第15話 ベイカー? あれ? ベイカーは?


 王宮の廊下を一人進む猫耳メイドーーエイブルは真っ直ぐに前を向いたまま、独り言のように呟いた。


「王はどちらに居ますか?」

「執務室においでです」


 いつの間に現れたのであろうか、彼女の後を追従するメイドが答える。


「先触れを…」

「無用です。このまま参ります。……いえ、誰かいれば人払いを」

「はい」


 再び一人になったエイブルは王のいる執務室へと進む。回廊の要所に設けられた扉に侍る衛兵は彼女を誰何すいかするでなく、当たり前のように扉を開ける。やがて猫耳メイドはある部屋の前で立ち止まった。


「エイブルです」


 扉の向こうに短く伝え、返事を待たずに扉を開ける猫耳メイド。

 正面の執務机。ファドリシア王は許しも待たずに入って来た事を責めるでもなく、まるで当たり前のように手にした書類を置くと穏やかな表情で猫耳メイドを見た。


「ん? どうした?」


 すでに報告を受けていたのであろう、平静に問いかけるファドリシア王。


「お願いがございます」

「言ったであろう? 勇者が世界を救う時代は終わったと……勇者はもはや政治の道具に過ぎない。いや、都合の良い暴力装置に成り果てていると。義雄殿とてーー」


 さらに言葉を続けようとする王に抗うように王の目を見据え、言い返すメイド。


「押し付けられた宿命に埋もれて生きるのはイヤです! ならば理外の力ーー義雄様や大霊廟御物の力に頼ってでも、私たちの未来を切り開いていきたく思います。それに義雄様は私たちに手を差し伸べてくださいました」

「たしかに義雄殿もあそこにあるものも、この世界のことわりの外にあるものだがな……!! エイブル!!」

「ズルいです、ご自分ばかり……私も夢を追いかけたいです」

「うっ……それとこれとでは……」

「私と義妹達ーーエイブルメイド隊は義雄様にお仕えしたく思います」

「好きにせよ……」


 エイブルの退出を見届け、疲れたようにソファーに深く腰を落とすと、ファドリシア王は閉じられた扉に向かって呟いた。


「我が子の幸せを望まぬ親などおらん。だがな、それ以上に茨の道へと進むやも知れん愛し子を送り出す事の苦悩は察してもらえぬか……」


 虚ろな目で天井を見上げるファドリシア王。


「名もなき神よ、ただ一人の親として願い奉る。勇者殿がーー義雄殿が古の勇者のごとく姫を救わん事を……」



「これホントにメイド寮? 嘘だろ!」

「ここは、わたしの麾下にあるメイドの子のみが住んでいます」


 エイブル麾下のメイドーー忌み子と呼ばれる魔法が使えない娘のみで編成されたメイド達ーーエイブルメイド隊を紹介すると、連れてこられたのは、まごう事なき乙女の園、メイド寮だった。


 見上げた建物はどこのお嬢様学校だよというような外観だ。大理石をふんだんに使った白亜の宮殿。壁面を飾る彫刻は神話をモチーフにしたのか精緻で躍動感あふれる一級の美術品だ。知らずに案内されればここがメイド寮なんて誰も思わない。


「大霊廟といいメイド寮といい、なんか俺の想像とズレてるんだよな。そうじゃなくても普通入ろうとは思わんわ。死にたくは無いもんな」


 男であれば、官憲はおろか、いかなる権力者ーーたとえ国王といえども立ち入ることを許されない【乙女の園】。

 ファドリシア城メイド寮、通称 白金プラチナ寮。

 多分、魔王城とかよりこっちの方が入りづらい。入るだけなら魔王城の方が楽だと思う。ある意味ウェルカムだもんな。俺は、今まさに禁断の地に踏み込もうとしているのだ。


『この一歩は小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である』


 なぜかそんな言葉が頭に浮かぶ。否応無く昂まる心臓の鼓動。べ、別にメイドさんの私生活を垣間見れるとか、なんの期待もしてませんから! えーい、鎮まれ心臓!


「よし。行くぞベイカー……ベイカー? あれ? ベイカーは?」

「急用があるとか言って先程どちらかへ行きましたよ」


 に、逃げたな、あのヤロー!!


 乙女の園への突入。起こりうるラッキースケベと共にメイド達の恨みを買うリスクを天秤にかけて、後者の方が優っていると判断したらしい。

 俺もそれは考えないではないよ。だからこそ! だ か ら こ そっ! わざわざ呼びつけたのに!! 一人じゃない二人なら、言い逃れなりなんなり出来るって……怒られるのも、嫌われるのも一人より二人だろ? くそっ! おぼえてろ!


「仕方ない……エイブル、中の案内と不測の事態への対処を頼む」

「不測の事態……ダンジョンじゃあないんですから、セキュリティ的には安全なんですけど」


 君らにとってはね。そのセキュリティが俺に牙を剥くかもしれないでしょ。なんだろう、目の前の無駄に立派な両開きの扉が、まるでダンジョンボスの部屋への扉のように感じられる。後戻りは出来ないぞ俺。

 ぐっと握り込んだドアノブから極度の緊張に汗ばむ手のひらの感触がヌルリと伝わる。


「突入!!」


 意を決して大きく扉をあけ放ち、寮内へと踏み込んだ!


 内部は……うっわ、これまたなんつうクオリティ! アレだよ『離宮』ですよ。正面のホールは華美な装飾や、調度品こそないが漂う気品が違う。これ廊下に洗濯物が干してあったり、下着姿でうろつくメイドさんとか絶対いないやつだ!


 雰囲気に飲まれながらも二~三歩進んだところで、突然ホール内にヒステリックな叫び声が響き渡った!


「あなた! 誰の許可を得てここに入ろうとしているのですか!」


 声のする方を向くと、結い上げた髪に深い紺色のロングドレスをまとった、いかにも神経質そうな御婦人がわなわなと肩を震わせて立ち尽くしていた。


「いきなりラスボスキター!!」

「この寮の寮監のローゼンマイヤー男爵夫人です。38歳独身です」


 エイブルが補足説明してくれた。うん、後ろの情報はいらない。それよりもーー

 むむむ、倒し方が見つからない。居たんだよこんな人、前世の総務のお局様に。俺が出張経費の申請したら書類の不備があるって申請書を突っ返してきて、以来、俺の天敵だったわ。


「くっ、勝てるイメージが湧かない……」

「義雄様、何言ってるのかわかりません。まさか戦う気ですか?」

「咄嗟に思いついた48パターンの戦闘シミュレーションがことごとくネガティヴと……」

「戦っちゃダメです!」


 そんなやり取りの中、ツカツカと肩を怒らせ俺に向かって来るローゼンマイヤー男爵夫人。いかん! 敵に先手を取られた!!


「何をゴチャゴチャとーーエッ? エイブル様?」


 敗北を確信した瞬間、俺の背に隠れるように控えていたエイブルを見つけ、敵の動きがいきなり止まった!? チャンスだ!


「いまだ!エイブル、奴を斃せっ!!」

「斃しませんから!! ローゼンマイヤー、下がりなさい!」

「は、ハイ!」


 エイブルの一喝でさっと下がるラスボス。まさかエイブルさんモンスターティムですか? んー、エイブル、いやエイブル……さんの株価が俺の中で乱高下しまくりだ。正直この猫耳メイド……さんの扱いが落ち着かない。

 とっとと伏線拾って今後の付き合い方をはっきりしたいぞ。


「このまま三階の私の部屋にご案内しますね」

「う、うん。よろしくお願いします」


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