4月とシャボン玉

もやしマン

4月とシャボン玉

 



『結婚することになりましたーーーー!!!!』


 黒のマジックでそう書き殴られたハガキ。背景では見知らぬタキシードの男と、ウェディングドレス姿の、...見慣れすぎた顔が仲睦まじそうに腕を組んでいた。

 .....あんなことあった元カレに送ってくるかね...。

 思わず苦笑いが漏れた。




 仕事から帰宅したところ、ポストに何か入っているのを見つけた。手を突っ込んだのが最後、中からは元カノからの幸せそうな結婚報告が飛び出してきた。

 4年前に別れた彼女だ。もう未練などあるわけもない。ただ.......。


 じっとハガキの中の笑顔を眺める。


「.....ちゃんと元通り、笑えるようになったんだ」




 ***




 元カノとは大学3年の頃に付き合った。

 同じ学部学科の子で、笑顔が印象的だった。

 どんな話題でも屈託なく笑う子で、良い意味でツボが浅かった。確か初めて話した時も何がおかしいのか、ずっとケタケタ笑っていた。


「賢治くんって面白いんだね!!」


「いや、俺普通に話してるだけなんだけど.....」


 要所要所で彼女が笑うもんだから、話がなかなか進まずに少しだけイライラしたことを覚えている。でも、楽しげに相づちを打ちながら話を聞いてくれる彼女を...少しだけ可愛いなと思った。


「好きです、付き合ってください」


 個人的にはありったけの誠意を込めたセリフで、また笑われるだろうな...と不安になりながら告白した。

 でも、彼女の反応は意外も意外。

 顔を覆い、大粒の涙をボロボロ零しながら嗚咽を漏らした。


「.....本当に、私で.....いいの...??」


 頬を紅潮させ、じっと俺を見据え、たどたどしく言葉を紡ぐ。

 その瞬間、俺は多分一生この人を守っていくのだ、とほとんど直感的に思った。



 付き合い始めて、よく俺の部屋に来るようになった。

 その時には決まって持ってくるものがあった。


 シャボン玉。


 正確にはシャボン液と、名前は分からないが息を吹き込む緑色の|ア(・)|レ(・)だ。

 当時はよく小馬鹿にしたものだが、その都度彼女は頬を膨らませ、「精神年齢が若いって言ってよ!!」と怒るのだった。

 俺は彼女の飛ばすシャボン玉が好きだった。

 安いボロアパートの一室が、シャボン玉が浮かんでいる瞬間だけどこか明るい場所へと変わるような、そんな感覚。


「シャボン玉って、見てると元気になるよね!」


 そんなことを言いながら、鼻歌交じりに次々とシャボン玉を生み出す彼女を、愛しく見つめたものだ。




 俺は彼女に随分支えられた。

 付き合い、半同棲のような生活を送り、そして、当然のように次のステップへ向かうための試練が始まった。俺は彼女は一般企業への就職、俺は公務員志望だった。

 勉強に挫けそうな時、彼女は何度も持ち前の笑顔で俺を励ましてくれた。自分がこれほどまでに弱い人間だとは思わなかった。とてもじゃないが、彼女抜きにして、俺は公務員にはなれなかった。


「賢治は大丈夫だよ! 絶対に!!」


 これが彼女の口癖だった。

 根拠も何もないが、当時の俺にとっては何よりも力が出る言葉だった。



 俺は無事公務員、彼女は就職を無事果たし、同じ街で働くことになった。

 大学を卒業後は安い賃貸を探し、同棲をした。

 日々過ごす中でケンカをすることもあったが、大抵は俺が折れることで事なきを得た。

 というか大抵は皿洗いを忘れたり、ゴミ出しをサボったりと俺の不摂生が原因だった。

 彼女はそういう所はとてもしっかりしていて、付き合った当初は意外に思ったものだった。


 しかし、そんな日々の中不協和音が鳴り出した。

 彼女の職場でトラブルがあったのだ。

 結果から言って、それは「いじめ」だった。


『彼女の態度が気に食わない』


 人づてに聞いた話は理不尽さに満ち満ちていた。

「いつもヘラヘラしている」「先輩のことを馬鹿にしている」「彼女のせいで契約が切られたこともある」

 挙句の果てにはありもしない事実が一人歩きする始末だった。

 度重なる誹謗中傷が彼女を傷つけ、そして...........。



 彼女は、笑わなくなった。



 あんなに太陽のように笑っていたのに、ある日を境に、彼女は笑うことを放棄してしまった。


「もう.......、私が笑わなければいいんだよね」


 そう、泣き疲れた声で呟いた。



 そんなことない、その一言が俺には言えなかった。

 これほど前に憔悴しきった彼女を見たことがなかった。

 俺の知らない、何か別の存在になってしまったように思えた。





 俺と彼女はそのまま、別れた。




 決定的な出来事は何も無かった。

 ごくごく自然に俺は家から出ていった。


 俺が弱かった、ただそれだけのことだった。

 彼女は辛い時、俺を支えてくれた。

 でも俺は.....、彼女を支えることを、拒否したのだ。




 家を出る時、彼女は口角を軽く上げ、「.....ごめんね」と、ただ一言呟いた。




 ***




「...ふぅ」



 彼女から結婚の報告を受け取ってから一週間が経っていた。

 何度も返事を書こうとペンを握ったが、結局何も書くことができず自室にて悶々とする時間を繰り返す。


「今更何を言えばいいんだよ」


 あの時はごめんなさい.....とか? ...いやいや、何年前の話だよ。小学生の喧嘩じゃないんだから。

 お幸せに.....は?? 投げやりな感じが否めない...。


「どうしたものか.....」


 近況報告とかどうかな、でも、別に俺の近況なんて興味無いよなぁ.....。


 ふと、最近あったことを思い出す。

 取り立てて話題に出すほどの出来事はない。



 ただ.....。



 ボールペンを回し、椅子の背もたれに深く腰掛ける。




 あの時から少しは変われたかな...。



 ***



 彼女と別れてから、俺はあれほど苦労してなったはずの公務員をやめ、遠い街へ引っ越した。

 縁もゆかりも無い遠い土地、そこで俺は大学時代に何となくで取得していた幼稚園の教員免許を生かし、小規模の幼稚園に就職した。

 暇つぶしに取った資格がこんな形で役に立つとは.....、人生何が起こるか分からない、と当時は呑気に思った。


 とにかく。




 俺は自分を変えたかった。


 もう二度とあんなことを繰り返さないように、自分自身が強くなる必要があると思った。



 幼稚園の先生としての日々は、活力と忍耐力を与えてくれた。...というか、現在進行形で与えてくれている。

 太陽の下で子供と毎日駆け回り、汗を流す。

 少し前まで事務所勤めだった頃の俺には考えられない日々だろう。

 それほどまでに、今、俺は充実している。





 .....強がりだろうか。





 強がりでも許して欲しい。

 今でこそもう無いが、別れた当初は罪悪感に押しつぶされそうだった。

 無理矢理にでも明るく振る舞い、無理矢理にでも忙しい毎日を過ごしたかった。





 無理矢理にでも、立ち止まらずに1歩1歩遥かな未来へと進んで行きたかった。





 またいつか、どこかで君に会えた時に、胸を張って笑えるように。






 俺は大丈夫、だから.......。







 君も笑ってよ。




 そう言えるように。




 そう思ってたのに.......。




 ***



「めっちゃ笑顔じゃん.....」


 ハガキを見て、もう何度目か分からない苦笑いを漏らす。

 そして、ガサゴソと押し入れを再度漁る。


「確か、ここら辺に.....」


 適当にものが押し込められたダンボールの中、お目当てのものは見つからない。

 やっぱ捨てたかな...、と思った時、目に飛び込んできたのはピンク色のシャボン液と緑色の息を吹き込むやつだった。


「やっぱ捨てられないよな.....」


 おもむろにそれらを掴み、ベランダへと歩みを進める。


 そして二重サッシの鍵を開け、窓をスライドさせた瞬間、暖かい春風が吹き込んできた。



 今日は4月15日。

 仕事では新年度が始まり、つい数日前に新たな園児を迎えたばかりだ。

 今年度も頑張るぞ、と息巻いてたところにあのハガキだったので、少し面食らってしまったのは仕方がないだろう。

 いくら動揺したとしても、なかなか仕事に集中出来なかったのは申し訳ない。

 というか、社会人失格だ。


 でも.....、



 それも今日で終わる、




 と、思う.....。


 多分.........。





 何気なくベランダから下を見る。

 すると、マンションに隣接する公園には複数の家族連れが花見に興じていた。


 そう言えば、桜が満開を迎えるってテレビで言ってたなぁ.....。


 確かに、多くの木々は純白に染まり、風が吹くたびに薄桃色の花弁が暖かな陽気を届けてくれている太陽と透き通るような青色が待つ空へと舞い散っていた。




 春だなぁ.....。




 少しだけ草の香りのする4月の薫風で肺を満たし、思い切ってシャボン液の蓋を開ける。


 久々だな.....。



 軽く緑のやつを加え、息を吹き込む。

 すると大小様々なシャボン玉が、桜の花びらが舞い散る空へ更なる彩りを与えた。




 ―――――やっぱ、手紙は書けなかったよ。





 次から次へと息を吹き込む。




 空の青、桜の桃色、その他色んな色を映し出し、上へ上へと上っていくシャボン玉。




 ―――――今の俺にはこれが精一杯。



 でもさ、精一杯の祝福を込めるからさ。



 切なさが駆け巡り、吹き込む息が震える。




 ふと。



 記憶に焼き付いた彼女の無邪気な笑顔と声が蘇る。

『シャボン玉って、見てると元気になるよね!』



 ―――――確かに。元気になるよ。.........切なくもなるけどね。



 震えそうな声を押し殺し、笑顔を作る。




 そして。





「花純」





「幸せに」




 手紙に書けなかった言葉を、穢れなき4月の青空に向けて放った。




 桜の花びらと共に風に吹かれたシャボン玉が、陽光を反射し、いつまでもいつまでも輝いていた。

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4月とシャボン玉 もやしマン @suminosora

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