勇者の事情、聖女の立場


 湊が狩りのために森の奥へと進んだ後、アルシェは拠点からそう離れてない所にある草木の低い場所を発見した。

 そこの感触を裸足で確かめると、身を清めるため着ている服を全て脱いで一糸纏わぬ姿となる。仕切りの無い場所での湯浴みなど恥ずかしくて抵抗あるが、こんな状況でそうも言ってられない。


「んっ…しょっ、と…」


 アルシェが動く度に胸の双丘がたわわに揺れ、真珠の輝きとまで謳われた白い素肌が青空の下に晒される。この光景を気の弱い者が見れば卒倒し、耐性がある人でも一生脳裏に焼きついて離れないだろう。


「“自然よ 我に恵みを”」


 詠唱の一節を呟くと、彼女の頭上に小さな雲が掛かった。そこから適温のお湯を降らせ身体を洗う。

 この程度の魔法なら念じるだけで発動するのだが、「火」と「水」の複合型なので一応注意は怠らない。


「ふぅ…どうせなら浴槽に浸かりたかったですね。王都へ帰還したらカナエ様に勧めてみるのも良いかもしれません」


 身を清めるため入浴するというのは以前から有ったが、湯に浸かる習慣は元々ミロス地方には無いモノだ。

 それは極東から渡って来たアルシェの母が風呂を強く所望した事で広まり、その甲斐あってフィリアムとその周辺国では風呂文化が徐々に浸透していったと云う。だからアルシェが幼い頃には風呂に浸かるというのが既に当たり前だった。


「帰還、ですか…」


 吐いた言葉をなぞりながら、少しだけ憂いの表情を覗かせる。


 帰れるものなら今すぐにでも帰りたい。きっと皆も心配してるだろうし、サーナ達の国葬も執り行わないと行けないから。

 あまり表に出ないとは言え、聖女への依頼が入るのもマズいだろう。アルシェの不在中は姉が何とかしてくれるが、それも長期間続けばどうなるか。父のように過労で倒れたりしないか不安で仕方ない。


「姉様…」


 口元に指を添え、尊敬する姉のことを呟く。その際何故だか苦しそうに顔を顰めた。


 幼い頃のアルシェは今とは違い淑女と無縁の手が掛かる子だった。人一倍寂しがり屋で、知っている顔が目に見える所にいないと泣きじゃくる始末。

 父の公務中に泣きながら押し入った事も一度や二度ではないし、一人で寝られないからとこれまた泣いて母の寝室に飛び込んだ事もあった。


 それが母の死と共に弟が生まれ、自身も姉の立場になると自分勝手な性格は鳴りを秘めていった。

 その時真似たのが既に王女として周囲の信頼を得ていた姉で、アルシェの丁寧な話し方や仕草は彼女から受け継いだと言っても過言ではない。


 兎に角、アルシェが聖女として成長する上で最も影響を与えたのが姉だ。そんな人物を想って顔を顰めたのには深い訳がある。


「姉様、アルシェは一体どうすれば良いのでしょうか」


 それは普通なら起こり得ない事態を、特殊な立場にいるが故に起きてしまったある意味イレギュラーとも言える弊害。

 決して意図した訳ではないが、結果としてアルシェを悩ませる原因にもなった。

 何より彼女自身、湊に『あの言葉』を掛けられるまで思いもしなかったほどの特異的状況。その可能性に気が付いた時、後頭部を殴られたかのような衝撃に見舞われた。


「私はカナエ様をどう思っているんだろう……ううん、そんなのもうとっくに気付いてる」


 私はカナエ様が好き。


 その言葉を躊躇いもなく口にした事に自分でも驚いた。だが脳で理解するより早く、ストンと落ちるようにそれは収まる。

 好きになった瞬間を探すのは難しいが、何故好きになったかと聞かれたら苦労しない。


 息を忘れるほどに整った幻想的な顔立ち。自分を助けると宣告した際の真っ直ぐで綺麗な瞳。抱えられる時に知った、胸の温もり。勇者という枠組みをも超越したその強さ、非凡さ。自らを希望だと言ってくれた時の心臓の高なりはこの先も忘れないだろう。

 おまけに崇拝している『白銀姫』と同じ姿ともなれば、彼を好きにならない理由がない。たった一晩共にしただけで此れなのだから、やっぱり自分は恋をしている。


「ふふっ、こうやって振り返ってもカナエ様は凄いです。あの方がいて下さらなかったら今頃私は――」


 盗賊の慰み者にされていた。


「――っ、」


 それを思い出した瞬間、身体から血の気が引いて肌が粟立った。


「…止めましょう、そんな訪れなかった過去を恐れるのは。あれが確立された未来だったとしても、来なかったものは来なかった。それが全てです」


 そう。もしあの場で湊が現れなかったらアルシェは間違いなく盗賊に犯されていた。

 しかもそれは可能性の話なんかではなくて、実際にそうなる運命さだめとして決められていた事だった。


 アルシェが「予知眼」で視るのは予定調和の運命。回避可能なのもあれば確定未来の運命もある。

 ただ運命を回避するには『自分以外の』大きな意思が必要となり、湊が召喚される直前の彼女の周りには誰もいなかった。

 つまり盗賊に迫われていた時点で一人だったアルシェには運命を変えることなんて出来なくて、視えた未来で捕まったからにはもうその通りになるしかなかったのである。


 だがそこに湊が現れ、レベル1とは思えない立ち回りで盗賊を撃退して見せた。その後に姿を表れた黒フードの男には全身を貫かれてしまったものの、湊がいてくれたお陰で身を汚されずに済んだのだ。


「でも、カナエ様には辛い経験をさせてしまいました。私が至らないばかりにあんな…」


 必死に嘆願しても止められなかったあの時の光景が頭を過る。

 自分の血を散らしながら攻撃を繰り出す湊と、それを涼しい様子で受け止めていた男。

 あれは無力な自分の象徴としてこの先も一生記憶に残るだろう。後で治せたから良いものの、あれで湊が死んでしまったら二度と立ち直る事が出来なかった。


「っ、カナエ様…」


 谷間に腕を押し当てると、調和のとれた端正な顔を更に歪ませた。


ズザザー!!


「ひゃわわっ! 冷たっ!」


 突如流れていたお湯が冷水に代わり、その下で身体を洗っていたアルシェを襲った。思考が大幅に乱れた事で温度を司る《火属性》の接続に不具合が生じたのだ。

 急いで調整を終わらせると、お湯に戻った雨の下で身体を温め直す。


「はぁ…幾ら何でもこんな初歩的なミスをしてしまうなんて」


 ガックリと肩を落とし反省を顕にする。恵みの象徴たる自分がこんなでは女神様の名にも傷が付く。頬を軽く叩いて気持ちを入れ直した。


(そうです。私は女神セレェル様に仕える教徒の一人で、その加護を受けし聖女。第二王女という肩書きは二の次でしかない)


 実はここに湊を巡る葛藤とアルシェの置かれている立場が複雑に絡み合っている。



……



 今からおよそ七百年前。『精霊姫』の封印を解くと共に彼女の新たな契約者を探すため、神は異界よりその素質を持つ者達を召喚する石を授けた。

 それが〈英雄召喚石ブレイヴストーン〉、そして勇者だ。


〈石〉は当時25あった国や州にそれぞれ一つずつ渡され、そこから湊を含む全ての勇者が召喚されることになった。――といっても二人はその事を知らないが――


 勇者に率先してやってもらう事は大きく分けて2つ。一つは先程も言った『精霊姫』との契約。

 そしてもう一つが今も続く魔族との戦争だ。


 始めは各国ともに協力し勇者を鍛え上げ生存競争に勝つべく躍起になった。勇者の力は本物で、同じ「特殊保持者」の中でも際立っていたと云う。

 召喚されるタイミングに規則性はなく、一度召喚が為されまたすぐに喚ばれる事もあれば十何年経っても現れない時だってある。

 生き残るために必死だったあの頃は、勇者が先頭に立ち各国でそれをサポートするという理想的な構図が成り立っていた。


 ところがある出来事をキッカケに、そんな情勢は終わりを告げる事となる。


『白銀姫』の名を冠する九尾の神獣、ウラネスが魔族軍を壊滅へと追いやったのだ。これにより魔族軍は撤退、停戦へと踏み入った。


 勿論それ自体は大変喜ばしい限りであった。だがそこから話は陰りを見せ始める。

 戦時中に表立った活躍を見せた勇者の所有を巡り、今度は国同士での睨み合いに発展したのだ。


 目先の心配事は無くなった。幸いウラネスが興に乗っていたこともあり、魔族側の被害が全体のおよそ八割にも及んでいたからだ。

 しかし長い目で見ればこれからも安全であるという保証はない。魔族との戦力差はその戦いで明らかになり、残りが魔王と二割の軍勢だけとはいえ決して安心出来なかった。


 そこで各国は再び勇者に目をつけた。否――、正確には勇者に与えられた『精霊姫』の契約という使命に。


 幾ら数を揃えようと圧倒的な〝個〟には敵わない。それはもう身を以て知った。

 であれば、昔に魔王さえ説き伏せたとされる『英雄王』と『精霊姫』――その片割れでも味方に付ければ魔族との戦争も有利に進められると考えたのだ。


 だが人は欲に忠実な生き物。危機感なくて平和は騙れない。


 当然各国ともに自分のところの勇者を彼女のパートナーに宛がいたいと考えるだろう。東大陸の命運をその国の勇者が握っているとなれば、喩え無茶な要求を突き付けられても従わざるを得ない。

 そして協力体制まで敷いていた各国の結び付きは次第に薄れていき、競うようにして迷宮へと挑むようになった。


 契約に成功した勇者――ひいてはその者を保有する国が他の如何なる国より大きな力を持つと考えれば当然だろう。小国であれば地位の向上を、大国ならば更なる発展を望める。

 嘗て強さの象徴とまでされた勇者は、たった一つの席を勝ち取るための駒へと存在を変えていった。



――そして現在



 アルシェが持つ〈英雄召喚石ブレイヴストーン〉から湊が召喚され、彼女と共にいる。しかし厄介な立場にあるのは彼女も一緒だ。

 アルシェは王国の第二王女でありながら、生まれながらにして女神セレェルから『聖女』の称号を授かった、云わば神の代行者である。


 大袈裟と思うかもしれないが、長い歴史を持つダリミルで女神から称号を与えられた者は彼女の他にいない。

 だから平等を掲げてきたセレェル教に聖女が就くとなった時には大陸中が震撼したものだ。『救国の聖女姫』の二つ名もその時与えられた。


 だがしかし、そうなったらそうなるで困る人物も出てくる。


 それが王国を治めると共に聖女の父でもある国王、並びに現在彼に代わり公務を執り仕切る姉だ。

 彼等はアルシェの存在そのものが民の意識に働きかけ、自分達の立場を脅かすのではと考えた。


 実際アルシェが聖女であると伝えた時、女神崇拝の過激派が彼女の王族除名と身の引き渡しを要求してきたのだ。

 彼等からすれば当たり前かもしれないが、セレェル教の象徴とも呼べる子が一国の影響下に置かれていることに危機感を感じたのだろう。


 王女でありながら最大宗派の唯一の存在にもなったアルシェの人気は凄まじく、その容姿と相まって直ぐに人々の中心に据えられた程だ。

 娘を使い教会に圧でも掛けると思ったのか、王家との繋がりを絶ちアルシェを自分達の理想とする存在に創り変えようとした。


 当然フィリアムとしてもそれを黙認する筈がない。当時批判を浴びながらもアルシェの引き渡しを拒否した。


 彼等の要求通りにすれば王国はいずれ力をつけた教会に国の方針を左右されるだろう。そうなれば国の自治すら儘ならなくなり、果ては些細な抵抗一つで今以上の不興を国内外の信徒達から買うかもしれない。

 特に大陸の中枢としてトップに君臨する王国はその機能を失うばかりか、教会に屈したとして話の矢面に立たされる事になる。

 過激派としては聖女を生んだ王家が娘を託したとする方が都合も良く、王国が下れば五大国と謂えども教会に従うしかないと考えた。


 これに手を打ったのが早い段階から事態を危惧していた姉だ。

 王国の主権が脅かされるのもあるが、何より大事な妹を奪おうとする過激派の言い分が『巫女姫』の神経を逆撫でた。


 結論から言うと聖女の所有権は王国側に残った。

その代わりにアルシェの王位継承権、ならびに王国内部への発言力は落とし込まれる事となり、逆に教会での影響力を引き上げる手回しを行ったのだ。

 影響を上げると言っても王国が干渉する為のモノではなく、あくまで彼女の意思を尊重するのに必要な処置だ。これに違反した場合、王家が口を挟むという条件まで取り付けて。


 教会としても何も得られなかった訳ではない。聖女の出現により、曖昧だった迷宮攻略国への影響力を強める事が出来たのだから。

 これ迄の教会は各方面に強い力を持ちながら、それを活かす術が無かった。

 迷宮攻略で得られた利益の一部を教会に上納するという形は有ったが、直接の介入が無いばかりに入って来るのは雀の涙ほど。信者達から寄せられる寄付金と合わせても、教会の運営は決して良好とは言えなかった。


 それが聖女の助力を求めてきた場合、得た利益のおよそ半分を教会に上納するという条件で合意が成されたのだ。

 そこから聖女の貸出金1/5を王国に納めることを考えても、十分な利益を得ることが出来る。


 本気で迷宮の踏破を目指す各国としても聖女は喉から手が出るほど欲しい存在だろう。

 攻略が危ぶまれるこの時世に現れたこと。何よりその王女があの『巫女姫』の妹とあれば、協力を願い出ない訳がない。


 つまり聖女の所有権は王国フィリアムが有しているが、教会がフィリアムから貸し出された聖女を派遣するという構図が成り立つ。これが何を意味するかは最早騙るまでもないだろう。

 ミロス地方のツートップが手を組んだお陰で迷宮攻略に僅かな不正も認められなくなり、結果として両者の結び付きが強まったのだ。


 これで王国は政教分離の確立に成功したばかりか、他国の迷宮攻略にも口出し易くなった。教会も聖女の保有権こそ逃したが、利益の増加に加え王国の後ろ楯も得る事が出来る。


 正にwin-winの関係だ。他国への牽制になるばかりか、双方の関係改善も図れたのだから。


 それもこれも全て、姉が用意したシナリオ通りの結末なのだが。


 元より過激派の暴走から始まった今回の一件。影響力だけなら他のどの国よりデカい教会を相手にしては、さしもの王国も下手な仕返しは出来ない。

 そこで上から押さえるのでなく、敢えて同じ方向を向くことで衝突を避けた。教会も王国との間に余計な禍根は残したくないだろうし、迷惑を掛けたお詫びとして多少の不利益を被る形となった。


 だがしかし。一旦収まったようにも見えるこの事態も、中心に据えられた聖女の対応次第でまた波紋が生まれてしまう。


 勇者は『精霊姫』と契約しこの世界を治めるべくある存在。各国並びに王国はそんな彼等を利用し他のどの国よりも栄えようと競争する。

 そして特殊な立場にある聖女アルシェは王国での影響力を持たない代わりに宗教の色が強い。セレェル宗派は特定の国に肩入れせず、信仰する全ての国々に対して援助などを行う。


 ここまでくればもう分かるだろう。つまり湊がアルシェと共にあるということは、彼が王国ではなく〝セレェル教の勇者として扱われる〟という事だ。

 フィリアムの〈石〉から召喚されたのだから普通はその国の権利となるが、聖女と結ばれた場合はその限りでない。


 仮にそうなった場合、王国は迷宮で得た利益を本来なら6:4の割合で受け取れるところを、聖女の派遣分1割しか受け取れないという事になる。

 これが端金なら兎も角、本気で迷宮攻略を目指す国にとっては死活問題だ。

 五大国の中には迷宮で得た莫大な利益でその地位を認められた国もある。それだけ景気に影響するという事なのだが、資金面での問題が大きい教会がそれを解決すればどうなるか。また大陸の覇権を巡っての言い争いに発展するかもしれない。


 一番の問題は英雄となった湊が教会に渡ることだが、その時はアルシェが手綱を握ることになる。

 仮に『精霊姫』と無事契約できたとして、一体自分はどちらに付くべきなのか。両者が衝突しないように上手く立ち回る事が、果たして自分にも出来るのだろうか。


 それが分からないのであれば、抑々そもそも手を出すなという話だ。

 今まで説明してきたのは全て湊がアルシェと結ばれたらという仮の話に過ぎず、例えばこれが姉の立場なら何も問題ない。むしろそう或るように普通は出来てる。

 ここでアルシェが余計な事を仕出かせば、状況は以前にも増して悪化するかもしれない。だから湊を好きになってはいけないというのに。


 それでも聖女アルシェ勇者と共にあることを強く望むのだ。



……


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