第22話 判明する過去の断片 2
話し終えたエレンが水を飲むのを、僕はまるで遠魔鏡でも隔てた遠いところの出来事のように眺めていた。
というより、彼女に顔を向けた格好のまま固まっていた。
エレンたちの住処に火をつけたのも、その魔人狩りの男なのか、とか。
火事の被害はどうだったのか、とか。
もしかしてローラと僕が出会った場所もそのあたりなのか、とか。
お嫁に行ったお姉さんに似た人をどこかで見た気がする、とか。
引っ掛かる点はいくつもあるのに、ただ一つの事柄の衝撃が大きすぎて信じられない。
彼女が嘘をついているとは思わないが……。
「本当に僕なのか、その男は……」
「声が同じだよ」
幼い声をあげたのは、ずっと大人しくしていたメリッサだ。
「あのとき箪笥の中で聞いてた男の人の声は、お兄さんの声と同じだよ。
もっと言うとね、足音も同じ。靴のぶんだけ少し違うけど」
盲目の少女の耳の良さに感服した。
もとから僕が認めたくないという以外に、そいつが僕でないと言える理由がないのだ。
「魔人狩りほど嫌いなものはないんだ……。
どうせ僕の過去なんて、聞いてて気分のいいことばかりじゃないと思ってたけど……ここまでとは……」
涙声になっていた。いま僕はみっともなく顔を歪めているはずだ。
「なんか……ごめんな……。せっかく話してくれたのに……。感謝しなけりゃいけないって、分かってるのに……」
僕の肩に優しく手を置いたのは、エレンだ。
「自分を責めるのは、もうやめて。魔人にも分け隔てなく手を差し伸べてくれる……あなたはそういう人だって、分かってるから」
僕にとってその言葉は救いだった。
まるで僕の心の奥に暗闇に閉じ込められたまま凍えていた子供がいて、それが暖かな日差しのもとへ救出されたような感じだった。
このさき何があっても、いまのエレンの言葉を覚えている限り、僕は心まで怪物にならないでいられるだろう。もう二度と。
「私は……モローさんのこと……好きです」
暗褐色の潤んだ瞳に胸を締めつけられる。
僕は勘違い野郎ではなかったが、気づかないフリをして友達でいる道を断たれてしまった。
エレンのくれた救いは、彼女の恋心に縋りつかない勇気をも僕に与えていたのだ。
彼女にとって皮肉なことに。
そしてこれも目を背けてきたことの一つだが、エレンはもしかして、こんな事を思っていたのではないか……?
初めて会ったときの出来事を知らせれば、僕がこの可憐な少女を助けたいと思った、その時の気持ちを思い出すのではないか。そのなかに彼女への淡い恋があれば……と、期待したのではないか。
本当のところは分からないが。
正直に話すべきだろう。
「……僕の好きな人は、ほかにいるんだ。その人の顔だけは覚えている……。探すために
ローラを一度見つけたばかりだが、嘘ではない。
「……そうだったんだ……」
エレンが涙をこらえて微笑もうとしているのが、はっきりと分かる。
今まででいちばん綺麗に見えた。
「会えるといいね……。応援してる」
それから、もう帰ろうと合図するみたいに妹の手を引こうとした。
メリッサはその手をとらなかった。
「ねえお兄さん、その人とは結婚とか、婚約とか、してるの?」
「……そんな関係だったらいいなと思うけど……」
これは希望的観測というやつだ。
自分でも意外な過去がもう一つあって、それがローラと結ばれたことだったら、どんなに良いだろう。
「分からないのね?」
「うん……」
「だったらいいじゃない。
お姉ちゃんがモローさんを好きでいても。
モローさんの好きな人が2人になっても。
どっちか選ぶのは後で良いじゃない」
ええええええ?!
「メリッサ、モローさんを困らせないで……」
「でも、お姉ちゃんがいつまでお兄さんを好きでいるか分からないよ。
わたしはお姉ちゃんの味方しかしないんだからね!」
僕とエレンはおろおろと目を合わせたり逸らしたりしていた。
「あと、2人の仲がどうなっても……。
私の眼をなんとかする方法が見つかったら、必ず教えてね。絶対だよ!」
そうだった……!
姉妹を出入口で見送ると、もう夕刻となっていた。
振ったり振られたりには勿体ない夏の土曜の黄昏時だ。
何もしたくなくてベッドに転がっていると、どこかから手回しオルガンにのせて歌が聞こえる。
陽気で調子良くてどこか胡散臭いその響きに、東都が夢だったころを思い出す。
僕と街をそぞろ歩くローラの幻。
楽しげな音色が哀調を秘めていることにいま気づいた。
エレンはもっと辛いんだろうな……。
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