みっしょん:1.5 ☆ツッコミのモブこと王太子の側近Aの災難☆

 新学期が始まる三日前の昼下がり──。

 ゲルシュタイン家の執事から「アレクセイ様、奥様がお呼びです」と伝えられ、剣の稽古をするつもりでいたので着替える直前だった俺は、着替えるのをやめて母マルガリータが居るというサロンへ顔を出すことにした。

 サロンへ向かう途中、呼びにきてくれた執事が「奥様はご学友だった宰相夫人とご歓談なさっておいでです」と耳打ちしてくれた。ランチの時に母から来客があるとは聞いていなかったので、宰相夫人は急に来られたのだろう。


(宰相夫人というと、ビクトルの御母上か)


 新学期から魔法石が特産のアーガイルへ留学する級友のビクトル・メドベージェフを思い浮かべつつ、母親同士仲がいいのであれば行き来があってもおかしくはないのに──自分が邸に居ない間に来ていた可能性は大いにあったものの──今まで会うことがなかったのが不思議だった。

 その一方、宰相夫人は病弱であまり表に出てこないという話を耳に挟んだことがあったので、会うことがなかったのはそのせいだろうと思い直す。

 執事がサロンの扉をノックして「奥様、アレクセイ様をお連れしました」と告げると、「入ってちょうだい」と母の声が中から響き──入室の許可を得たので執事が扉を開けてくれる。

 中へ入ると、母と談笑していた宰相夫人と目があったので黙礼する。宰相夫人も微笑みながら黙礼を返してくれた。


「息子のアレクセイよ。そういえば、この子が生まれた時以来かしら」


「あんなに小さかったのに、こんなに立派になられて……」


 サロンの椅子に優雅に腰掛けていた宰相夫人は、白に淡いラベンダーを差し色にしたドレスを纏っていて、アッシュブロンドの長い髪を後ろで二つに分けてゆるく三つ編みにしていたのもあり、母と同い年らしいのに少女のような印象の女性だった。黒縁の眼鏡の奥に見えるのは王族特有のアイスブルーの瞳だったので、高貴な血筋の方なのだろうとも推測できた。


「あら。あなたの所のビクトルさんも宰相閣下みたいに頼り甲斐がありそうな青年に育っているじゃない」


「そう言って頂けると嬉しいわ。──アレクセイさんはレオニード様譲りの鮮やかな赤い髪をされているせいか、若い頃のレオニード様を彷彿させますわね」


 感慨深げに語るその貴婦人は、俺を懐かしそうに見ていた。


「ご挨拶が遅れてごめんなさいね。わたくしはアナスタシア・アレクサンドロヴナ・メドベージェワです。ビクトル・ミハイロヴィチの母と言った方がわかりやすいかしら」


 椅子から腰を上げた宰相夫人が自己紹介をしてきたので、「お初にお目にかかります」と挨拶をして、ボウアンドスクレイプをする。


「アレクセイ・レオニードヴィチ・ゲルシュタインです。御子息のビクトル殿とは懇意にさせていただいております」


「今日はあなたのお母様にお会いするのが最大の目的でしたが──。アレクセイ様、あなたにも直接お会いしなければと思っておりました。ご在宅でよかったです」


 母だけでなく俺にも会いに来た、と言われて戸惑った。

 目の前の宰相夫人との接点といえば、そこにいる母と夫人の息子のビクトルしかなかったからだ。


「メドベージェワ夫人、どうぞお座りください」


 立ったまま話すのもあれなので、座っていただいた後に自分も母マルガリータの隣に腰掛ける。挨拶をしている間に執事が新しいカップを用意していたらしく、ぬるくなったそれを下げつつそれぞれの前に淹れたての紅茶のカップが静かに置かれた。

 何も入れずに淹れたての紅茶を一口いただいた後に、開口する。


「俺に──いえ、私に会わなくてはいけない、というのはどうしてでしょうか」


「少々、きな臭い噂を父から──ソコロフ大公から聞き知ったので」


 ソコロフ大公と言えば、国王陛下の大叔父にあたる方だ。ルーシ国の南方の要アルザ゠マス辺境伯でもある。


「アルザ゠マスで何か動きがあるのですか?」


 思わず問いかけてしまったが、宰相夫人は頭を横に振った。


「明言はできませんが、アルザ゠マスではありません」


「そうですか」


 明言出来ないと言った上で、アルザ゠マスでは無いと否定される。機密情報にあたる内容なのだろう。まだ学生の身である自分が深入りしてはいけないと思い、それ以上の言及はしないことにした。


「これを半年ほど身につけて頂けますかしら」


 宰相夫人は背中と椅子の隙間に置いていたバッグを取り出すと、中から細長いベルベットの箱を取り出し、箱の蓋を開けて俺の前へそっと置くととそう言った。

 中身は星をモチーフにしたチェーンが長めの銀色のペンダントで、見た感じがシルバーよりも暗めの銀なのでプラチナで作られているのだとわかる。銀色の花のようにも見えるが、星形聖七角形と呼ばれる形のペンダントトップの中央には、深い青のラピスラズリが嵌められていた。


「魔除けです。厳密に言うと魅了チャーム避けですが──」


魅了チャーム避けですか?」


 魅了チャーム避けの機能が付いているものだと聞き、驚く。要職の人間に渡すのならまだわかるものの、学生の俺にこのようなものを渡す理由がよくわからない。


「ええ。少々厄介な相手なようなので、念には念をと思いまして。王太子殿下の御学友のアレクセイ様だからこそ、魅了チャーム避けを身につけて頂きたいのです」


魅了チャーム避けだなんて穏やかじゃ無いわね」


 思わず母がこぼすのを聞いて、宰相夫人は同意するように頷いた。


「そうね。──レオニード様の分も用意したから、身につけていただくようお願いできるかしら」


 そう言うと、宰相夫人は口を開けたままにしていたバッグからテーブルの上に置かれたものと同じベルベットの箱を取り出して母の前に置いた。


「え、旦那様レオニードの分もあるの?」


「間者はどこから入り込んでくるかわからないですから……」


 バッグの口を閉じて背中にそれを戻すと、宰相夫人は片手を頬に当てて首を傾げ、困ったような表情で吐息まじりに答える。間者と聞いて、かなり物騒な話なのだとわかる。


「宰相命令だ、とでも言ってくれればいいわ。強く言えば、アクセサリーが苦手なレオニード様も嫌々ながらも身につけて下さるでしょうし」


「わかったわ」


 母が承諾するのを確認した後、宰相夫人はこちらを見た。


「急ごしらえなので凝った物をお渡し出来ないのが残念なのですけれど、王太子殿下と側近の方々にも後ほど同じものをお渡しします」


「殿下にも?」


「はい。何事もなければよいのですが、何かが起こってしまった後に対処するのでは後手に回ってしまいますし」


 これから何が起ころうとしているのかわからなかったが、身を引き締める様に背筋を真っ直ぐにして箱の中のペンダントを見ていると、「公爵夫人、そろそろお時間です」と執事が告げた。訪問時に予め次の予定がある事を伝えていたのだろう。



「短い時間でしたが、アレクセイさんにお会い出来て良かったわ」


「こちらこそ、光栄に存じます」


「──リータ、またお邪魔してもいいかしら」


「もちろんよ。今度はゆっくりお話ししましょう?」


 馬車に乗り込む宰相夫人を見送った後に、母に何となく宰相夫人はどんな人なのかと聞いてみたら、いつも誰かの為に動く人だったと言われ──婚約時代にギクシャクしていた両親のキューピットだったのよと教えられた。




 *******




 休暇が終わって学園へ戻り──学園の寮で王太子殿下と顔を合わせた時に魅了チャーム避けの事を確認したら、殿下はもちろんの事、殿下付きの侍従もちゃんと身につけていた。その時、国王陛下も持っていると聞いたので徹底しているなと思った。


 しかし、新学期を迎えた日のお昼時に異変の片鱗──というより、後でわかることだったが、は片鱗どころか異変の権化だった──に俺は遭遇する。



 食堂へ続く通路を歩いていたら、目の前で派手に顔からすっ転ぶ女生徒がいたので、俺はギョッとしながらも助けに入った。


「……大丈夫か?」

「いったー。──あ、はい大丈夫です」


 助け起こすと、その女生徒は咄嗟に顔を庇ったらしく顔は無事だったが、右手の掌と右肘、膝を派手にすりむいていた。


「そこの男子、救護班を呼んで来てくれないか」

「わかりました」


 ちょうど通りかかった男子生徒がいたので声をかけると、彼は足早に救護班を呼びに行ってくれた。


「そこに水飲み場があるから傷口を洗うぞ」


 ちょうど目と鼻の先にあった水飲み場まで連れて行き、蛇口を捻って流水で右手の表面を洗う。


「砂利の食い込みとかはないな。肘と膝の方は──救護班が来たから任せるか」


 頼んだ男子が俊足だったらしく、思ったよりも早く駆けつけた救護班に手当てを委ねるべく女生徒から離れようとしたら、怪我をしていない方の手で制服の袖を掴まれていた。


「?」


 何かを期待するようなブルーグレーの瞳は俺を見上げていた。傷口を洗う際に何か粗相でもしたかと思ったが、そうではなかったらしい。


「医務室まで運んでくださらないのですか……?」

「運ぶ? 何で? 君、派手に転んではいたけど普通に歩けるだろ? というか、その手を離してくれないか。──婚約者殿に誤解されたくない」


 一緒にランチする約束をしていた婚約者イリーナの姿が目の端に見えたので、袖を掴む手を振り解く。彼女イリーナはやきもち焼きなので、俺は気の許せる女友達以外の女生徒とのパーソナルスペースはいつもそれなりの距離を取っていた。


「じゃ、後は宜しく頼む」


 出来ることはやったので、治療は救護班に任せて彼女イリーナの後を追い──無事合流出来た。






「アレクセイ様こんにちは」


 翌日、ランチのメインを食べ終え、級友とデザートを待ちながらまったりお茶を飲んでいた時に声をかけられた。声がした方へ目線を向けると昨日の女生徒だった。


(俺、名乗ってないよな? 救護班に聞いたのかもしれないが)


 少々薄気味悪いものを感じながら黙礼すると、「昨日はありがとうございました」と礼を言ってきた。


「誰?」

「昨日、目の前で派手に転んだから救護班を呼んで治療してもらった」

「へぇ」


 ランチを共にしていた級友は、女生徒を見て鼻の下を伸ばしていた。見た目は悪くはないからだろうか。


「治療は救護班がやったから、礼を言うのなら俺じゃなく救護班のスタッフじゃないの?」

「呼んでくださったのはアレクセイ様ですし」


 変に食い下がってくるし、いつの間にか隣の空いている席に了承もなしに腰掛けていた。


(なんだこの女。馴れ馴れしいな……)


 少しイラッとしたが、ようやくデザートが来たので無視してベリー系のムースを黙々と食べ、カップの中に残っていた紅茶を飲んで切り上げる。


「悪い、用事思い出したから先に行く」

「おう」


 級友は女生徒に興味があるらしく、そのまま継続して話すようだったので置いていく。


(あんなのは殿下に近付かせたくないな。──近付かせないようにしないと)


 そう思った瞬間、数日前に邸で会った宰相夫人から渡されたものを思い出す。


(宰相夫人はを見越してこれを俺に渡したのか?)


 俺は首にかけたペンダントを意識した。魔術特化した人間なら魅了チャームの発動にも気付いたかもしれないが、生憎そういった知り合いは今、海外へ留学していた。

 級友から後で聞いた話だが、あの女生徒はアーンナ・クズネツォヴァという男爵令嬢で、二つ下のクラスの編入生らしい。





 それからクズネツォヴァ嬢に事あるごとに絡まれるようになった。無遠慮に話しかけてくるので心底うんざりしていたら、留学している級友ビクトルから手紙と一緒に少し早いお土産が届いた。

 手紙は要約すると、『母から頼まれた物を送った。お前の赤い髪は目立つから標的に発見されやすい。元々はファッション用のものだが、移動時はこれを使って標的の目を撹乱しろ』と書かれていた。

 逃げ隠れするのは大変不本意だが、アレに絡まれたところを見たらしいイリーナが目を三角にして怒るし、ああいう斜め上な存在には関わらないほうがいい。

 その手紙には『ロマーン殿下の分の魅了チャーム避けを今用意しているところなので、殿下の様子を時々見てくれると助かる』とも書かれていた。


「ロマーン殿下の分を用意している、って事は殿下はお持ちじゃないのか?」


 王太子殿下が持っているので、第二王子にも魅了チャーム避けは配布されていると思っていただけに、その事実は驚愕だった。

 早速お土産の入った小さな箱を開ける。

 二つ折りの紙が中に入っていたのでそれを開くと『自分の指のサイズを参考に選んだので、サイズが合わなかった時はそちらで調整してくれ』とビクトルの字で書かれていた。

 箱の中身は小さなガーネットが嵌められたシンプルな指輪だったが、手紙の内容から察すると髪の色を変える指輪だとわかる。それを早速右の中指に着けて、箱の内側に書かれていたスペルを唱える。


《染色》


 唱えた途端、髪の色が鮮やかな赤からダークブラウンへ変化した。鏡のある自室の洗面所へ移動すると、いつもと違う印象の俺の顔があった。





 翌日、放課後になるとすぐトイレへ移動して個室に入り髪色を変えた後、クズネツォヴァ嬢の待ち伏せを突破してイリーナと待ち合わせていた場所で落ち合う。


「茶色の髪のアリョーシャも素敵ね」

「そうか?」

「でも、いつものあなたの方がもっと素敵」

「……そうか」


 髪色が変わってもすぐに俺だとわかってくれたイリーナに殺し文句のような台詞を極上の笑顔で言われたので、思わず照れてしまった。

 久々にまったりとした放課後を迎えられてホッとした時、教師陣専用のサロンへ続く通路を、お茶やお菓子を乗せたワゴンを押す執事とその後をついて歩くメイドの姿が見えた。メイドの方に何故か見覚えがある気がしたが、メイドとしてここにいるはずの無い女性だったので、他人の空似だろうと片付けた。


(気のせいか……)


 ──気のせいではなかった事を、俺は数日後に思い知る。

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