第150話 占い師


 ……時は少し遡る。


 具体的に言うと、今はソォータと名乗っている神のおもちゃの哀れな男が幼い教え子と共に魔族の作りし転移陣により自身が始めてこの世界に生れ落ちた地へと旅立った直後の事。

 そして場所も旧アメリア王国ではなく、まさに転移の儀式が行われたその場であった。


 眩いばかりの転移の光も男の姿と共に既に消え去りその場に残された者達は何か問題が発生しないか目の前の転移陣跡に意識を集中する為、固唾を呑んで静かに見守っている。

 それにより辺りは風にそよぐまばらに生える草の擦れる音以外静寂に包まれていた。


 それから暫くの事だ。

 何も起きない転移陣跡にその場の者達は転移が成功したのだろうと安堵の溜息を付いた。


「ふぅ~。何も起きねぇな。無事成功したって事か」


 その場に居る者の中でも一際大柄なまるで筋肉ダルマと形容しようが無いスキンヘッドの大男が緊張を吐き出すようにそう言った。

 これはその場の全てに者に緊張を解くように促す意味を込めた言葉でも有る。

 その意図を察した皆はスキンヘッドの大男の言葉に従い各々の注視の間ずっと身体に込めていた力よって凝り固まった身体を伸ばしながら大きく息をした。


「まぁ我が弟の事だ。今頃西の大陸に着いている事だろう」


 転移した男を弟と呼ぶこの男は、身に纏う旅人風の装束とは似つかわない高貴なオーラを醸し出している。

 彼はそのオーラの通り高貴な出の者、この国の王子であった。


 さも当然とした口調でそう言ったのだが、しかしその顔には冷や汗が浮かんでいる。

 失敗する筈が無いと言う自信は有ったものの、今目の前で起こった事は想像だにしなかった事なのだから仕方が無い。

 まさか幼い頃から読んでいた絵本がただの寓話ではなく、有史以来存在が確認されなかった転移魔法を伝える物だったとは思いもしなかったからだ。

 その事実は何もこの高貴な雰囲気を纏う者だけではなく、この場に居る全ての者に衝撃を与えた。

 この場に固唾を呑んで押し黙っていたのは転移した男と共について行った幼き勇者の安否を気遣うだけではなく、その衝撃を心が消化するまで時間が掛かった事も要因の一つだ。


 可能性を考えた事が全く無い訳ではない。

 この絵本を読んだ事がある者の多くは、作中に出てくる少しばかり恥ずかしい転移の呪文を一度は真剣に唱えた事があった。

 『旅する猫』のように遠くの街に行ってみたい。

 そんな願望を抱いて。

 しかしそれは有り得ない事だと羞恥心を抱きながら身を持って証明した。

 この場に居る者達はそんな純真な頃の幼く恥ずかしい記憶として思い出の中に残っている。

 

「いいなぁ~俺も行きたかった」


 日の光を受け眩しく輝く白銀のプレートメイルに身を包んでいる精悍な顔付きの若者が男が転移する前と同じ愚痴を零した。

 若者はこの国より西方に有る王国の第五王子であるが、紆余曲折の果て現在は英雄と呼ばれるほどの活躍をみせる冒険者だ。

 そして彼は転移した男の最初の教え子でもあり、自身の活躍は全てその男のお陰だと心から敬意を抱いている。

 今の愚痴もただ転移したかった事への我侭から来るものではなく、尊敬する先生の側で少しでもその助けとなりたかったからに他ならない。

 出来る事なら今すぐにでもあの恥ずかしい呪文を唱え先生の元へ馳せ参じたいと思っているが、魔法の素養の無い自分には無理だと分かっているし、そもそも先程の現象を見る限り精霊を使役する勇者でさえ無理だったのだから。

 だが自分にはやるべき事があると言う事を理解している彼は、もし仮に付いて行く手段が有ったとしてもそれを選ばなかったかもしれない。

 なぜなら尊敬する先生から帰ってくるまでこの国の事を託されたのだ。

 今の彼にはそれ以外の選択肢は考えられなかった。


「ふむ……このままここに居ても仕方があるまい。一度城に戻るとするか」


 腰に届くかと言う程の長い金髪、細面の整った顔にはカイゼル髭と顎鬚湛えた純白のローブを身に纏った男がそう言って皆を見渡した。

 そう言ったが、出来る事なら転移した男が帰ってくるまで待ちたいと言う思いは他の誰よりも強い。

 なぜなら彼は転移した先にある王国……いや王国の正統後継者であり、転移した男は彼の恩人であるからだ。

 恩人とは何も自分の命を救った者とは限らない。

 転移した男は彼の国に住む全ての民衆を救ったのだ。

 過去、そう祖先の王国創始者から続く因襲の敵である魔族の復活により彼の国は風前の灯であった。

 人に化けた魔族は王宮を裏から操りこの国の王族だけでなく国に住まう全ての人間を破滅に導く計画を立て、その火蓋は今まさに切って落とされようとしたその時、突如魔族は姿を消した。

 そのお陰で多少の騒乱はあり国の姿は変わったものの、少なくとも王国の民達を脅かす悲劇は訪れる事は無かったのだ。

 当時は何が起こったのか分からなかったが、どこか予感はあった。

 魔族が残した『宿敵』と言う言葉。

 それは因縁の相手である自分の祖先を指すのではなく、魔族の存在理由である『神の敵』から来るものであった。

 王国の悲劇を救ったのは魔族が言った『神の使途』。

 そして王国崩壊から十年の月日が経った現在、その正体を知る事が……いや自らの予感が正しかった事を知ったのだ。

 全ては先程転移した男のお陰である。


 感謝と言う言葉を幾ら積み上げようが足りない。

 どれだけの金銭を渡そうがそれに見合う恩を返せる筈も無い。

 だから自分は男が望む平穏無事に暮らしたいと言う願望を叶えたいと望む。

 その為に今時分が出来る事は、この場所で待つ事ではない事を分かっていた。

 自分がすべき事は男が全ての魔族を倒し安らかに暮らせる日々を迎える為の手助けをする事。

 それの為に自分が出来る事は一つ。

 魔族の伝承を調べ纏め上げ少しでも彼の助けになる事だ。


 そしてそれは何も彼だけではない。

 この場に居る全ての者が自分に出来る様々な形で男の助けになりたいと思っていた。

 だからこの場に残るのは数名の調査員だけで十分。

 それを分かっている皆は彼の言葉に頷きそれぞれが自分の居るべき場所へ戻る準備を始めた。




「あちゃーー。ちょっと遅かったかぁ」


 皆が帰る身支度を終え、最後に転移した男の無事を祈る為にと転移の魔法陣へ視線を移したその時、突然背後から声が聞こえた。

 それは何かを残念がる少し間の抜けた感じの女性の声。

 その言葉の意味に一早く気付いた者は、何故ここに女性が居るのか? 一体誰なのか? と言う疑問が脳裏に過ぎる前にその声の主へと対峙しある者は剣を構え、またある者は魔杖ワンドを構えて呪文の詠唱を始めた。


 『遅かった』と言う言葉。

 この女性はここで起こなわれた事が何かを知っている。

 国家機密として極秘裏に行ってきた転移実験の事を……だ。

 それを知っているのは王宮でも一握りの人間のみ。

 そして女性と対峙した者の目に映る姿は、その者達のどれにも該当しない。


 目の前の女性は黒に近い藍色の髪を風に靡かせ、素であれば整っているであろうその容貌を少し大袈裟に落胆させた表情に歪ませている。

 その出で立ちは身体のラインを強調させるような黒いローブを身に纏っているが、妖艶と言うよりもまるで博物館にでも飾られている聖女を模した彫像のような印象を受けた。

 それ故最初に目にした際に彼女が魔族だと言う選択肢は浮かばなかったが、それさえ擬態ではないのか? と、今は無き王国の正統後継者はその目に宿る女神から頂いた始祖伝来の力『感知眼』を用い目の前の女性の正体を探ろうと魔力を込める。

 彼女は只者ではない。

 なぜならその身から溢れる魔力は常人のソレではなかった。

 だがソレを分かるのは自分だけであろう。

 いや、親友ならば何かしら気付くかもしれないが全容を理解する事は出来ない筈だ。

 何しろ彼女の魔力は周囲一体を覆う程の力を持ちながら誰も気付きえない程、その存在を隠蔽されているのだから。


 こんな芸当が出来るのは一人しか心当たりが無い。

 その人物は先程転移の魔法陣で懐かしの王国へ旅立った神の使徒のみ……いや……?

 

 彼は遥か昔、まだ皇太子として成人する前の幼き日に謁見の間で一度目にした人物の事を思い出した。

 そんな筈はない。

 彼はその記憶を否定した。

 何故ならその人物は既に死んでいるのだから。

 それは今から二十四年前、彼の国の地で引き起こされた大災害。

 突如現れた『大陸渡り』の地獄の業火によるタルタロス村焼失事件の被害者の内の一人なのだ。

 それに否定した理由はそれだけではなかった。

 眼の前の女性の姿は今も瞼の裏に残る初めて異性に惹かれると言う甘い記憶からそのまま飛び出して来たかの様に変わらなかったからだ。

 彼の幼い頃とは今から四十年は昔になる。

 その時見た人物が同じ姿をしているわけが無い。

 けど……彼女なら……賢……なら。


「あれ? テラさんじゃないですか?」


「あら、私の事を知ってるの?」


 彼が記憶の中に残る憧れの女性の名を口にしようとした時、勇者の従者である治癒師が彼女に声を掛けた。

 それに違和感も無く答える女性。

 と言う事は治癒師が呼んだ名前で正しいのだろう。


 テラ……? 彼女の名前はテラと言うのか?

 彼は慌てて口を閉じる。

 まさか自分が既に焦がれも消え失せた筈の思い出に引き摺られ、思いのままかの人の名を呼ぼうとは……。

 彼は人違いをして恥をかく所だったと少し赤面して誤魔化すように小さく咳払いをした。


 「……ああ、貴女! そう言えば王都で占ってあげたわね。どう? あれから上手くいってる?」


「え? えぇ。それはもう、エヘヘへ〜」


「良かった。そうやって喜んでもらえると占い師冥利に尽きるわ」


 治癒師とテラと呼ばれた女性の会話は続いていた。

 テラの言葉に治癒師は頭を掻きながら照れた笑いを浮かべている。

 その会話からするとテラは占い師らしい。

 そしてどうやらテラが告げた占い結果は治癒師にとって都合の良い展開になってる様だ。


 二人のやり取りだけを見ると和やかでホッコリ出来る光景ではあるもののここは町の通りの井戸端な訳ではない。

 およそ人が立ち入る様な場所ではなく、まさに秘境と呼ぶに相応しい荒野なのだ。

 それだけではない。

 今の会話で出て来た単語も無視出来ないものであった。


 ん? 占い師の……テラ……?

 そう言えば最近その名を聞かなかっただろうか?


 ……。


 一拍後、に気付いた者達は大声を上げた。


「あぁぁぁっ! 見付けたぁぁぁっ!」

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