第4話 モデル

「…大丈夫、ハルカはそのまま、自然にしてくれてたらいいよ」

「…それでいいの?」

「だってハルカはこんなに、優しくて、かわいくて、…一緒にいると、なんだか落ち着くんだ」


 王子スマイルで、臆面もなくそんなことを言うものだから、私はふらっとしてしまう。そう、思い出しただけでも。今だってほら、熱、出そう。

 ハルカだと分かっていても、私に向けられたものだと錯覚してしまう。こんなにどきどきして、もっと一層好きになる。恋愛ドラマの女優さんたちは一体どうやって、こんな気持ちを脱いだり着たりしているんだろう。


 魔法使いのおばあさんが綺麗なドレスを纏わせてくれた、これからという場面で。私は華やかな姿のシンデレラへ頭から突っ伏した。

 今日は昨日以上にだめだった。まだどこか夢のように感じてふわふわしていた昨日よりも、一緒にお昼を食べて、放課後も帰るまで少し話をして、そんな今日のほうが彼を肌で感じてしまい、ここは終始ばくばくで、もう集中できなかった。

 日課のシンデレラの時間も今夜は、ただ文字を目で追っているだけ。諦めてそっと表紙を閉じた。そこで微笑むのは、あの日、鷹矢くんと初めて会ったとき、泣いていたシンデレラ。今はもちろん涙はなく、幸せそうに笑顔を浮かべて。


 私は、あなたになれるかな?

 今はまだ、役だけれど。それでも、眺めるままでいるよりは、きっとずっと、ここを満たしていけると思うから。


 きっといつか、私も。あなたみたいに、笑ってみせるよ。




 ガチャン、ガチャン。

 あれ。私が門を閉めると、山びこのように次いで重なる音は、

「…はよ」

 隣の、林堂家のものだった。

「おはよう、湊人。…あれ、朝練は?」

「…ねぼー」

 目が半分も開いていない。トレードマークのツンツン頭もところどころしょんぼりしていて、あ、それは寝癖か。ともかく、なんだか具合が悪そうに見える。

「大丈夫?体調、悪いんじゃ…」

 私が数歩あゆみ寄ると、

「…単なる寝不足だよ、遅れんぞ…」

 ふいっと身を翻して、言い終わる前からもう坂を降り始めてしまう。

「あ、ちょっと…!」




 昨夜は、湊人のほうがぼうっとしていたというか、つんとしていたというか。「ただいま」の声は小さく、食事のときも口数は少なかった。

 もしかしなくても、鷹矢くんとお付き合いすることになった事を、私がちゃんと伝えられていなかったから。そう思い、ひとつしっかり呼吸をすると、椅子深く腰掛け両手を膝に、背筋を伸ばした。一定のペースで麻婆豆腐を口へ運ぶ湊人を見据えて、

「あのね、湊人。昨日は言い出せなかったんだけど、実は…」

 でもその蓮華は止まることなく。

「ああ。おめでと」

 ひょい、ぱく。合間に短くそう言うだけだった。

「えっ」

「もう知らない奴、いねぇんじゃね?」

 確かに昼間、一日中教室はその話題で持ちきりで、あの中にいれば、嫌でも耳に入ってくることだった。でも、伝えそびれていたってやっぱり、自分の口から言いたかったから。

 こちらを見もせず、むすっと食べ続ける湊人を見つめながら、すぐには言葉が出なかった。

「なあに?どうしたのー?」

「あ…」

「…こいつ、王子と付き合うんだって」

「みな…」

「えっ?そうなの遥ちゃん、恋が実ったのね?おめでとうー」

「あ、えと、ありがとう…」

「っそーさま」

 照れや色々で縮こまる私とは逆に、勢いよく立ち上がる湊人。いつもより格段に速く食事を終えて、食器を下げ始める。

 その横姿、背中。じっと見つめるけど、瞳で会話はできないままで、こうなるまでちゃんと言えなかったことへの後悔が、後から後から湧いて染み出す。

 それがじんと頭を重くする。まだ半分以上残ったお皿の中身に目を落としていると、

「ま、」

 トン、と、肩に、ささやかな熱をとじこめた掌。

「頑張れ」

 見上げたら、私の横を通り過ぎざま、湊人が微笑っていた。ちょっと意地悪ないつものじゃなくて、かなり不器用な一瞬の。

「ん…ありがと!」

 やっと重なる視線、見守るようなそれを、ここに入れるとほっとして、私はそれから思う存分おばさんの料理に舌鼓を打ったのだった。




「湊人!」

 滅多に一緒に登校することはなくても、出会えば並んで歩くのに。ぐんぐんと下りゆく、湊人の背中に追い付けない。だから私もムキになる。その顔色が、寝不足だからというだけじゃない気がして。

「ね!待ってよ」

「……」

 言いそびれていたことは、昨夜微笑って許してくれたんじゃなかったの?

「湊人ってば!」

 ぐりんっと、急にこちらを振り向いた。スポーツバッグの重量は、その反動で湊人の腰をしたたかに叩く。

「なんだよ」

「置いてかないでよ」

 ぶっきらぼうに言い放つその顔へ、間髪容れずに詰め寄る。後ろ歩きの湊人の横につくのは簡単だった。

「…オレと並んで歩いてっと、なんか言われんじゃねーの」

「え?」

「付き合い立てで浮気の噂はまずいだろ」

 やれやれといった表情で、意地悪く眉をへこませる。よかった、いつもの湊人だ。

「…私のこと、心配して?」

 返事はない。口を結んだまま、湊人は目だけを向こうへ追いやった。

「なんだ、大丈夫。平気だよ!」

 湊人というやつは、いつもこうなんだ。普段は図々しいくせに、変なところで遠慮する。家族同然、一番近い仲なのに。

「だって湊人は家族みたいなもんじゃない。クラスのみんなもそう思ってるだろうし」

 ね?と笑ってみせるけど、

「……オレは困んだよ」

 顔を背けた湊人の目には映っていない。

「え?」

「とにかくっ、一緒に行くのは無し!先、行くかんな!」

 すぐ隣にいるっていうのに、八重歯が見えるほど大きく、口を開けて怒鳴るものだから響く響く。

 私がその声量にたまらず目を瞑っている間に、湊人はもうあんなに遠くを走っている。さすが俊足。

 それにしても、早朝からご近所迷惑なやつだ。袖にされた私は、プリーツを撫でて鞄を肩にかける。日差しまでまだ眠そうにしている空を時折見上げながら、少しだけ歩みを速めた。




 ローファーを踵から外し、一方ずつ下駄箱へ入れていく。上履きを半ば放るようにして置くと、やっぱり片足ずつ爪先を入れる。

 そうして顔を上げたら、目の前にある掲示板。貼り出されていた物はもう変わっていた。ドラマで見かける辞令のように簡素な紙の横にあるのは、おそらく美術部の手掛けたものだ。発色の良いポスターカラーがカラフルに跳ね回っている。

「もう文化祭かぁ…」

 そこには「見鐘台高校文化祭」と大きく描かれていた。それは文化部にとっての一大イベント。このポスターの弾けるダイナミックさが物語っていた。

 高校生になって初めての文化祭。中学までのそれとは違い、クラスで結束してお店を出したり、出し物をしたり。楽しくて賑やかなわくわくが、たくさん待っているに違いない。私は掲示板を通りすぎてもなお、その渾身の彩りから目を離せずにいた。




「はーい!そういう訳でー、今日のメイン!文化祭の出し物を決めまーす!」

 肩の上でくるるんとカーブした髪を揺らして、冴子先生は今日も元気だった。朝のロングホームルームにて、一通り連絡事項を伝え終えたら、きっととっても楽しみなんだろうなぁ、ギアをひとつ入れてきたのだ。その連絡の中には、私も鷹矢くん同様の措置が取られたということも含まれていた。

「ほらあったでしょっ、掲示板。ポスターの横っ」

 美冬ちゃんが後ろから教えてくれる。きっと、あの辞令みたいなプリントのことだ。それで、今日は人だかりもなく平和な朝を迎えられたわけだ。これでパンダ気分ともお別れ。私は一人、ほっとする。

「食品衛生の管理上、食べ物、飲み物の出店数は限られます!例年三年生で埋まるので、お店を出す場合はそれ以外でね!」

 言いながら、冴子先生は黒板に「飲食物」と書いてバツを付ける。

「あと、劇や演奏で体育館を使いたい場合も、抽選になるから気をつけてね!希望するなら、委員長には昼休み、使用権を決める抽選会へ行ってもらいまーす。だから外れた時のことを考えて、出し物候補は二つ、決めておいたほうがいいわねっ!」

 続けて横に「体育館」、その下に三角を書いた。

「じゃ、クラス委員にバトンを託しまーす!」

 カツーンと黄色いチョークが溝をはね返る。勢いそのまま、ふわわんと飛びながら教壇を降りる冴子先生は、誰より楽しそうだった。


 結局出された案で多数決を取ってみると、やっぱりダントツで劇が人気で、次いで縁日、脱出ゲーム、お化け屋敷、その他色々。

「縁日って、かなりざっくりしてるような…」

「それで言うとお化け屋敷も縁日っちゃー縁日だもんねっ」

 うーん、そうかな。お化け屋敷のあるお祭りって珍しいと思うけど。それにしても具体的に何をやるつもりなんだろう。

 ざわざわと浮き立つ教室を、委員長の遠慮がちな声が横切る。

「それでは、うちのクラスは第一希望が劇、第二希望が縁日で、決定しました…!」

 ぱらぱらと起こる拍手と笑顔。今のところはそんなふわっとした感じで盛り上がり、

「はーい!じゃ、これで希望出しときまーす!委員長は、昼休み抽選会ね!忘れず生徒会室へ行ってね!」

 冴子先生も書類をまとめ、ひららんと一回転、スカートを翻しながら満足そうに去っていった。


「縁日って言ったら、輪投げ、射的、ヨーヨー掬い…」

「綿菓子っ、かき氷っ、りんご飴っ…」

「…美冬ちゃん、食べ物はNGだよ」

 次の授業が始まるまで、クラス中は出し物の話題で持ちきりだった。もっとも、皆は体育館の使用権を獲るつもりでいるようで、劇の演目を何にするかという話が主だっていた。

「ロミオとジュリエット!」

「もっとコメディのほうが良くなーい?」

「えー、例えば?」

「うーん…」

「ていうか、うちのクラスにはシンデレラがいるじゃん!」

「あ、そっか!遥!」

「…えっ?」

 私はりんご飴よりいちご飴派だという話をしていたところで、ふいに後ろから呼ばれて振り返った。

「体育館獲れたらさー、シンデレラ演ってよ!」

「ええ!?」

「ちょっとちょっと、王子役はどうすんのよ」

 唇を尖らせ、紗奈ちゃんも参戦。

「あー、そっか。蓮未くん以外と恋仲やるの、やっぱ嫌?」

「えっ?いや、そんな…!」

 両手を思い切り振るけれど、

「今さらなーに恥ずかしがってんだよ、はる。やってやりゃあいいじゃん」

 湊人までが乱暴に乗っかるから、余計に加速して。

「ほらほら。弟さんの許可も出たことだし」

「ざけんな、なんで弟なんだよ!」

 それはたぶん、湊人が子供っぽいから。なんて本当のことを言ってしまうと可哀想かもしれない。実際、誕生日も私のほうが先なのだ。

 吠える湊人には目もくれず、皆は先を続ける。

「じゃー、隣から借りてくる?王子」

「いいって言ってくれるかな?」

「おいッ」

「彼女の頼みなら断らないでしょ」

「いや、六組の他の子たちがよ…」

「聞いてんのかお前らッ」

 そしてチャイムが鳴り、そんな会話も終わりを告げる。湊人はふてくされたまま盛大に頬杖をつく。

 でもどうしよう、本当に劇をすることになっちゃったら。肩をぽんっとしていった紗奈ちゃんの目も割と本気で。あわあわする私を、何やら企みの眼差しで見つめる美冬ちゃんには、気づかないでいた。




「ハルカのクラス、出し物は何やるの?」

「一応希望は劇と縁日で出してて…」

 昼休み。今頃、委員長がその権利を懸けて抽選会に臨んでいるところだ。

 私たちはまた、気持ち良さそうにそよぐサルビアと真上から笑いかける陽射しに包まれながら、ここでお弁当を食べていた。今朝の御触れのおかげで、鷹矢くんも私も落ち着いて二人の時間を過ごすことができている。なんて穏やかな昼下がり。

「へえ、縁日ってなんだか、大掛かりだね」

 鷹矢くんは今日もサンドイッチだった。ご飯よりパンが好きなのかな。彩りまで美味しそうな蒸し鶏とアボカド、トマトのフォカッチャサンドを、溢れさせないよう気を付けながら齧っている。こんなところまで絵になってしまうなんて。

「でも、皆は劇をやりたがってて…」

 私は朝以外はもっぱらご飯派だ。今日は自分の分だけでいいから、ちょっと楽をして、ケチャップオムライス。

「そうなんだ。演目、決めてるの?」

「…それが…」

 薄く焼いた卵にスプーンを差し込みながら、決まったわけではないけれど、と前置きをしようとしてそれは、音もなく這い寄る人影に遮られた。

「シンデレラっ!」

「!」

「ひゃっ!?」

 私たちの背中へ弾む声を被せてきたのは、

「み、美冬ちゃっ…なんで…!」

 スケッチブックを抱えた彼女だった。

「ふふー、ちょっとだけっ、お邪魔しますっ」

 二人分の驚きを受け止めて、にこにこお辞儀をすると、軽やかなステップで私の横を通り過ぎた。そして膝を折り、パラパラパラとまっさらなページを出すと、ぽかんとする私たちの目の前で颯爽とスケッチを始める。めくっては描き、めくっては描き。

「あ、初めまして蓮未くんっ!私、五組の乾美冬っ。遥のお友達だよっ」

「うん、よろしくね、乾さん」

 唐突の今さらな自己紹介を、鷹矢くんは笑顔ですんなり受け入れた。初対面で美冬ちゃんのパワーに押されないのは、この王子様オーラを纏った彼くらいだと思う。

「それでねっ」

 手は高速で動かしたまま、美冬ちゃんは一瞬だけ私たちと順に目を合わせ、

「ずばり、二人にモデルを頼みたいんだっ!」

 もう、何枚目だろうか。先の丸くなった鉛筆を持ち替えては、さらにもうひとつページをめくる。

「もう、描いてるよね…?」

 そしてその最後の一枚を描き終えたところで、その指先が一閃、美冬ちゃんはターンッと筆を置いた。

「いいっ…!うん、これにするっ!」

 目をキラッキラに輝かせて、スケッチブックを天高く掲げ見ると今度は、たまらないと全身で叫びながらそれを胸に抱き締める。

「美冬ちゃん?」

 うっとりモードの美冬ちゃんはなかなか帰ってこないのだ。だから私は必死で呼び掛ける。

「美冬ちゃ…」

 どこにそのスイッチがあるのか未だに見当もつかないけれど、とにかく戻ってくるのもいつも突然だった。

「じゃあ、オッケーってことでいいかなっ?」

「え?」

「うちは月、水、金が活動日だから、そのどこかで採寸に来て欲しいんだけどっ」

「採寸…?」

 ついに鷹矢くんも戸惑いを見せ始めた。話が見えない。

「美冬ちゃん。…なんの話?」

 首を傾げた私たちに、美冬ちゃんの笑顔が燦々と降り注ぐ。今しがた完成した最高傑作のデザイン画をその頬にぴったりくっつけて、

「だからねっ、」

 美冬ちゃんは前のめりウィンク、私たちにその輝きを振り撒くように言った。

「文化祭で、うちの部のファッションショーに、出て欲しいのっ」

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