ep8 わたしは咄嗟に魔法を使っていた。激しく後悔した

 冒険者ギルドの職員はとても優しくしてくれた。

 因縁の二人に相対した事で、精神的に落ち込んでいた麗奈に気を遣ってくれて、しばらく個室で休ませてもらえた。

 ソファーでメルフェレアーナに抱きしめられながら、麗奈は唇を強く噛んでいた。


「無理をしなくていいのよ。後は買い物をしてから帰るだけよ。ゆっくりと心を落ち着かせなさい。

 麗奈ちゃんのギルドカードは、もう少し落ち着いてからここで作ってもらえるそうよ。今は、その気持ちをしっかりと受け止めて、そして絶対に忘れないように胸に刻みなさい」

 メルフェレアーナの言葉に、麗奈はハッとして顔を上げた。


 悔しさを、悲しさを、絶対に忘れてはいけない……ということなのかな。

 確かに亡くなったエルフ達はもう戻らないよね。今もどこかで、魔族が襲われているかもしれない。

 確かに怖い。でもこの世界は、わたしが知っている地球と違って強くならないと待っているのは死だけ……なのか。


「レアーナさん、ありがとう……ちょっと落ち着いた」

「そう、でも無理はしないで。それに慌てても駄目、あの二人は別格よ」

 その後、職員が入ってきて麗奈のギルドカードを作ってくれた。街民カードがあることで、魔道具にカードをかざすだけで簡単に冒険者ギルドのギルドカードを作ることができた。


 貰ったギルドカードには、英字で『A』と書かれていた。麗奈が知っている異世界知識だと、かなり上のランクのはずだ。

「最初からAランクでいいのかな」

「おや、麗奈さんはその魔術文字が読めるのですか?」

「えっ……?」

 最後の書類手続きを進めてくれていた職員が、驚いて麗奈を見上げてきた。

 えっ、だってこれって英語だよね?


「これが魔術文字なの? 『A』って書いてあるだけだよ」

「その文字は『エー』とも読めるのですか。それでは……これはどう読むのですか?」

 職員が新しい紙に書いた文字は、英字の『B』だった。

「それは、『B』かな」

「なるほど、これは『ビー』なのですね」

 職員は、続けて『CDEFG』と書いていく。それぞれを麗奈が読み上げると、全てにカタカナでふりがなを振っていった。

 麗奈がそれを見て首を傾げていると、職員は笑顔で説明してくれた。


 どうもギルドランクを付ける魔道具は、失われた過去文明の遺産のようだ。

 冒険者が討伐部位を持ち込むと、カードに達成情報を蓄積していき、自動的にランク処理をしてくれる。メモリーカードみたいだな。

 ランクは英字の『A』から始まり、英字アルファベットの並び順にランクが上がっていく。ちなみに国内で確認できている最高ランクは、Gランクなのだとか。何だか感覚の違いに戸惑う。


メルフェレアーナはBランクのようだ。長く在籍しているけれど、依頼をほとんど受けずに魔獣素材の納入だけなので、Bランクまでしか上がらないと説明してくれた。ラノベ知識でAランクの方が上のような気がして、やっぱりもやもやした。




 冒険者ギルドを出て大通りを歩く。

 二人が背中に背負った籠は、来る時と違って軽かった。周りにも、手に籠をもっている人、同じように背負い籠で歩いている人と様々だった。

 数人の冒険者が、鎧の音をジャラジャラと鳴らせながら、明かりが灯っている酒場に入っていった。街灯はあるけれど、夜になると人がいなくなるのかもしれない。


「今日の夕飯は、奮発して屋台飯にしようかしら。麗奈ちゃんもそれでいい?」

「わたしはいいれど、お金は大丈夫なのかな」

「大丈夫よ。納税も済んで、買い物だけ済ませれば他にお金はかからないわ。

 でもそうね、先にお米と香辛料を買った方が良さそうね。少し大通りから外れる場所に行くけどいいかしら?」

 麗奈には特に反対する理由はなかったので、しっかりと頷き返した。メルフェレアーナは麗奈を連れて中央の庁舎まで向かうと、今度は東に向けて歩き出した。


「この街は庁舎を中心にして、東西の区画が商店街になっているのよ。南の区画は職人街で、さっき行った北の区画は冒険者ギルドを中心とした繁華街になっているわ。

 お米を売っているのは少し東に行った、倉庫街の方ね」

 東の通りを進むと、じきに坂道になった。この街は東から南にかけてちょっと小高い山を背負う形に造形されていた。徐々に勾配が付いていくようで、目的の路地に付く頃にはけっこうな坂になっていた。


「こんな所にお米を売っているの?」

「私はいつも倉庫に直接買い付けに行くから、ここまで来るだけよ。普通はもっと下のお店で買うはずよ。

 ほら、見てごらん。今なら街の姿を一望できるわよ」

「うわあ、綺麗……」

 気がつけば、かなり上まで上ってきていた。北東から南にかけて山裾に沿って街が作られていて、ちょうど夕方の日差しを浴びてキラキラと輝いていた。

 街の家からも、あちこちから煙が上がっているのが見える。

 その街の周りを一周、壁が囲っていた。田んぼはどこにあるのかな?


 倉庫は大通りを横に折れた通りの、細い路地を抜けた先にあった。

 それなりの山の斜面に、たくさんの倉庫が建ち並んでいた。こっちは従業員の通用口なのか、完全倉庫の裏側だった。

 そこでメルフェレアーナは、十キロ程の米を二袋、銅貨五十枚で買っていた。たぶん顔なじみなんだと思う。


「あとは、戻る途中で香辛料を買ってから、最後に屋台ね。麗奈ちゃんがいるから、いつもの倍のお米を買えたわ」

「そんな、たいしたことしてないよ」

「いいえ。一度に倍の林檎を持ってこられたのは、かなり大きいのよ」

 そんな会話をしながら、一袋ずつ籠に入れて細い路地から通りに戻った。


 この辺の通りは住宅地なのか、二階建ての建物が多い。洗濯物などは二階に干しているようで、夜風に当てないようにか、ちょうどあちこちで洗濯物を取り込んでいるところだった。

 通りには仕事を終えた人々が、思い思いに家路を急いでいた。




 ふと、一軒の家の二階で、女の子が洗濯物を取り込もうとして、体ごと大きく手を伸ばしていた。危ないなあ、と思ってみていると、案の定女の子はタオルを掴むとそのまま落ちてきた。


「うそ。やっぱり――」

 麗奈は全力で駆けだした。

 視界の端でメルフェレアーナが、何か言いかけたのが見えた。でも駆け出した麗奈は止まらない。


 駆けながら籠を肩から抜いて、腰ホルダーからワンドを抜いた。後ろで籠が地面に落ちる音が聞こえる。

 ワンドを前に向けて、ワンドに魔力を流す。生活魔法を発動させて、少女の体を下から風で支えるようにイメージした。

「……えっ?」

 しかし出てきたのは、優しい風だった。むしろ駆ける麗奈がその風を押す方が早いような、そんな弱い風が吹き出した。

 慌てて、ワンドに流した魔力を切る。


 既に、女の子が半分くらい落ちてきていた。空中で回転したのか、麗奈の方を見て大きく口を開けている顔が見えた。距離は約十メートル。そのまま駆けていっても、間に合わないことは誰の目にも分かった。


 咄嗟に麗奈は血液に魔力を乗せて、筋肉を強化させる。麗奈の瞳が真っ赤に染まった。

 土壇場で発動した肉体強化の魔法が、麗奈の能力を一気に引き上げる。踏み出した一歩で瞬時に五メートル飛び、二歩目を踏み出した後で慌てて両足を踏みしめて止まる。ちょうど目の前に、女の子がいた。


 慌ててワンドを手放して両腕を前に伸ばし、女の子をきゅっと抱え込む。流れるように女の子と自分を風で包み込んだ。

 風の魔法でふわっと一瞬浮いた後、女の子を抱えたままお尻でゆっくりと着地した。麗奈の瞳が、再び黒に戻った。


 麗奈は息を飲んだ。

 やっちゃった、魔法を使っちゃった。どうしよう……。


「エイリーン!」

 家の中から母親らしき女の人が飛び出してきた。

 麗奈の腕の中で呆けていた女の子は、その声を聞いて堰を切ったように泣き出した。


 辺りは、静まりかえっていた。

 道行く人々が立ち止まって、何が起きたのかじっと見ているようだった。麗奈が首を回して見ると、視界の先の人々が慌てて視線を外していく。


「エイリーン……よかった。ほんとうに、ありがとうございます……」

 麗奈が女の子を立ち上がらせると、母親がギュッと女の子を抱きしめた。


 たぶん、一番恐れていたことをやってしまった。たくさんの人が見ている中で、魔法を使ってしまった。

 立ち上がって恐る恐る振り返ると、メルフェレアーナが優しい顔で、麗奈の籠を持って歩み寄ってきた。麗奈の前でそっと籠を下ろすと、おもむろに麗奈の頭を撫でてきた。


「よくやったわ。そこまで教えていなかったわね。

 冒険者ギルドのギルドカードを首にかけなさい、今はそれで大丈夫よ」

 慌ててカードを首にかけると、それまで堅くなっていた空気が一気に柔らかくなった。人々が何かに納得したような顔を見て、やっと麗奈は自分が呼吸を止めていたことに気付いた。大きく深呼吸をする。

 再び人々が動き始めた。


「どう……いうことなの……?」

「冒険者は、強くて当たり前。一般人にはそんな印象よ。

 今回はそれをうまく使っただけよ。強力な魔道具も持っているから、さっきみたいなのも何とかごまかせるわ」

 メルフェレアーナが拾ってくれたワンドを、両手でしっかりと受け取った。


「さあ、お買い物の続きをするわよ」

 辺りがオレンジ色に染まる。

 お礼にと、女の子の母親が持ってきたパンを受け取ると、二人はゆっくりと通りを歩いて行った。


 ただ、麗奈の胸は不安でいっぱいだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る