第51話 ミル

 そしてまた彼は闇の中にいた。この地下室には窓がない。闇の中に、牢の中にもう一人だれかがいることを認めた。やはり鎖でつながれているその者は、レノーと同様にぐったりしているのか、息差しの音がしている。時おり、その者やレノーをつないでいる鎖がじゃらりと音を立てる。男なのか、女なのかも、表情さえもよくわからない。


 レノーは恐怖と、どこか安心感、そしてフィルに対する怒りがこみあげて来た。うめき声を上げているその者の声は、男だった。レノーに話しかけた。


「……クフィーニスか……」


 (さまざまな幻覚を見てそれが変わるたびに、いちいちどれだけの時間がっているのだろう? これは幻覚じゃなさそうだが……)


「……クフィーニスです……おれが鎖でつながれて……どのくらい時間が?」

 男は苦しそうに息をしている。しばらく間があってから、男の声が聞こえた。

「俺はずっと薬を打たれている……お前もそうなる……助けてくれ……」

「………」

「………力を使えるか? ………」

 レノーは能力を使おうとしたが、暗くて、またどう映像を結べばよいのかわからずにいた。頭もボーっとしている。霧に包まれているみたいだ。男にゆっくりと時間をかけてそのことを説明した。

「………おれもそれで……苦労している……フィルたちが……来た時が……チャンス……俺は強い薬で……思うように……力を使えない……俺を……治療できるか?」

「治療?」

「治療の技を……知らないのか……」

 男はゆっくり、途切れ途切れに話した。口調もはっきりしなかったが、レノーは何とか聞き取ることが出来た。

「光のしずくを思い浮かべろ……光の……雨でもいい……俺の頭から……全身にかけて……しみわたるように」

 レノーはぼんやりした意識の中で、それを試してみた。男がいる方を向いて、握りこぶし大の光のしずくを思い浮かべる。

「あなたの名前を」

「……ミル……」

 レノーはミルの姿を適当に思い浮かべ、頭から光のしずくを落としてみた。一滴、二滴、三滴……。

「……どう……?」

「……だめだ……」

「俺は……ブロンドの……髪が伸びている……肩まで……やせているが……筋肉質……背が高い……壁に……もたれて座って……いる」

 レノーはもう一度それを試みた。一滴、二滴、三滴……。

「……どう……?」

「つづけて……くれ」


 診察室ではフィルとレルムが話し合っていた。


「昨日話した通り、あのドブシャリがおそらくレノーの荷物を持っている。きっとまだトーンドーンのどこかにいる。ほかにも仲間がいるんだろう、どうするか……」

「そもそもあのカフェにいたということは……」

「ふふふ。きっと例の亡霊にでもまどわされたんだろう。散歩に出て、レノーたちを見つけた時はぞっとした。いきなりクフィーニスがどうとか言い出していたのだ。そしてあの手から腕に巻かれた包帯。こいつはクフィーニスに違いないと思った」

「……ミルの注射がそろそろでは?」

「ああ。そろそろだな。あいつもしぶとい奴だ。まだ何も聞き出せない」

「レノーも注射ですね? ミルと同じものを」

「いや、あいつは、レノーはほぼ力が弱いようだから、また昨日の粉薬と同じものの注射を、昨日の三分の二の量で」

 了解しました、では用意します、と言ってレルムは室内を動きまわり始めた。


「……まだですか? ミル」

「すこし……めて来た……」

 レノーは光の雨をミルに降らしつづけていた。彼だって頭がぼんやりしている。

「……チャンスは一度だ……俺は……お前を逃がす」

「……ミルは?」

「逃げられないかも知れない……まだ朦朧もうろうとしている」

「あの二人を……倒すの?」

「……そのつもりだ。お前に出来るか?」

「わかりませんが……あんな奴らなら……可能かも」

「……能力で……人を傷つけたことは? くそ……また……意識が……飛びそうだ」

「クフィーニスの力を……人に使ったことは、ないです」

「……俺は……あるんだ……俺が……やる」

 ミルが急にせき込み始めた。

「ミル、だいじょうぶ?」

「……時間がない……やはり、お前がやれ、レノー」

「俺が、あの二人を、クフィーニスの力で……?」

 はぁはぁ息をしながら、ミルが答える。

「それしか……助かる道が……」


 レノーは《せんりつ》戦慄した。ウダツでセイルに対して覚えた怒りがなぜか、いまはなかった。

 アグロウがクフィーニスの力で人々をあやめたことを思い出した。


 (俺も、アグロウのように……?)


 その時階段を下りて来る足音が近づいて来た。フィルとレルム、複数の足音だ。緊張が走る。


「まだぐったりしたふりを……しろ」

「はい……でも俺もまだ、ぼんやり……」


 地下室の扉が開けられ、ランプを持ったフィルと、銀の皿の上に二本の注射器をせたレルムがあらわれた。ミルもレノーも鎖につながれたまま壁にもたれ、うなだれている。地下牢のじょうはずされ、かんぬきをフィルが取り外そうとした時。


「……いまだ」


 レノーは重いまぶたを開けて二人を見た。考えている暇はなかった。地下牢の鉄柵を切って押し広げる映像を思い描いたとほぼ同時に……。


「待て。まだだ」


 ミルが小声であわてて必死に言ったが、間に合わなかった。四人の間にある鉄柵がひしゃげ、大きな穴が開いた。フィルとレルムは驚いて硬直した。ランプの炎が強く揺れ、レルムが持っていた皿から、注射器が二本とも落ちて割れた。フィルが腰から銃を取り出した。それからのことは、ほんの一瞬に起きたことだったが、四人とも、まるで長い悪夢を見ているみたいに感じられた。


 レノーが鉄柵を突き刺そうとしてフィルの首を見詰めようとした時、レノーの鎖につながれた手かせがはずれ、彼は横向きに吹き飛ばされた。ミルはその二つをやってのけると、一度にフィルとレルムの身体を鉄柵のかけらでずたずたにしようとした。レルムは恐怖のあまり硬直したままだった。フィルが狙いをレノーからミルにとっさに変えると、ミルの胸を撃った。ほぼ同時に、レルムとフィルの身体がめちゃくちゃに鉄柵のかけらによって引き裂かれた。


「ミル! ……どうして」


 返事がない。レノーはあまりのことにパニックにおちいった。四つんいになって、ミルのもとへにじり寄った。


「ミル! 治療法を!」

「どうしたらいいんだ!」


 三人とも絶命していた。それでもしばらくレノーはミルの命を助けようとしていた。光のしずくや光の雨をミルの身体に降らせてもみた。だがやっと、完全に彼が死んでいるとわかると、落ちて割れたランプの炎を足で踏み消した。


 ためらってから、レノーは地下室の扉を開けて閉め、階段を駆け上がって行った。


 フィルの館を出て、突然別世界のような太陽の光を浴びると、彼はクルルを探して走り出した。

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