第10話 7月28日(2)
「金なら…いくらでも払う」
「別に俺、金に困ってないから。子供の頃から金に困ったことがなくてさ」
柚木は焼印を茉奈に手渡した。茉奈は受け取るとリビングを出てどこかへ行った。
「たのむ…」宮本は必死だった。
すこし間があった。柚木を見ると、相変わらず無表情だったが、かすかに興ざめしたような表情が浮かんでいた。
「つまんねえな、なんか。どうする?」
そういって咲良を見た。
「うーん。一発芸が見たいな」咲良が笑顔で言った。
「そうだな…じゃあ代わりに何か一発芸でもやれよ」
「ミヤちゃん、ファイト」
「あ、ありがとう…」
宮本は助かった、と思った。よし、何かモノマネでもやろう。
「じゃあモノマネをするんで、ロープを解いてくれないか」
「嫌だよ」柚木は即答した。
「足のロープだけでいい」
「ダメだ。そのままでできるやつをやれよ」
「ウケる」咲良が手をたたいて笑った。
宮本は頭をフル回転させて、手足がロープに縛られたままできる一発芸を探した。しばらく必死に考えたが、見つからなかった。そんなもの有るはずが無かった。
その時、茉奈がリビングに戻ってきて、焼印を柚木に渡した。
「できなきゃお仕置きね」
柚木は焼印をブンブンと振った。焼印は、再び熱せられて真っ赤になっていた。
こいつは…何だかんだ言って…こんなムチャ振りして、結局は押す気なのだ、焼印を。手足を縛られたまま一発芸なんて、できるわけが無い。
くそー何とか切り抜けてやるぞ。やってやるぞ、一発芸を。考えろ、考えるんだ。
一発芸一発芸一発芸一発芸一発芸一発芸…
そうだ、とひらめいた。宮本は手足を縛られたままモゾモゾと立ち上がり、ソファーに肩を付き、腰を突き出した。
そして腰と足を前後に動かした。
カク・カク・カク・カク・カク・カク…
「マ、マイケル・ジャクソン!」
「いまいちだね」柚木はカクカク動いている宮本のお尻に焼印を押し付けた。
じゅうううぅぅぅ…
「あああああああああああああああああぁぁっ!!!!」
宮本の身体をドンッと巨大な衝撃が駆け抜けた。今まで自分が体験してきた、もう耐えられない、という痛みをさらに十倍したような痛みが、お尻から脳天にまで達した。
「こんな…こんな…」声にならない。涙があふれた。涙と鼻水が同時に流れて顔がぐちゃぐちゃになった。あまりの痛みに、宮本は一瞬気を失った。
気が付くと、近くで良い匂いがした。見上げると咲良が顔を寄せている。ものすごく近い。キスだってできそうな近さだ。ツヤツヤとしたマッシュルームカットの優美な曲線。
柚木と茉奈は、いつの間にかリビングからいなくなっていた。
「ミヤちゃん」咲良は天使のような優しい微笑を浮かべた。だが宮本にはもう、咲良が何を考えているのか解らなかった。
「もうお別れだね…短い間だったけど楽しかったよ…」と咲良は言った。
怒ったほうが良いのか、笑ったほうが良いのか―宮本はそんな事をぼんやり考えた。ただ、悲しかった。このままこの子と別れてしまうことが。宮本は咲良を好きになっていた。この子とずっと一緒にいたい、咲良にずっとそばにいて欲しい。
「咲良…行かないでくれ、君なしでは生きていけない…」
咲良は優しく、宮本の頭を撫でてくれた。
「何でも欲しいものは買ってやるし、君の願いは全て叶えてみせる、叶えるように努力する…」
宮本は泣いていた。
「金なら…金ならある、本当だ。貯金が一億円くらいあるんだ。君には何一つ不自由させない。だから…」
宮本は懇願していた。
「行かないでくれ…」
咲良は優しくキスをしてくれた。脳天が痺れるような甘いキスだ。宮本は、今度は気持ち良すぎて気絶しそうになった。涙が溢れて止まらない。きっと、自分の涙腺は壊れてしまったのだと思った。
キスが終わり、咲良はにっこりと笑った。
「お金を持っている男なら、たくさんいるよ」
そして、子供に話しかける母親のような口調で言った。
「あなたはミュージシャンでしょう?あたしミヤちゃんの作る曲って、本当に好きだよ」
―だから、と言って宮本の耳元に口を近づけて、ささやいた。
「良い音楽をたくさん作ってね、あたしのために」
そして咲良は、手に持ったガーゼを宮本の顔に押し付けた。
ツン、と消毒薬のような匂いがして、宮本は深い眠りに落ちていった。
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