ep10 わたしは草原を全力で駆けた。激しく後悔した
気がつくと、また星と月の石に蘇っていた。
わたしはまた死んだらしい。
目の前でメルフェレアーナの命が奪われた。それもまた何の因縁か、あの忌々しい二人組に。まるっきり動きが掴めないうちに、胸を刺し貫かれていた。
悔しくて、涙が溢れてくる。
麗奈の見つめる先には、綺麗な青空が浮かんでいた。雲一つない。
その空を見て、自分が長い間寝ていたことに気がついた。
待って。待ってよ、ねえ。何で朝になっているのよ。
あいつらが襲ってきた時って、夕方だったじゃない。どうして一晩もここに横になっていたのよっ!
心臓を鷲づかみされたような、そんな思いに駆られて、麗奈は体を起き上がらせた。気持ちの上では、起きていた。
起き上がらせようとして、体が動かせなかった。
「ああああぁぁぁぁ――」
声は出る。思いっきり叫んだ。息を肺いっぱいに吸い込んだ。
何故か、いつものようにすぐに体が動かない。
歯を食いしばり、軋む体を無理矢理動かす。仰向けから、時間をかけて横向きに移り、さらに痛む全身にむち打って四つん這いまで持って行った。
「くううぅぅっ、なんで……動かないのよっ!」
大量の涙と、大量の汗が麗奈の服を濡らした。限界まで力を込めて、体の中で何かが抜けたのが分かった。力が、胸の辺りにある温かい魔力が全身を流れていく。それでも、体が思うように動いてくれない。
片膝立ちまで持って行き――そして立ち上がった。
「はあっ、はあっ、く……何なのよこれは――」
ふらつく体を何とか保ち、落ち着くのをじっと待つ。程なくして何かが馴染んだのか、体がやっと軽くなった。
今なら分かる。これは魔力が体に馴染んだってことなんだ。
意識しなくても、血液の流れに沿って魔力が体の隅々に流れて行っている。
そっか、レアーナさんはこの感覚をずっと押さえていたんだ。当たり前に魔法が使えるって、この感覚なんだ。
周りを見回すと、相変わらず戦場跡だった。
無造作にうち捨てられている武器や鎧が、錆びて赤くなり始めていた。相変わらず死の匂いが辺りに漂っている。
わたし、この匂いが嫌い。
見える範囲だけでいいよね。少しお掃除したい。
しゃがみ込み、星と月の石の外側にある地面に手をついた。
そして自分の魔力を流し込む。『波』をイメージして、一気に放出した。
麗奈を中心に大きく地面が大きく隆起して、そのまま津波のように全ての物を飲み込んでいく。鎧も、剣も、そして戦いに敗れて志半ばで倒れた幾多の命さえも、全てを地中に飲み込んでいく……。
そして見える範囲全てが、土色の大地に変わった。
変化はそれだけで終わらなかった。
さらに草が芽吹いていく。あっという間に、辺り一面が草原に変わった。
「草まで芽吹くなんて、思わなかったな……」
さすがの麗奈も苦笑いを浮かべた。
これで次にもし、命を奪われて蘇った時に、多少は気が晴れるかな。
麗奈は立ち上がって、両手で自分の頬を叩いた。
レアーナさん待ってて。今行くから。亡骸だけでも弔わなきゃ。
いっぱいお世話になった。たくさんのことを教えてくれた。そして、大切なわたしの母さん……。
もう、絶対に泣かない。
今度はあの二人に負けないくらいに、強くなってみせる。
それが、わたしとレアーナさんの生きた証になるはず。
足を踏み込み、全力で草原を駆けた。
北へ、あの森の家に向かって。
相変わらず息切れ一つせずに、森の縁まで辿り着いた。それでも何となく、大きく深呼吸をした。
森の一角に、縁側のある家があった。たぶんもう、家主を失ったこの家が隠匿されることは、二度とないのだと思う。
玄関を開けて、中を駆け抜ける。
連絡通路を通り、寝室に続く小屋の扉から室内に入った。当たり前だけれど、寝室は昨日のまま変わっていなかった。
もしかしたらあの二人組が部屋を荒らしたんじゃないかって思っていた。もっとも、ベッド以外に何も置かれていない寝室なんて、荒らす価値もなかったのかもしれない。
「……ひどすぎる」
リビングに入ると、ここはしっかりと荒らされた後だった。さすがの麗奈も、悲しくなって思わず声を漏らしていた。
メルフェレアーナはきっと外で倒れているはず。
入り口から外に出ようとして、視界の隅で何かが動いたような気がして足を止めた。暗がりに目をこらすと、人が一人壁により掛かっていた。
「えっ……レアーナさん?」
目が慣れてくると、そこにいたのはメルフェレアーナだった。顔色が既に真っ白で、剣で刺し貫かれた胸の穴は、氷付けにすることで止血してあった。
ただ、命の灯火は、既に消えかかっていた。
「麗奈……ちゃん……? 生きてい……たのね……よかった」
「だめっ。それ以上喋っちゃ駄目」
跳ねるように近寄った麗奈は、しかし自分がメルフェレアーナを助ける術を持っていないことに気がついた。
魔法には色々な属性の攻撃魔法はあっても、回復魔法は無いって言っていた。
治癒魔法も、どうやって使えばいいのか分からない。しゃがみ込んで完全に、麗奈のその動きが止まった。
「迂闊だった……わ。クウォンが目印に……なったのね。
これじゃ耳を……削いだ意味がない……わね。麗奈ちゃん……ごめんね」
「駄目よ。それ以上喋ると、レアーナさんが死んじゃうよ」
何もできないけれど、そっと抱き上げて寝室まで運んだ。ゆっくりとベッドに寝かせる。
下ろしたときに、真っ白なメルフェレアーナの顔が、苦悶に少し歪んだ。たぶん背中がシーツに当たったからだと思う。
「あり……がとう。
でももう……駄目ね。魔力器官を、貫かれた……みたい」
魔力が足りないのならと、繋いだ手に魔力を流し込む。すぐに、魔力自体が入っていかなくなった。それよりも、何故かメルフェレアーナの体の表面から光の粒が空中に飛んで消えていった。
何となく顔色が戻った気がした。
「ど、どうしてっ? なんで魔力が抜けちゃうのよ」
「外から補充される……魔力は、明確な効果を込めないと消えて……しまうのよ。まるで異物を……吐き出すかのように。
それでも少し……楽になったわ」
麗奈は悲しくなって、必死に首を横に振った。
「でも、麗奈ちゃんが光の……粒になって消えていったときには……びっくりしたわ。
……あの二人なんて、顔色を変えて……逃げていったもの」
言葉の途中で辛そうに呼吸をしながら、メルフェレアーナはしっかりと麗奈の手を握り返してきた。
その力も、すごく弱かった。もう長くないことだけははっきりと分かった。
「あなたに魔法を……教えられてよかった。最後に……元気な顔を見ることが出来てよかった……」
麗奈を慈しむような笑顔のまま、メルフェレアーナの握っていた手から力が抜けていく。焦点が合わない目で何度か頷くと、すっと息を引き取った。
わたしはもう、二度と人間なんかに負けない。
大声で叫びたかった。絶対に泣かないって。もっと強くならなきゃって覚悟したのに。
麗奈の視界が滲む。
歯を食いしばっているのに、嗚咽が漏れる。
なぜ、メルフェレアーナ・メナルアは、ここで命を散らさなければならなかったの?
どうして、人間に一方的に、魔族が狙われなきゃいけないの?
なんでみんなで手を取り合って、仲良く生きていくことが出来ないの?
麗奈の側にはもう誰もいなくて、答えを持っている人もいなかった。
涙が零れないように、見上げた空は吸い込まれそうなほどに青かった。
メルフェレアーナとクウォンの亡骸は、縁側があった庭に穴を掘って、仲良く並べて埋葬した。そしてそこに、墓標をたてた。
隠匿結界用の魔石に目一杯魔力を注いで、しばらく縁側で呆然と過ごすことしか出来なかった。魔石には恐ろしいほどの魔力が吸い込まれていった。
一年ほど、縁側のある家で麗奈は魔法の腕を磨き続けた。それと同時に、森で狩りの腕も磨いた。もう、どこでも生きていかなきゃ駄目だと思って、必死で森の魔獣を倒した。
果樹園と街までの森は、クウォンがいなくなったことでたくさんの魔獣が集まってきた。それぞれの魔獣同士がが争い合って、豊かだった森はあっという間に荒れ地に変わっていった。
街の様子は知らない。あれから一度も街に行っていない。果樹園が壊滅したことで、行く理由もなくなった。たぶん、西の森の開拓は頓挫したと思う。
そして冬を過ぎて、春になった。
この世界の二回目の冬は、もの凄くたくさんの雪が降った。たぶん一メートル位は降ったと思う。おかげで、魔法でたくさんの雪だるまを作ることができて、とても楽しかった。
「一年半かな。レアーナさんとの思い出の家。わたしは旅立つよ」
家はいつの間にか、周りの森を取り込んでダンジョン化していた。
たぶん、隠匿結界用の魔石に魔力を込めすぎたんだと思う。おかげで、誰もここに来られなくなったから、ここはいつかわたしが帰ってくる実家なのだと思うことにした。
窓を閉めて戸締まりをし、玄関にもしっかりと鍵をかけた。
麗奈はもう一度、自分の実家になった家を振り返った。その家はどう見ても日本の古い日本家屋で、やっぱり自分の実家なのだと思った。
さて、取りあえず目指すのは、近くにあるあの街かな。
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