みっしょん:2 ☆旧ヒロインの人生はハードモード Ⅴ☆

 アナスタシアがヴェロニカにクロッシュの構造や洗浄魔法の解説をねだったせいもあったが、それ以前にアナスタシアが泣いた後のケア等があった事から、普段よりもだいぶ遅めに朝食を終え──食後の歯磨きや着替えなどをヴェロニカにサポートしてもらいつつ身支度を整えてもらった。

 所々薔薇をモチーフにした細工が施されたアイボリーの猫足のドレッサーの三面鏡の鏡には、アッシュブロンドの髪を緩く編み込まれて後ろで束ねられたアナスタシアが映っている。

 鏡の中のアナスタシアは淡いオレンジのシルクシフォンのエンパイアドレスを纏っており、同色のオーガンジーの七分袖が涼しげだ。

 四歳になったばかりとはいえ、中身は成人済みだった前世持ちなので一人で着替えられると思ったものの、シンプルなデザインでも生地は極上のワンピース風の寝着パジャマと違い、現在纏っているドレスは大公女が纏う衣装なので小さなボタンが背中に数多く付いていたりと、一人では着られない仕様になっていたのでその辺は諦めた。

 最後の仕上げとして、ドレスに合わせて作られたストラップシューズを履かせてもらう。いつもなら靴を履かせたらヴェロニカはスツールから下ろしてくれるのだが──そのヴェロニカはくるりと後ろを向いてサービングカートから何かを取り出していた。……あのサービングカートの棚にはアイテムボックスみたいな機能が付いているんじゃないかと思ってしまうくらい、色々入っている。


(何か付け忘れたものとか、あったのかしら)


 そう呑気に待っていたアナスタシアの前で、サービングカートから何かを取り出したヴェロニカはそれを背中に隠しながらこちらに向き直った。


「お嬢様」

「なぁに?」

「お誕生日、おめでとうございます」


 誕生日を祝う言葉と共にアナスタシアの前に差し出されたのは、オレンジと白のスプレータイプの薔薇でアレンジされたミニブーケだった。


「わぁ、お花。きれい……」


 アナスタシアは差し出されたそれを受け取って薔薇の香りを堪能する。


「閣下からです。朝咲きの薔薇をお嬢様にと」

「お父様から?」

「はい」


 ヴェロニカは頷くと、クラシカルな真っ白なエプロンのポケットから何かを取り出し、それをアナスタシアに差し出したので受け取る。


「こちらも閣下からです。今朝方届きました」


 渡されたのは名刺サイズの洋封筒だった。アイスブルーの封筒の表面には濃紺のインクで『アナスタシアへ』とアレクサンドルの直筆で書かれており、紙も上質なものだと指の感触でわかる。裏返すと、封をするフラップの上方にソコロフ家の紋章である頭に王冠を戴いた両翼を広げた鷹が金押しされており、右下にアレクサンドルのサインが型押ししてあった。


「……?」


 封蝋などで封印されているわけではないのに、メッセージカードが開けられないので不思議に思っていると、ヴェロニカがアナスタシアの前に両膝をついてカードを持ったアナスタシアの手を包み込んだ。


「お嬢様にはまだ魔法の使い方をお教えしておりませんでしたから、代理で開封させていただきますね」


 ヴェロニカはそう言うと【開封Открыт】と呪文を唱えた。

 刹那、アナスタシアの中から何かが出て行く感覚がして手の中のカードが淡く発光する。その光は昨日マクシームが誰かへ送った伝書鷹のような真っ白な鷹の形に変化し──アナスタシアの頭上でホバリングした。


(昨日の伝書鷹!)


 送られた先のメッセージがこうなるのだとわかってアナスタシアが目をキラキラさせていると、頭上の鷹はピィーと一鳴きしてカードに込められたメッセージを喋り始めた。


『アナスタシア、私の小さなお姫様。四歳の誕生日おめでとう。今日中は無理そうだが、明日必ず会いに行く』


 アレクサンドルの声で綴られたメッセージを聴いたアナスタシアの脳裏に、アッシュブロンドの髪をオールバックにした歴戦の武人のような壮年の男性の姿が映る。普段は鋭いアイスブルーの瞳が、アナスタシアを映した瞬間柔らかいものになるのが好きだった。

 ──同時に前世の記憶の引き出しも開いた。


(今気付いたけど、お父様ってコードネームがスネークな人に似てるし声もそっくり……)


 イワノフの声も、モデルにしたと言われているあの俳優さんの吹き替えの人の声に激似だった気がする、と思い出しながらも、アレクサンドルが遠征先から駆けつけてくれる事を知ったアナスタシアは声に出していた。


「……明日、お父様に会えるの? 本当に?」


 最後に会ったのは三か月ほど前だったが、国の元帥でもあるアレクサンドルは現在いざこざが絶えない国境の一つへ遠征している。

 軍の最高司令官が最前線へ行ってしまうのはいかがなものかと思わなくもないが、その方が早く片付くらしい。


「強行軍になるでしょうが、有言実行の閣下の事ですから、明日必ず駆けつけて下さる事でしょう」


 アナスタシアの誕生日を祝うためとはいえ、年に数度会えるだけまだマシだと言われるほど多忙なアレクサンドルが会いに来てくれるのが純粋にうれしいと感じられるのは、四歳になったばかりのアナスタシアの感情なのだろう。


「今日会えなくても、明日お父様に会えるなんて嬉しい誕生日プレゼントだわ……」


 もらったカードをじっと見つめ、花束と一緒にそれを抱きしめる。


「お花の方は枯れないように加工してありますから、しばらく楽しめます」


 心底喜んでいるアナスタシアを慈愛の表情で見ていたヴェロニカの言葉に、アナスタシアは大きく瞬きながらしっとりした質感の花弁に指を這わせた。


(プリザードフラワーを作るような感じで魔法処理をしているのかしら?)


 前世のアナスタシアは、プリザードフラワーの作り方をネットで検索した事があったので、何となくではあるものの作り方はぼんやりと把握していたので口にする。


「水分と油分の置き換えとか、魔法で乾燥させたりする時の調節が難しそうだけど、ニーカなら造作もなさそう。──今度作り方を教えて?」


 おねだりした瞬間、こちらをにこやかに見ていたヴェロニカが一瞬虚をつかれたような表情をし、何かに耐えるかのように胸を押さえたのでアナスタシアは内心首を傾げたが、その表情はすぐに消えていつものヴェロニカに戻った。


「……かしこまりました。先程おぐしに編み込みました薔薇も今日のお召し物に合わせてブーケと共に用意しましたので、後日そちらを見本にして練習しましょう」

「ありがとうニーカ。髪のお花、生花だったのね……」


 髪を編み込む時に、ヴェロニカが小ぶりの薔薇をヘアピンで刺していくのをアナスタシアは鏡越しに見ていたが、その時はドレスに合わせて作られた造花だと思っていた。


「お召し物の共布で作られた髪飾りもあるのですが、今日は特別な日ですので生花の方がいいかと。──いかがなさいましたか?」


 髪に編み込まれる前の花を見せてもらえばよかったなと思いながらヴェロニカの話を聞いていたアナスタシアは、ほんの少し違和感を覚えて首を傾げた。


「何となくだけど──髪のお花に何か魔法がかかってる?」


 ブーケとカードをドレッサーにそっと置いて感じたままに言葉にすると、ヴェロニカは一瞬瞠目して「よくおわかりに」と答えた。


「ヴェロニカがお父様からのお手紙に開封の魔法を使った後、自分の魔力? と違う何かが頭の方から私を覆っているのを何となく感じたからなのだけど……」


 不可視のバリアが自分を覆い、守られているいるような感覚が今でもしている。それは、意識しないと気付けなかったものだった。


「もしかしなくても、今まで毎日私に防護魔法をかけてくれていた?」

「……はい」


 ヴェロニカはアナスタシアにかけている防護魔法に気付かれたくなかったようで、苦々しい表情で頷く。


(ニーカはプロ意識高いな……)


 アナスタシアは、ヴェロニカから見れば四歳になったばかりのいとけない子供である。

 昨日の襲撃は、普通の子供であれば一晩経っても恐怖に震えいてもおかしくは無いトラウマものの出来事だったので、危険に巻き込まれる事でアナスタシアの心の傷にしたく無いと心を砕くヴェロニカの親心を感じた。 


「ニーカ、いつもありがとう」


 今まで当たり前に享受していた“護り”についてアナスタシアが感謝を述べると、また片手で胸を押さえるヴェロニカ。


「……本当は昨日、どこか怪我していてそれを隠して平気なフリをしてる?」

「大丈夫です。お嬢様が尊すぎて──」


 大丈夫だと答えるのは聞こえたものの、その後続けてヴェロニカが何かを言ったのにそれが聞こえなかったので、「本当に? 隠したりしてない?」とアナスタシアは心配になった。


「はい。怪我はしておりません。気になるようでしたら脱いでお見せしましょうか?」


 そう言ってヴェロニカは、エプロンの後ろの結びを解いて、昨日とデザインが微妙に違う濃紺のロングドレスを本当に脱ごうとしたので、アナスタシアは思わずヴェロニカのドレスの裾を掴んで止めた。ヴェロニカの強さは昨日の一件で充分わかっているので、これ以上追求することはしない。


「怪我してないのならいい」

「お嬢様にご心配をおかけしてしまったようで大変申し訳ございません。私はこう見えても防御魔法の方が得意ですので、敵の攻撃をそう易々と受けたりはしません」


 言いながらヴェロニカはササッとエプロンを装着すると、アナスタシアのウエストにそっと手を添えてスツールから下ろした。アナスタシアはおろしたてのストラップシューズの感触を足踏みをして確かめる。オーダーメイドなので足にしっかり馴染んでいた。


「庭園の薔薇が見頃になっておりました。食後の運動がてら、散策されると良いかと」


 ヴェロニカがした話題の転換で、庭園の薔薇に興味を持ったアナスタシア。

 西の邸と呼ばれているこの場所は、アナスタシアの亡き母ヴィクトリーアが薔薇を好んだという事もあり、様々な種類の薔薇が配置された離宮の一つだった。ヴィクトリーアの生家の侯爵家がローザノフという薔薇に由来のある名に因んで、薔薇の宮殿と呼ばれている。


「散策はもちろんする。お天気の方はどう? 午後から雨が降ったりすりゅ?」


 アナスタシアは最後に噛んでしまったので自分のことながら残念に思ってしまう。ヴェロニカの表情筋が一瞬ピクリと反応したのが見えたので、ポーカーフェイスしてても幼女が噛んじゃうと反応しちゃうよねーと生暖かい気持ちで見ながらも、あえてスルーしてあげた。


「……予報士の見立てでは、本日は一日中晴天です」


 中世風なんちゃってロシアなこの世界にも気象予報士という職業の人はいる。

 気象という言葉の通り、風の魔法属性が強い人が適性を持っていて、詳細な天候の予想は軍略にも影響があるので、気象予報士のほとんどは軍属だったりする。昔は風読み士とよばれていたそうだ。


「おやつの時間はテラスでお茶したいな……」

「そのおやつの時間ですが、本日は難しいかと」

「難しいの?」

「はい。ローザノフ侯爵ご夫妻とユーリー様が昼過ぎに到着予定ですので──」


 続けて何かをアナスタシアへ伝えようとしたヴェロニカの言を、思わず遮ってしまう。


「お祖父様とお祖母様とユーリーお兄様が来てくださるの?」

「はい。ですので、本日の夕方にお嬢様のお誕生日会が予定通りに行なわれることになっております」

「え? 中止じゃないの?」

「宮殿は残念な事になってしまいましたが、中止なんてあり得ません」


 本来の予定では、ソコロフ邸でアナスタシアの誕生日会を行う事になっていた。昨日あんなことになってしまったのでアナスタシアは誕生日会が中止になるものだと思っていた──。

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