第55話 ふたり

 がたがた震えているレノーと二人で、宿屋を訪れた。貧しそうな子供二人の旅に、宿の女将おかみが興味をしめした。どういう旅なのかをかれて、フェミは、都のとある花屋の主人の使いでこちらの方まで来たと言ってのけた。


「お泊りでいいの? それとも休憩? そちらの男の方、具合が悪そうだけど」

「……一泊します」

 宿代は前払いします、横になっていれば、病はたぶん治るから。そうつけ足して、代金を払ったりした後、二人は個室にこもった。


 レノーの身体の震えはおさまらなかった。フェミは彼をベッドに寝かせて、真夏だというのに毛布まで掛けた。果物を切って来る、と告げて部屋を出ようとした彼女を、レノーが引き留めた。


「頼むから、フェミ……一人にしないでくれ。そばにいてくれ」

「どうしちゃったの?」

「怖いんだ。それに、ひどく寒い」

「レノー、温かくして。それに、すこし眠って」

「眠るのも怖いんだ」

「馬車の中で眠ってたじゃない」

「さっきのことで、何かが」

 レノーは大きく震えた。

「何かが変わってしまった。もう能力も消えてしまった。いまは、眠るのが、怖い」

 ぬるま湯をもらって来るから、待っていてと言うフェミを、レノーは何度も引き留めようとした。

「薬を飲まないといけないわ。心配いらないから、ここで待っていて」

 フェミはレノーの荷物から、彼の薬を取り出した。ミルダムを出る時にはたくさんあった薬が、もうほとんどなくなりかけている。

「だいじょうぶだよ、レノー。こんな時しか、あたしは役に立たないけれども、あたしはレノーを見捨てたりしないよ」


 トーンドーンで彼が体験したことが、彼女も恐ろしかった。


 (もし追われていたら……? 違う。彼は人をあやめるようなことはしていない。彼はもう、クフィーニスでさえもない。ただの哀れな、病人なんだ。長い間、彼は異常な状況下にあった。彼の精神が異常をきたしてもおかしくない。とにかく何とかしてこの状態から脱け出して、あの分岐点まで行ってペタリンたちを待とう。あたしたちが組めば最強なんだ。アルルはたしかにそう言った。子供だって、四人で力を合わせれば、大人よりも強くなれる、リサクもそう言っていた)


「都に戻るしかない」

 フェミはそう判断した。

「ヨサ母さんの知り合いに会う。だれか大人に頼るのも一つの手だよ。どんな人かは聞いていないけれども。それにあたしたちは二人きりでもない。アルルとクルルだっているんだから、ね、レノー」


 彼女はお湯を沸かしてもらいに行った。

 彼が薬をせんじたものを飲むのを眺めながら、彼女は考えが定まらなかった。


 (もう一度トーンドーンへ行って、調べるべきなのではないか? でもそれはクルルとアルルがして来てくれるかも知れない。レノーはもうクフィーニスらしくもないし、実際にクフィーニスではなくなってしまった。レノーにいったいどんな罪があると言うのだろう? 医者とその助手が発見されるのなら、医者が殺した、地下牢に鎖でつながれたクフィーニスも見つけられるだろう。レノーはだいじょうぶなはずだ。クルルとアルルが心配だ)


「フェミ……」

「どうしたの?」


 彼はベッドの上で、何かを言いたそうにもじもじしている。口を開いて、恥ずかしそうに、言った。


「フェミもこっちに来て」

 彼女は急に体中が熱くなった。


 (こんな時に、この人は)


 でも、と彼女は考え直した。


 (レノーにしたら、無理もないんだ)


 彼女は余計なことをいっさい考えまいとした。レノーの横に、無言ですべり込んだ。二人はにっこり微笑み合った。でも彼女が感じたのは、彼の目が何と深い悲しみを宿しているかということだった。


 毛布の下で、少年と少女は手を握り合った。


 二人とも、自分の心臓の鼓動が相手に聞こえるほどなので、なおさら顔を熱くした。レノーはフェミの手を彼の心臓の上に持って行った。それは彼女のものと同じほど速く脈打っていた。フェミも彼の手を、自分の胸にはわせて引いた。

 彼女はここふた月ほどで、おどろくほどやせていた。ふっくらしていた頬はこけ、腰から脚にかけてもほっそりしてしまった。胸も真っ先にやせた。

 でもその胸を、レノーにさわってもらいたかった。レノーは不器用だった。彼女は服を脱いだ方がいいのか、迷った。急に思いついて、言った。


「レノー、干したトロムトロ、持ってきて」

「何で、トロムトロ?」

「いいから……ばか」

 レリッシュにきちんと学んだはずの少年は、ちょっと古びたトロムトロの実を一つ、持って来た。二人は代わりばんこにそれを食べた。

「初めて食べた時を思い出す」

「どうしたの」

 レノーはカヌウの村で初めてそれを食べた時のことをフェミに話した。二人は笑いながらトロムトロを食べ、そして酔った。レノーが真顔で言った。

「フェミ、怖くない?」

「ちょっと怖い」


 レノーは彼女の指の爪を優しく撫でた。それからゆっくりと彼女の服を脱がす。彼も着ているものを脱いだ。彼女は静かに待ち、すべてを受け入れようとした。彼の悲しい目を見ないようにして、唇を交わす。

 レノーは歌姫に教わった通りにしようとしていた。が、興奮して我を忘れている。フェミはそれでも気持ちよかった。レノーの指や唇がどんなに彼女の心に灯をともすか、初めて知った。あたしはレノーに包まれている。どきどきするのに安心でもある。彼が触れた所に感ずる甘いしびれ。

 ところが突然彼の動きが止まった。


 (どうしたのだろう?)


 フェミは目を開けた。彼はもう悲しい目をしていなかったが、言った。

「ごめん、フェミ。俺、ちょっと調子が悪いみたいだ」

 彼の息はトロムトロの匂いがした。彼女は手で、何が起きたのか、何が起きなかったのかをさとった。彼女も失望し、悲しくなった。でも彼女は彼に謝った。

「レノー、ごめんね。トロムトロがいけなかったんだ。あたしのせいだ」

 レノーはびっくりしてそれを否定した。

「フェミのせいなんかじゃない。これは、俺がいけないんだ」

 二人は何も言わず、抱きしめ合った。長い時間が過ぎて、フェミはレノーに問いかけた。

「レノー、あたしのこと、好き?」

 レノーの瞳に明かりがともった。

「ムネの町から、ずっと」

 彼は言い直した。

「ずっと前から、フェミが好きだよ」

「あたしも」

 フェミも言い直した。

「あたしもレノーが好き」

 夜はまだこれからだ。あらためて、レノーは男に、フェミは女になろうとしていた。

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