第27話 俺には心が二つある
この辺りはスリが多いのだ。
大事な封筒を取られないうちに、ひとまず帰ろう。
路地を出ようとすると、壁に手をついて遮られた。ラケル氏の緑色の両眼が僕を見下ろしている。
「探して損したぜ。まだここにいたんだな」
封筒をしまうところを見られただろうか。もし見せろと言われたら……?
「ローラ、だろ。分かるさ」
「つけて来たんですか。どうして……!」
「予定が本当にあったなら、お前はもっと早く言うだろ。あの状況でお前に急用が出来たとしたら、あの女の動きを察した以外にない」
たしかに。
でも、あの時すぐ追いかけなければローラに会うことも、再会の約束もなかった。
「で? 見失っちまったのか?」
見失わなければローラと居るはずだと、ラケル氏は判断したのだろう。正直に答えるべきか?
……と思案する最中に気づいたのだが、ローラの気配が感知できなくなっている。
本当に見失ってしまった!
「はい……」
ラケル氏は僕を哀れむ目をして、壁から手を離した。
「この塔には、魔力感知を妨げる仕掛けも一部の場所にある。それも関係してるかもな」
だとすると、居場所の候補が絞られてくる。有効な手掛かりだが、それはラケル氏にとっても同じだ。
氏の吐息に酒の香りがまだ残っていた。
「俺がお前たちに関わるのは、リデルの願いがあるからだ。
お前があの女を手にかける時……苦しませないでくれって……。
文句一つ言わず尼寺へ行った妹の、我儘のうちにも入らない願いだ。お前次第なんだから、しっかり見届けないとな」
リデル様はローラに同情的らしいが、それでも掟どおりにローラを排除するのを已むなしと思っているんだな。
「だが、いくら妹とはいえ、二度と会わない者のために手を尽くせるかというと……自信はない。残念ながら俺はそこまで意志が強くない」
どういう意味だ? もしかしてローラと僕を一緒に匿うように手を打ってくれる? そこまで期待できないか。いや、でも。
「俺には心が二つあるんだ……。妹と俺に今生の別れをもたらしたお前たちを許せない。あの女には死ぬまでの一時、お前には永久に……苦しめてやりたいと思わずにいられないんだ」
氏のいつかの言葉が空しく思い出された。曰く、リデル様がいちばんやさしい。
「今日のところは仕方ない。行けよ」
ひとまず解放された。
部屋の物入れに封筒をしまいながら、ふと気づいた。
ラケル氏は僕たちを憎んでいるが、双子の妹リデル様の願いを尊重しようとしている。そしてリデル様は早く始末することを望んでいるとは言っていない!
今日は良い日だ。
ローラと念願の再会を果たし、また会う約束もした。大切な思い出を取り戻した。
未来は僕が思ったよりずっと明るいみたいだ。
ローラとの思い出を反芻しながら、まだテーブルの上に残っていた肉を食べる。
とっくに冷めていたが値千金の味だ。
ローラ、そのうち熱々の肉を食べよう。
さっき思い出した森の中での出来事は、僕にとって僕の過去の最重要事項だ(抱擁とキスをまだ過去と呼びたくない)。
ただ、思うにローラと僕が一緒にいるときに起こったことに限られているようだ。
出会う以前のことはまだ思い出せないし、疑問も増えた。
まず、ローラには僕に想像もつかない悲しい背景があるらしいこと。
隠し子を父親の城に引き取っていながら、その存在を妻の子に知らせもしないことがあるだろうか。
子供同士の争いを避けたいとしてもあんまりじゃないか。
また、兄妹はいつ知ったのか。
ローラを捕らえた男たちもジュゼット一族らしい。なのに魔人狩りと戦っていたとき手を貸してくれなかった癖に、庇い立てするのしないのと全くおかしな事をいう。
そして僕自身のこと。
辛いときにローラに救われたこと自体はとてもしっくりするのだが。
なぜ僕は「何もうまくいかない」などと思っていたのか。
僕がローラに出会ったのは、エレンたちを故郷の村から逃したあとのようだが、彼女たちが助かったことを知らなかったのか。
僕に魔力はないが、魔女の息子とはどういうことか。魔力は強さや性質において、血筋の影響を受けるものであるはずだ。
どれも考えても分からないことだ。
テーブルの上を片付けて、また封筒の中身を読み返す。
ローラ自らしたためた手紙と、入場券らしきものが入っているのだ。
「あなたにこれをお渡しすることができ、とても嬉しく思います
金のトークンを手配しているところです
もしトークンが届く前に会いたいときは、この入場券をお使いください
署名欄に記入すれば、6階の入り口を通れます 一度きりなので、よく考えてください
もちろん、トークンが届いた後は、入場券に関係なく自由に出入りできます
また会えるときを待っております
ローラ」
ローラの手書きの文字を眺めているだけでも嬉しさがこみあげてくる。
僕はろくに学校に行かなかったらしい。
文章を読むのは遅いし、難しい言葉は分からなくて書類仕事は先輩たちに教えてもらいながらしている。
そんな僕でも分かるように書いてあった。
入場券のほうには、表も裏も複雑な文様がぎっしりと刻まれている。僕には分からないが、もしかしたら意味があるのかもしれない。その意味でも簡潔な手紙はありがたい。
リボンのような曲線でふちどられた四角い枠が2箇所あって、一つは空欄、もう一つにはローラの名前が書いてある。
空欄のところに名前を書けば良いわけだ。
さっそく書こうとして、思い留まった。
入場券は一度しか使えないとあるし、今すぐ6階に行っても意味がない。
いま署名したら気持ちを抑えきれなくなりそうだから、ペンを小物入れに戻した。
ローラは僕に入場券を渡すためだけに来たのではない。さっきは用事があって出てきたところらしいから、それが済むまで6階の住所に帰らないだろう。
用がいつ済むか、金のトークンがいつ届くのか分からないが、券をいま使うのは早すぎる。
一時的なものだろうが(そうであってくれ!)ローラの気配を感知できないのも気掛かりだ。ラケル氏の説が正しければ、彼女が6階に帰ればまた感知できるだろうか。
ローラの名前のところを見て、いま気づいた。名字がジュゼットではない。
偽名か、それとも匿ってくれた人の名字か。ローラの声が脳裏に蘇った。
「あの人になんとかしてもらうわ」
あの人とは、ローラにとって何者なのか。
僕の未来はまだ、思うほど明るくなさそうだ。
そうだ、ナイフを研いでおかなくては。
(続く)
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