第30話 恵まれた人
出発前に知った事柄を思い返しながら、屋敷と広い庭の木立が交互に見えてくる高級住宅地を歩く。やがて目指す屋敷が見えてきた。
時計を見ると約束の時間まで少しある。僕たちは木陰で待つことにした。
セロ先輩に聞きそびれていたことがあった。
「僕の前任者について知っておいたほうが良いでしょうか? ……やめた理由も気になります。今日の件と関係あるんでしょうか?」
前半はユーミズ家の人たちと面談に備えてのまじめな質問で、後半は興味本位だ。
「知らなくてもこれと言って困ることはないでしょう。私たちが屋敷を訪れたのは2回……前回の面談と先代の葬儀だけですから。先方も私たちをよく知っているわけではありません」
そよ風が暑さを和らげる。木立がざわつき、おさまるとセロ氏が話を再開した。
「強いて言えば……あなたの前任者ロムさんは魔力はなくとも、魔力とは何かを知ろうとする姿勢でいました。魔力を持つ人々の助けになればという考えだったようです」
学ぶ気もないお前とは大違いだよ、と言われたようで気まずい。
「やめた理由は、ユーミズ家の件とおそらく関係ありません。影響は皆無でもないでしょうが……」
また風が吹いた。枝が揺れると、セロ氏は身長が高いので日影に頭が収まりきらない。眩しそうに片手をこめかみにかざしていた。
「ロムさんの転職先は、元魔人狩りの更生施設です。
勝手な想像ですが……彼には、魔人狩りから足を洗おうとする人々こそ、彼の助けを必要としているように思えたのでしょう」
「…………!」
更生施設にあまり良い印象はない。
先日、脱走者を出したところだ。そいつがローラと鉢合わせしたらどうなることかと思った。僕が生きていたら寿命が縮むところだったぞ!
もちろん施設の必要性は認める。ロムさんとやらに対する印象はまだ保留だ。
また時計をみた。このところずっと誰かに聞いてみたかったことがある。まだ大丈夫だろう。
「セロさんは……魔力のある人とない人と、どちらが幸せだと思いますか?」
セロ氏は空を仰ぎ、次に下を向いて眉間に縦皺が浮かんだ顔を見せ、そして縦皺が消えた。
「人による、としか。私如きがそれ以上何を言おうと雑な一般論にしかなりません。しかし本音を語れば長くなりますから、いまは辞めておきます」
ニヤリと笑ったのが自嘲かもしれないから、僕は笑えなかった。
「ユーミズ家の人々などは、別の意味でもまさに恵まれた側に見えましたが……一般論でいうと、恵まれた人にも苦しみはあるということを頭の隅に入れておいてください」
僕はじっと聞いているが、ローラとその弟妹の整った顔が次々に思い浮かんだ。
「比べないことです。目の前の相手と、他の人と、自分とを。
簡単ではないでしょうが、現場にいる間だけは、ね。では、そろそろ行きましょうか」
「はい!」
* * *
門まで出迎えに来た使用人に案内され、夏の花と緑に彩られた庭を通って屋敷の入口に着いた。
じつをいうと前情報から、重苦しい雰囲気の家という印象があった。男子の跡取りにこだわる一方で娘を籠の鳥のように扱う家……。
とはいえ、中に入れば直射日光から逃れ、涼しさまでも感じられて快適な室温だ。
「ようこそ。お待ちしておりました」
夫人を伴う若い紳士が、まずセロ氏、つぎに僕の順に握手した。
「先日はありがとうございました」
紳士の言葉にセロ氏が頭を下げた。先代の葬儀に参列した件だ。
それから互いに初対面の人物を紹介しあった。
今の当主カルロ・ユーミズ氏と夫人のルティアさんは、気さくな雰囲気の人たちだ。旧弊な一族と予想していたのが申し訳なくなった。
ミミ族の夫婦はどちらも、壁に掛かった肖像画の誰とも似ていない。そういえば、老婦人の父親はキバ族だった。
「どうぞこちらでお待ちください」
僕たちを応接間に通して奥さんは2階に上がってゆく。やがてノックの音と彼女の声が聞こえた。
「ロザリーさん、約束のお客様が見えましたよ」
「ロザリーさまって?」
僕は困惑した。老婦人の名前はメリメではないのか。いっぺんに新しく覚えるべき名前と顔が、これ以上増えないでほしい。
セロ先輩にこっそり尋ねたつもりが、答えたのはカルロ氏だった。
「
そこで妻が、義伯母を新しい愛称で呼ぶことを思いついたのです。……今そうしているのは妻だけですが」
許されるなら僕もそう呼ばせてもらうことにしようか? 資料をしっかり頭に入れたつもりだが、自信がなくなってきた。
やがて上品な老婦人が、ルティア夫人に支えられて応接間に入ってきた。足腰が弱っているのだろう。しかし故人となった先代の当主よりも年上だとは意外なほど、しっかりして優雅な印象だ。
「初めまして、メリメ・ユーミズと申します」
「初めまして。モローと申します」
「そちらの方……セロさんには先日はご足労いただきました。モローさんは、少しお背が低くていらっしゃるから……なんだかセシルの子供の頃を思い出してしまいましたわ」
老婦人は懐かしげに目を細める。背丈のことを言われたくなかったが、好印象につながったならこの際、良しとしよう。
メイドさんがワゴンを押して、眺めた事しかなかったような洒落た茶菓を運んできた。緊張で味がよく分からない。
セロ先輩は、給仕されたものを飲食し終えるころには、今後のことを僕に引き継ぐ旨を依頼人たる老婦人に話していた。
「それと、以前もお伝えしましたが念のため。今日お話しされたことは、当相談所の記録に残ります。記録の内容が外部に漏れることはありませんのでご安心を。彼は口の堅い新人ですのでね、よろしくお願いします」
そして、そつのない別れの挨拶をして先に応接室を出た。事務所で聞いたようにサリアさんを手伝うのだろう。
老婦人がすっかり人払いをして、二人だけになると僕は心細くなったが、そんな場合ではない。老婦人はこう前置きして、身の上話を始めた。
「一つ屋根の下でともに暮らす者の秘密は重い荷物ですわ。ですから家の者には聞かせないことにしましたの。けれどあなた方は、他人の秘密を守ることに慣れていらっしゃるでしょう……」
(続く)
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