ep7 わたしは金髪の男と銀髪の男から目を逸らした。悔しかった
税収官の庁舎は街の真ん中にあって、周りよりも少しだけ大きな建物だった。遠目に見ても、たくさんの人が出入りしていることが分かる。
ちょうど東西南北の大通りが交差する場所にあって、そこが街の中心であることがはっきりと分かった。妙な場所に建物はあるけれど、見たところ交通に不便な様子が無いのが不思議だった。
「麗奈ちゃん、まずあそこね。この街の住民として登録するわよ」
中に入ると、そこはまさに田舎の町役場だった。簡素な待合室があって、カウンターで仕切られた向こう側では、十人ほどの男女が書類作業をしていた。それこそ街を管轄する役場なのかもしれない。
受付で登録の申請をすると、程なくして別室に案内された。
「これは、メナルアさんではありませんか。今日はそちらのお嬢さんを?」
椅子に座って待っていると、しばらくして奥の扉から青年が部屋に入ってきた。目つきが鋭くて、ちょっと怖い印象がある。
「ロージャスさん、こんにちは。
この子をわたしの娘として、住民登録したいのよ」
麗奈は立ち上がって頭を下げた。
「そうですか。住民が増えるのは、街が発展する大切な条件ですからね。歓迎いたしますよ。
それではこの紙に分かる範囲でいいので、申請事項を記入してください。
登録料は……銀貨一枚ですね」
「分かりました、よろしくお願いします」
申請用紙を見て固まっている麗奈の隣で、メルフェレアーナはロージャスに銀貨を一枚手渡した。ロージャスは銀貨を受け取ると、壁際にある金庫にそれを収納した。
「なにか、問題がありましたか?」
「あ、いえ。大丈夫です……」
振り返って、未だに固まっている麗奈を見て、心配そうに声をかけてくれた。とりあえず麗奈は返事を返して、側にあったペンを持った。
麗奈の頭の中は完全に混乱していた。
待って。ほんっと待って。
喋る言葉だけじゃ無くて、書く文字も日本語だよ。いったい、この世界って何なんだろう?
普通の異世界って言ったら、知らない言葉と知らない文字を、異世界言語スキルで翻訳しながら生きていくはず。それなのに、目の前の文字はどう見ても漢字交じりの日本語だ。
今さらだけど、果物屋でもカタカナ表記だったっけ……緊張してて頭が回らなかったよ。
とりあえず、目の前の紙を埋めていく。
名前はしばらく考えて、麗奈・メナルアと書いた。メルフェレアーナの顔を見ると、笑顔で頷いてた。種族は人間。住所は分からなかったので、メルフェレアーナに渡したら書いてくれた。
ロージャスに申請用紙を渡すと、壁際に歩いて行ってさっきの金庫まで歩いて行って、上から紙を差し込んだ。少し待つと、金庫の下から銀色の板が吐き出されてきた。
それを持ってきて、麗奈に差しだしてきた。
「こちらが街民カードになります。記載事項に変更がある場合は、このカードと一緒に窓口に申請してください。
紛失した場合は、街民ランクに応じて再発行にかかる貨幣が決まっています。メナルアさんは銀ランク市民なので、紛失した場合は次回も銀貨一枚をご用意ください。
それでは、ハツォージェ市にようこそ。しっかりと稼いで、たくさん税金を納めてくださいね」
それだけ告げると、ロージャスは一礼して奥の扉から退出していった。
「彼はかなりの切れ者なのよ。小さな田舎町だったのに、十年足らずでこの規模の街にまで発展させたわ。
あの魔道具もわざわざ帝都から取り寄せたそうよ。
さあ、次は冒険者ギルドに向かうわよ」
「冒険者ギルド?」
「ええ。私が住んでいる郊外には、稀に魔獣が出るのよ。素材の買い取りは、冒険者ギルド経由が一番安定しているから、街民カードを持っているうちに登録だけでもしておいた方がいいわ」
メルフェレアーナは通常の受付カウンターで、さっき果物屋でもらった紙を手渡した。さっき受け取った銅貨を半分くらい払い、紙に判を押してもらっていた。
それだけ済ませると、庁舎を出て通りを北に向かった。
北の通りは、また街の様子が違った。
大通りの幅が広くなり、道沿いに屋台がたくさん建ち並んでいる。メルフェレアーナは露店に寄って、数枚の銅貨を払ってから肉の刺さった串を二本受け取っていた。そのうち一本を麗奈に手渡してきた。
「レアーナさん。お金の価値というか、銀貨と銅貨の計算の仕方が分からないのだけど、教えてもらえないかな?」
「本当に大事な記憶が無いのね。ゆっくりと思い出せばいいわ。
貨幣は簡単なのよ。銀貨一枚が銅貨百枚よ。逆に銀貨が百枚で金貨一枚になって、あとは銅貨一枚が鉄貨で百枚ね。鉄貨より下はないわ」
「この串は銅貨で何枚なの?」
「一串銅貨三枚よ。今日は林檎がたくさん売れたから、ちょっとくらいは贅沢しなきゃね」
この串が銅貨三枚なら、単純に三百円くらいなのだと思う。そうすると、住民登録に一万円使ってくれたことになるのね。
麗奈はポケットに入れた街民カードを、絶対に無くしちゃいけないと思った。
北の通りをしばらく進んだ先に、その建物はあった。
三階建ての、まるでビルのような建物で、完全に周囲から浮いていた。もっとも、それが狙いなのかもしれない。木造家屋がたくさんある中に、そこだけぽつんと灰色の建物があれば、遠目にもわかりやすい。
今は時間的なものもあってか、大きな荷物を持った人たちが入り口の外で列をなしていた。入り口が三つあり、列は右の入り口から伸びていた。
「今の時間は、納品と報告が込み入っているわね。右の入り口から入ると、素材買取カウンターもあるわ。真ん中は出口よ。
私たちは登録だから、左の入り口から入るわよ」
メルフェレアーナに続いて左の入り口から入ろうとして、入ろうとしたメルフェレアーナが立ち止まったので、麗奈も慌てて止まった。
「あ、しまった。ここ入り口じゃねーか。道理で狭いわけだ。
おめえ、分かってたんなら先に言えよ……あ? 何だおめー」
不機嫌そうな顔で入り口から出てきた男に、麗奈の心臓の鼓動が跳ね上がった。思わず目を見開いていた。
線の細い銀髪で狐目の男。この世界に来たあの日、エルフの村で麗奈の胸を後ろから刺し貫いた男が、目の前に立っていた。
メルフェレアーナがすっと脇に体を避けた。
「あなたが全てのカウンターを回って、受付嬢を冷やかすからです。納品だけで済ませれば、間違えたりしませんよ……どうかしましたか?」
後ろから、金髪の大男が現れて、麗奈はさらに息を飲んだ。ゆっくりとぎこちなく、視線を外すのが精一杯だった。
メルフェレアーナが手を伸ばしてきて、麗奈を体ごと引き寄せて、脇へ退けてくれる。その間も、麗奈の体はこわばったまま微動すら出来なかった。
「駄目ですよロドリエスさん。あなたはただでさえ体が大きいのですから、うちの娘が怖がっていますよ」
「あぁ……申し訳ありませんメナルアさん。相方が不快な思いを与えたようで、重ねて謝罪いたします」
「あ? 何でだよ、オレ関係ねーだろう。そもそもお前がデカいのが悪いって、メナルアさんが言ってるんだぞ。何でオレが悪いんだよ」
「あなたが余計なことをしなければ、怖がらせる事も無かったのです。連帯責任でしょう」
「チッ。気分良くねーな。今日の酒はお前のおごりだぞ」
体が全く動かない。心臓の鼓動が早い、押さえなきゃ聞こえちゃう。
どうしよう。怖い、辛い……。
歯もうまく噛み合わせられない、ガチガチ言っている音も聞こえちゃう……。
そんな麗奈の心配をよそに、銀髪の男は首を振りながら通りに歩いていった。金髪の大男が、横を通り過ぎる際に一瞬目を細めて麗奈を見た気がした。そのまま二人は、夕方の雑踏の中に消えていった。
「彼らですか……?」
メルフェレアーナが小さな声で呟く。麗奈は小さく、本当に分かるかどうかぐらい小さく頷いた。すっと、気がつくと麗奈は、メルフェレアーナの腕の中にいた。
遠慮がちに、麗奈の黒い髪が撫でられる。
「大丈夫です、いざとなったら私があなたを守ります」
目から、我慢していた涙が止めどなく溢れてきた。慌てて首を横に振る。
そうじゃない。それじゃ駄目なの。
わたしの命は何度でも蘇るけれど、メルフェレアーナ・メナルアの命は、一つしか無いのよ。
本当は叫びたい。あの二人を、この手で屠りたい。
でも、悲しいかな。恐怖で体が動かない……。
「大丈夫ですか? いま、個室を用意しています」
異変に気付いた職員が、冒険者ギルドの中から出てきてくれて、麗奈とメルフェレアーナを案内してくれた。
麗奈は、メルフェレアーナにしっかりと支えられる形で、ゆっくりと足を運ぶことしか出来なかった。
個室に入っても、しばらく涙が止まらなかった。
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