第47話 トーンドーン(その1)

 リサクの置き土産みやげのおかげで途中まで駅馬車で、それから二手に分かれて河を舟で下ってそれぞれの目的地へ行けることになった。レノーにとっては、時間の節約がありがたかった。


 季節は盛夏せいかをむかえようとしていた。熱気でゆがんで見える緑が立ち並ぶ街道を、時には土ぼこりの舞う道を、舗装された道路の上を、レノーたちは馬車に揺られ、大汗をかきながら、また水を補給しては口を潤したりしながら分岐点ぶんきてんまで行った。


 道はその谷間で河と交差し、フェミとアルルが近くのビックリフまで、クルルとレノーが遠くのトーンドーンまで舟に乗って河を下る。


 夏の河下りは楽しかった。青い空に白くき立つような雲、暑い日差し、緑に囲まれていて、冷たい水にふれる爽快感。クルルはペタリンが泳ぎ達者であることをレノーに披露した。舟から河に飛び込み、自由に泳ぎ回って河からまた舟へと飛び乗ることが出来た。

 クルルはダグラからの逃亡を彼に思い出させた。暑さが回って来ると、クルルも素っ裸でいることに抵抗を感じなくなるらしい。レノーはひざまでのパンツと半そでのシャツを着ていた。

 船頭は長いさおを巧みにあやつって、舟を安全に川下へと運んだ。クルルはそれよりもすばやく泳ぐことが出来たし、口に小魚をくわえて舟に飛び上がって来ることもあった。


「クルル、素晴らしいよ。俺もペタリンだったら、自由に泳げるのになぁ」

 クルルは自分の荷物から紙を出して、書き付けをよこす。舟の上だけに字がおどっている。


『あたちは人間になりたい』


 クルルが人間だったら、きっとすごく人気のある美女だろうな、そんなごとをレノーは話した。


 澄んだ水の匂いはすばらしかった。レノーは自分たちの身体から、悪い気が抜けて行くのを感じていた。クルルは鼻歌をしてぶぎゃぶぎゃ歌うこともあった。


 (順調だ、トーンドーンに期待はしない方がいいだろう。けれども「あかし」やチギレに関する何かの手がかりを得られるかも知れない。

 トーンドーンはどんな町なのだろうか。金色の海を見に、たくさんの人たちが集まって来るのか? あの図書館で、チギレに関する本の借り手はいなかったようだが、それでも書物が出ているくらいだから、もしかしたら観光地かも知れない。そこがチギレだという一抹いちまつの夢を見に、来るのかも)


 都を出るまでに、レノーはクフィーニスに関する情報が、いい加減で内容もばらばらに人々に伝わっていることを認めていた。表立ってクフィーニスに敵愾心てきがいしんを燃やす連中は実のところとても少なく思われたし、クフィーニスを知らない者もいた。アグロウとクフィーニスは関係ないと思い違いをしている者までいた。クフィーニスの実在を信じない人がいることにレノーは驚かされたし、彼は故郷に帰らなくても、都の人々のように暮らしていけるのではないかと希望を持ち始めていた。


 (クフィーニスはどこにもいない。アグロウのこともチギレのことも何もわからなければいい。赤い手さえだれにも見られなければ、俺は一人でもやっていける。むしろ問題なのは、俺が病んでしまったことの方だ。俺の世界観はいったいいつからこんなにゆがんでしまったのだろう?)


 レノーはフェミやペタリンたちと離れたくなかった。勝手な願いかもしれないが、ずっと皆でやって行きたかった。


 (チギレで何も見つからなければ、都に戻って、都で暮らそう。俺はたぶんもう、そんなに危険な状況にもないんだ。都に住んで、四人で楽しく暮らそう)


『船着き場でちよ』


 書き付けを見てレノーは顔を上げた、いつの間にかうつむいて考え事ばかりしていたらしい。

 船頭は舟を船着き場によせる。河はまだ続いているように見えるが……。だがやはりそこがトーンドーンの町だった。クルルが軽々と舟から飛び降りた。レノーも陸に上がった。

 地面がゆらゆら揺れている気がした。さらに階段を上がると、もうそこに町があった。


「ようこそ、トーンドーンへ」


 通りに沿って土産物屋みやげものやが並び、絵描きやら露店ろてんやらも目につく。


「なんだこれは……思った以上だ、これは、はずれだ、きっと」

 なぜかこんな観光地がチギレであるはずがないという気がした。帽子と服を身につけたクルルも渋い表情だ。二人はとにかく町の中を歩いて行った。


「チギレ海岸はこちら」


 そんな案内板まであった。くだらない矢印の通りに歩きつづけて、ある角を曲がった所から海が見えた。いや、さっきから時おり海は見えていた。だがレノーもクルルも海を見るのが初めてだったから、そうとは気がつかなかったのだ。


「何だ? これが……海?」

『レノー、あれがぜんぶ海じゃないでちょうね?』

 クルルも青い海に疑念を抱いていた。


 (あれじゃ、魚がどんなけいるのか、わからないわ。大き過ぎる。それに妙な匂い)


くさい」

くさいでちよ』


 二人は何も知らない山と河の者だった。どこからか煙が立ち昇っている。

「チギレ名物、アグロウの干物」

 変な魚にアグロウの名前をつけて、干物ひものを焼いて売っている。まだ焼いていない「アグロウ」も台に乗せられて売られていた。

「それで、クルル。ほんとに、ここが金色の河口なのか?」

 クルルは右手を指した。


「チギレ展望台はこちら」


 そして展望台までは馬車で。河口まではまだ距離があるらしい。二人はしかたなく馬車の世話になろうとした。だがちょうど他の馬車はみな、乗客を乗せて行ってしまった。どうするか、と迷っていたところに、一台の馬車がやってきた。他の馬車とは違う型のものだ。御者は顔がよく見えなかった。だがレノーたちは展望台へ行くものだと思って、それに乗り込んだ。しかし、レノーたちの乗った馬車は、ほかのものとは違い、進む方向も違っていた。馬車道は大きく遠回りをして町のもと来た方へと戻って行った。やがて林道があらわれる。すこし登り道を行くと、河に沿って道が走り始めた。

「これじゃ逆向きだ」

 レノーが気づいて言った、クルルもうなずいた。馬車は川沿いのカフェの前で停まった。その時二人は、何かとても奇妙な感覚におかされた。


「金色の河口まであと一時間!」


 何かと疑って振り返ると、そこからは河口までずっと河を見渡すことが出来る。たしかに陽はその先の海に沈もうとしていた。


「金色の河口まであと一時間!」


 どうやら河口まで行くのに一時間かかるのではなく、あと一時間で河口が金色にそまるようだ。レノーはカフェに空いた席があるのを見つけ、クルルを誘った。ギャバ、とうなずいたクルルと手をつないでカフェに上がって、河口がよく見えるように椅子を動かして腰かけた。


 (トーンドーンで金色の落陽を眺めることにどんな意味があるのかわからない。ここに来たのはきっと間違いなんだ。クフィーニスに関心のある者たちが集まって来るために、俺にとってはむしろ危険な場所なんだ。とはいえ、いちおうここがほんとうにチギレである可能性だって残っている)


 レノーは舟の中で考えていた通り、もう危険な冒険をする気をなくしていた。 

 (『あかし』は見つからない、カヌウも言っていたじゃないか? 故郷に帰らなければ、いまの俺たちなら都でやっていける)


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