないかと思ったからさ」

「なんだよ、それ」


 あははと猛は、おかしくてしかたなさそうに笑う。

 よかった。僕の信じたとおりの兄だった。


 そのころには、三村くんの姿もあった。


「三村くん。どこ行ってたの?」

「ションベンや」


 そうかなあ。それにしちゃ、浮かない顔してるけど。

 出そうで出ない三日めって顔だ。


 あとは蘭さんだけだね。

 蛭間さんもいないし、まさか二人きりになってるのか? せまられたりしてないよね?


 しばらくして、蘭さんは帰ってきた。けど……なんだろう。顔色が悪いぞ。


 三村くんが三日めなら、蘭さんは、本気で出ないぞ五日めって感じ。べんきにすわって、ほおづえをつく蘭さん……ああッ、美しい蘭さんで、こんなこと考えちゃいけない。


「蘭さん、どうしたの? 青い顔して」


 蘭さんは、しきりにアイコンタクトとってくるんだけど、ゴメン。僕には気づいてあげられなかったよ。

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