第零 嘆きの聖女姫篇③

 魔力を回復したアルシェは月の光で照らされた山道を一人あてもなく走っていた。既に息は切れて陶器のような白肌に赤い細傷が何本も刻まれている。

 姫として生きていた人生の中で一度も経験したことがない恐怖を味わい、最早自分が何をすべきなのかも分からない状態にあった。


「はっ、はっ……っ、ヒグッ」


 しかしそんな時でも大粒の涙は流れ、後悔の念も止まらず募る。

 二人がその身を犠牲に放った《自爆プロード》を固有能力【聖者の瞳】――特性「千里眼」で見ていたからだ。


 【聖者の瞳】

 人間族ヒューマンで固有能力を持つ者は極めて稀で、これこそ彼女を『救国の聖女姫フューネルハイツ』と云わしめる理由の一つである。

 特性「千里眼」「予知眼」を有し、一度見た場所を頭に強く思い浮かべることで今現在の様子を見れるのが「千里眼」だ。


 彼女はこれを使い、以前に訪れた神殿や教会の様子を自国の王城に居ながらリアルタイムで見ることが出来る。これに彼女の特殊能力と高度な《回復魔法》、それに《付与魔法》を合わせれば、例え緊急時でも即時現場へ向かって治すことだって可能だ。

 実際今までそれで対処してこれたし、そのお陰あって最近では二つ名の方で親しまれている。



 フィリアム王国でアルシェの王位継承権は無きに等しい。別に王に成りたい訳ではないが、『巫女姫』の名で国を栄えてきた姉と、幼いながらも戦士としての才能を覗かせる弟を持つ身としては肩身が狭かった。


 それが初めて外の世界に出て、自分の能力の在り方を知ってからは文字通り世界が広がって見えた。それが嬉しく満ち足りて、度々無茶を言っては遠くへ足を運び治療を施していた。

 全ては救いを求める人々を癒すため、そして自分の存在意義を確立するために。


 今回の遠征も他国で原因不明の病が流行するのを視て、心配性な現国王の反対を押し切り此処まで来た。

 その結果がコレである。


 サーナ達を置き去りにし、命を懸けてまで守ってくれたシュタークとゴルヴをも見捨て一人で逃げなければいけなくなった。

 己の力を過信し、本来の役割から逸脱した為だ。


―全ては〈石〉を賊に渡さないために―


 違う……そんなのは唯の言い訳だ。

 それならば逃げずに一緒に戦えば良かったのだ。シュタークに与えられた魔力で全快とは言えないまでも、野盗相手には充分にサポート出来る程度には回復出来てた。


 《攻撃魔法》は元々苦手なので期待できないが、防御と《回復魔法》、それに《付与魔法》に関しては他に負けない絶対の自信がある。

 古代級魔道具アーティファクトまで有ったのだ。上手く立ち回れば撃退とまで行かなくとも三人で逃げ延びれる“可能性”はあった。


――そう、あくまで可能性


 自分はその可能性に賭ける事が怖くて逃げた。原因を作ったのも、それに対処できないのも自分の未熟さ故。

 最低な姫だと思われるだろう。自分でもそう思う。彼女に憧れを抱く信者が見れば幻滅だってされるかもしれない。どんな理由があろうと今のアルシェは我が身可愛さに臣下を捨てて逃げた臆病者だ。そこに変わりはないし、変える気さえ起きなかった。



「キャッ!」


 慣れない山道と走るのに向いていない靴のせいもあって剥き出しの木の瘤に脚を引っ掻け転んだ。靴擦れで皮が捲れ、お気に入りだったドレスは切り傷と汚れで見る影もない。

 大国の美姫と持て囃された姿からは想像もできないほど醜く、憐れ。それが今の自分。


 傷なら回復すれば良いのだが、シュタークが渡してくれた最後の魔力を自分が助かるためだけには使いたくなかった。それをしたら今度こそ自分を許すことが出来なくなるだろう。


「ぅ……うぅ……ぇぐっ……ヒグッ…」


 何もかもが怖くなってとうとう泣くことしか出来なくなった。どんなに強がったところでアルシェはまだ十五歳の少女だ。自らに迫る恐怖に耐性など付いていない。


「うぇぇ……ヒック……もう、イヤです…っ」


――情けない。大人になっても心は以前のままではないか。


 誰も聞いていない、一人の少女の涙。


――自分には何も無い。父や姉のような王としての威厳も、亡き母のカリスマも、弟のような戦う才能も何も…


 悔しかった。誰一人救えない自分の未熟さに。

 恥ずかしかった。そう思うしか出来ない心の弱さが。


 自分が救うと決めたあの日から、何も進歩していないではないか。


「誰か…、 誰か助けてっ……!」


 そうして紡いだ言葉がソレ。咄嗟に出た言葉だがそれが本心からの言葉だったと知るといよいよ自分に失望した。

 結局は他人頼りだ。思考を重ね、自己嫌悪に陥っても本質は変わらない。


「誰でも良いっ、何でも良いから助けてください……!」


 しかしそれでも何度も何度も虚空に向かって声を吐き、徐々に語尾を強めていった。


「いや……いやぁっ!」


 思い出すのは先程視た光景。

 特性「予知眼」により写し出されたアルシェは盗賊に組み伏せられて嫌だ嫌だと泣き叫んでいた。


「予知眼」が視るのは予定調和の運命。確定未来の運命もあれば回避可能な運命もある。ただしそれを行うには自分以外の・・・・・大きな意思が必要となる。


 この場には自分以外誰もいない。一度はシュタークとゴルヴの意思により回避された未来だが、もう一度捕まり予定調和の流れになれば抗う術はない。見つかったが最後、その未来が確定する。


「―――っ!」


 声が聞こえた。大勢の人間が焦ったように何かを探し回る声だ。


「…………ぁ」


 思わず声が漏れる。満月の光に照らされ姿を見せたのは二十人以上の集団だった。あの爆発から逃れ、欲望に満ちた男達が自分を血眼になって探している。

 そして同時に視てしまった。先程と変わらず、男達に弄ばれる自分の運命を。


(あぁ……終わってしまった…)


 哀しさも、恐怖も、絶望も。

 そんなものは後から押し寄せる虚無感に何もかも吸い込まれ、肩の力が抜けると同時に涙が溢れた。


 ただ今までと違うのは、流れる水を妨げる手は出ず、走った衝撃でそれが落ちる事も無かったということだ。アルシェの目から光が失われ、はだけたドレスを整える事もしない。

 抗えない未来を嘆くよりも、心を殺して受け入れた方が楽だと思ったから。


(もう…良いんです。この未来に抗える意思なんて何処にも…)


 自嘲的な笑みを零し、項垂れたように頭を落とす。

 するとそこに、〈あるモノ〉が視界に入った。小さくて、でも他の何よりも力強い。父が「お守り」として渡してくれたモノ。

 最初はこれのせいで不幸な目に会ってるんだと思った。でもそれは間違いで、所詮は自分が招いた結果だと思い知らされた。

 幼い頃から嫌な事があってもこれを見るだけで自然と笑みを浮かべられたものだ。逃げる最中も自分に希望を与えてくれた大好きな淡青色ライトブルーの輝きがここにある。


 それを見て驚きに目を見開き、数瞬した後両手で優しく包み胸の前で手をかざした。

 聖女をしている内に随分馴染み深いものとなった構えで願いを捧げた。


(勇者様! どうか私を…いえ皆をお助けください!)


 勇者については数多くの伝説がある。喩え『精霊姫』と契約できなくても、その力は神によって与えられたものに変わりない。当然普通では考えられない力を秘めている。

 一人で一個騎士団相応の力を持つと云われる勇者なら、己の視た未来くらい簡単に覆せるだろう。予定調和の運命になど負けない筈だ。

 まさに藁にも縋る思いでアルシェは己が願いを送り続けた。


(何でもします! 皆を助けてもらえるのでしたら、喜んでこの身を差し出します! ですからどうか、皆を救ってください!)


 しかしそこに込められた内容は盗賊の撃退でも身の潔白でもなく、自分を逃がしてくれたサーナ達を救うことだった。


(お願い…もう誰もっ、死んでほしくないの!)


 こんな自分を第一に考え、命を捨ててまで護ってくれる人達がいた。ならば今度は自分が皆を助けよう。その為に何か、例え死ぬ事になったとしても甘んじて受け入れるつもりだ。

 それが王女の……いや、アルシェ=フィリアムというたった一人の少女の唯一で最大の願いであった。


(お願いします! 皆を、サーナを救って!)


 そしてアルシェと盗賊の距離が残り三十メートルを切った瞬間――、〈英雄召喚石ブレイヴストーン〉から今まで感じたことのない膨大な量の魔力が溢れ出した。

 アルシェを包み込むように流れ出た後、その光は天に向かって勢いよく突き刺さる――




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「…む?」


 一方その頃。サーナと対峙していた謎の男は陽が無くなったばかりの夜空に上がった銀柱を見て動きを止めた。

 端から見たら隙だらけの男だが、その実一歩でも彼の間合いに入れば無事では済まないだろう。

 いや、この場で動ける者はもう唯の一人もいない・・・・・・・のだから警戒する必要がないのかもしれない。


「あれは……ふむ、まさかこのタイミングでというのは驚いたな」

「な…んだ、あの……光は」


 地面に伏していた内の一人――サーナは少なくないダメージを負いながらも何とか命を繋げていた。

 周りで倒れている兵士の中にも同様に意識を保つ者が少数いて、そうでないものも何人かは息をしているようだ。サーナが常日頃からしごいてきたお陰で致命傷を避けている。そうでなければ皆最初の一太刀で絶命していた筈だ。


「あれは〈英雄召喚石〉から漏れた光だ。それにしてもあの光量……成程、今代の勇者は当たり・・・と見て良いようだ。これは私もツイている」

「な…んだと……!?」

「丁度いい。アルシェ姫と共に回収するか」

「なっ、待てっ…!」


 勇者という響きに当然ながら反応を示す。だがお互いの心情は全くの正反対だった。


「運が良かったな。お前達が無事なのは勇者の……いや、〈アレ〉をこの場から持ち去るよう指示した自身の判断、そしてそれを引き起こしたアルシェ姫の思いに感謝するがよい」

「アルシェ様の…思いだと?」


 意味が分からない、という感じの顔が出来上がる。


「そうだ。あれを発動させるのは並々ならぬ願いが必要になってくると聞いた。だが普通は複数人が一緒となって漸くといったところなのだが、まさか盗賊に追わせた程度で喚び出せるとはな。よほど切羽詰まった状態とみる」

「ぐっ…!」


 クツクツと嗤う男が怨めしい。だがそれ以上に何も出来ない自分が腹立たしい。男から放たれる黒い火柱は此方の攻撃を通さないばかりか、破壊の波となって周囲を焼き尽くす。正に一方通行の展開となった。

 初め七十人以上いた護衛の兵士も今や半分以上が動かぬ死体となってしまった。


「さて、では行くか」


 悠然と、散歩に行くかのような軽い言葉でその場を去り行く男の後ろ姿を見るしか出来ない。


「くっそおお"ぉ"ぉ"ぉ"ぉ"ぉ"!」


 喉が裂けんばかりに声を荒げるが、それに応える者はいなかった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





『ーーーっ!』



 中心にいたアルシェも、突如上がった光に驚いた盗賊でさえ、そのあまりの美しさに目を奪われた。

 天を突いた光は黒に染まったばかりの夜を塗り替え、世界を白昼夢に錯覚させる。


「これ、は……」


 次第に光が薄れ、雲が消えたその真下で、次にアルシェは突如現れた青年に目を奪われた。強すぎる光を塞ぐように両手を顔の前に出し、それを見ることは叶わない。


 やがて漸く彼は手を退けその目を開ける。


 露になったその姿に思わず息を呑んだ。東西南北あらゆる綺麗どころを城で見てきたアルシェをもってしても、これほどまでに整った殿方は見たことがない。


 スラリと伸びた長身に、彫りが浅く中性的な顔つき。幻想的な雰囲気を纏った青年だ。

 年は自分よりも少し上だろうか。今上がったばかりの光柱がまるで青年を讃えるかのように周りでエフェクトを起こしている。

 夜会などで見かけたら、まず間違いなく周囲から注目を集める事になるだろう。

 そして目を開けて見えた彼の瞳に胸の奥で何かが鳴る音が聞こえた。吸い込まれるような薄い青空色、すなわち彼女が大好きな淡青色ライトブルーの輝きがそこにあったからだ。


「…ぁ」


 しかしアルシェが一番驚いた理由は何と言っても彼の髪にある。月の光に照らされ透き通り、それでいて流れるように伸びた“白銀”が視界に入ってきた。

 銀の御髪はこの世界に暮らす人々にとって、ある種の特別な意味を持つ。

 それは縛られることを嫌い、何者にも――魔王ですら妨げる事を許さなかった最強の象徴。崩国の美女とまで謳われた、とある神獣・・を連想させる色として。


「……………は?」


〈英雄召喚石〉が放った光から出てきた勇者の少年はたっぷりと間を置いてから誰に聞かせるでもない疑問視を投げ掛けた。突然の事に理解が追い付いていない。


 斯く言うアルシェも混乱の極みにいた。自分で願っておきながらなんだが、まさかこんな簡単に応えてくれるとは思ってもみなかった。


「は…?」


 とはいえ奇跡にも等しい確率で得られたこの好機チャンス。無駄には出来ないと文字通り縋り付いて最大の思いを吐き出した。


「勇者様お願いです! どうか…、どうか皆を救ってください!」


 それに対し青年の反応は――


「は?」


 三度目の疑問符を呟くばかりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る