第136話 おふくろの味

「おやおや、目が覚めたってのに床に転がって。まだ起き上がってはダメみたいだね。もう少し横になってなよ」


 固唾を飲んで足音の主の登場に怯えている俺に、扉の前に現れた人物はにこやかに笑いながらそう言った。

 想像していた表情や言葉とは違う現実に、俺はどう答えたらいいのか分からずただ口をパクパクとさせる事しか出来ない。


「あんたコウメちゃんに感謝しなよ? 倒れたあんたを町の入り口まで運んで来たんだからさ。あんた達旅してるんだってね。コウメちゃんに聞いたよ」


「え? あ、あぁ……」


 目の前の人物の言葉に、何とか我に返った。

 俺はこの人物に見覚えがある。

 想像していた言葉ではなかったが、想像していた人物だ。

 勿論二十四年の月日によって、最後に会った時よりその顔には年輪の如く深い皺が刻まれているが、俺の記憶の中に残っていたその人物の面影を見失う程ではない。

 俺の記憶の中だけの交流であったが、母さんに連れられて何度も通ったこの薬屋。

 この人は来る度に俺を笑顔で迎えてくれて、帰り際にお菓子をくれたんだ。

 母さんより二十以上は年齢が上な筈だけど、母さんとはまるで幼馴染の様に仲が良かった……と言う設定。

 俺は懐かしさが込み上げて来て思わず目に涙が浮かびかけたが、既の所で正気に戻った。


「え~と、が俺を助けてくれたのか?」


 俺はまるで初めて会ったかのように、そう目の前の人物に話し掛ける。

 それもニヒルでキザったらしい歯の浮くようなお世辞をな。

 にこやかな笑顔にさっきの言葉、どうやら俺が『正太』だって事に気付いていないようだ。

 コウメから事情を聴いていたみたいなんで不安だったが、一応出発前の打ち合わせで俺が『正太ショータ』ってのが、こっちの人間にバレねぇようコウメに言い聞かしていたのが効いたんだろう。

 だからあえて言葉を使ってみた。


 目の前に居るのは『お姉さん』なんて年齢じゃなく既に七十歳に手が届くくれぇな婆さんだ。

 彼女はこの薬屋の女将。

 薬問屋をしている旦那と一緒にこの薬屋を営んで『いる』、と言うか『いた』。

 まぁ、いまだに薬屋の匂いはするんで『いる』でも良いかも知れねぇけどな。

 二人には子供は居らず、俺の事をまるで孫か息子の様に可愛がってくれていたっけ……いや、これも設定だな。

 なんせ俺と婆さんの出会いは『大陸渡りの魔竜初めて俺がこの』に故郷を破壊された世界に降り立った時なんだからよ。


「あらやだ。『お姉さん』だなんて。あんた口が上手いね~」


 俺の見え見えのお世辞に婆さんは嬉しそうに笑っている。

 まぁこの手のお世辞は十二年に渡る逃亡中、人を欺く為に何度も使った事が有るからな。

 これくらいお手の物だぜ。


「俺の名前は既にこいつから聞いてると思うが、って旅のもんだ。なんかここら辺初めてで道に迷っちまってよ。ちょっと無理し過ぎて倒れちまってたみてぇだな。本当にありがとよ」


「おやおや大変だねぇ。最近魔物達の動きもおかしいし物騒だから、気を付けるんだよ」


 ホッ、どうやら本当に俺の事を気付いてねぇらしい。

 俺は年を取らねぇって言っても婆さんに会ってから十四年経ってる状態での話だからな。

 二十八ん時の俺の姿を知らねぇんだから当たり前か。

 安心したぜ、さっきまではマジで終わった~って気分だし、気が晴れたら身体もなんだか動くようになった気がする。


 ぐぅぅぅぅぅ~。


「あっ……」


 安心した途端、俺の腹が盛大に音を立てやがった。

 それと共に凄まじい空腹感が俺を襲う。


「あらあら、お腹減ってるのかい? まぁ仕方ないね。まる二日も寝てたんだからさ。よし、なんか作ってやるから待っときな」


 婆さんはそう言って笑いながら部屋から出ていった。


 助かった~。

 マジで助かった~。

 俺はいまだ鳴り響く腹に耐えながら絶体絶命のピンチを無事に乗り切った喜びに打ち震える。


「先生~気が付いてよかったのだ~!」


 喜んでいる俺に突然コウメが飛びついてきた。

 力が戻ってきた俺はそれを受け止める事に成功する。

 よしよし、コウメのタックルを受け止められるなら大丈夫だな。

 このまま回復しなかったらどうしようかと思ったぜ。

 あとは時間の問題だろう。


「すまねぇな、コウメ。ちょっと転送を事故っちまってよ。異空間に取り残されちまってたようなんだ。お前は大丈夫だったか?」


 さすがにロキのおもちゃにされてたなんて事は、コウメ相手でも言えねぇからな。

 転送事故って事にしておく方がいいだろう。


「ボクは大丈夫だったのだ! ピカーってなって穴に落っこちたと思ったのに、目を開けたらこの町が見えたのだ。けどトカゲの入った籠が転がってるだけで先生の姿が見えなくて……」


 転送先に俺が居なかったのが余程怖かったんだろう。

 置いてかれたと思っちまったかもしれねぇ、可哀そうな事をしちまったぜ。

 まぁ悪いのは全部ロキの野郎なんだけどな!

 コウメはそれ以上何も言わず、俺を抱き締める手に力を入れた。


「本当にすまねぇな」


 俺はそう言ってコウメの背中を優しく撫でる。

 するとコウメは少し落ち着いたのか、「うんうん」首を縦に振った。


「しかし、すぐに着いたんだな。そりゃ良かった。あ~あとコウメが着いてから俺が現れるまでどれぐらい経ってたんだ?」


「う~ん。暫く先生がどこに行ったのかウロウロしてたんでよく分からないのだ。もしかして町に行ったのかと思って戻って来たら先生の姿が有って、嬉しくて飛びついちゃったのだ。そしたら先生が気絶しちゃって……死んじゃったと思って……。ヒックヒック……」


「あぁすまんすまん。泣くなって、なんにせよ俺は無事だったんだからよ。まぁ今度はもう少し優しく俺に飛びつくようにしてくれ。さすがの俺でも不意を打たれたらこんな事がある訳だしな」


「分かったのだ……」


 俺の言葉にシュンとなるコウメ。

 ちょっと可哀そうだが、これはちゃんと言っとかないとな。

 万全な俺でもコウメの本気タックルは結構身体の芯に響くんだ。

 第二覚醒をした万全な俺ってのがどれくらいかまだ分からねぇが、どっちにしろ一般人なら死んじまうからな。

 俺と出会ってから急激に力を付けているコウメが、意図せず人を殺しちまわない内に教えねぇと危ないぜ。


 だが、コウメが語った内容からすると、どうやら俺がこの世界から消えていた時間はそれ程長くねぇみてぇだ。

 まぁ、コウメが三日三晩俺を探し回ったとかなら別だけどよ。

 とは言え燃費の悪いハラペコキャラなこいつの事だ、その前にこいつ自身が空腹でぶっ倒れちまうだろうから、そんな事はねぇだろうけどな。


 長くて数時間、短くて数分って所か。

 俺の感覚では結構長い事居た気がしたが、どうやら下界ではそんなもんみてぇだ。

 ロキの奴め、『ここで寝たら三年なんかあっと言う間』なんて言うもんだからちょっとビビっちまったぜ。




        ◇◆◇




「二日間食べてないからミルク粥だけど、ゆっくり食べなよ。胃がびっくりするからね」


「いや、ありがてぇよ。今胃に入る物なら何でも美味ぇ」


 俺は婆さんが持って来てくれたミルク粥を口の中に掻き込んだ。

 婆さんがゆっくり食べろと言ってるが、二日振りの食事ってんだか止められねぇ。

 うめぇうめぇ、がこんなにうめぇなんて思った事は始めてだぜ。


 最初婆さんが持って来たを見た時は内心がっかりした。

 なんたってミルク粥って言ったら、赤ん坊の離乳食や子供の病人食の定番だからな。

 俺の造られた記憶の中でも何度か食った事がある。

 記憶の中で病気ってシチュエーションの時には必ず母さんが作ってくたんだ。

 所謂『懐かしのおふくろの味』って奴か?


 今思うと薬師なんだから薬で治したら良いと思うんだがな。

 けど母さんは『病人にはこれが一番なんだよ』とか言って無理矢理食わせたんだよな。

 『これ全部食べないと、もう料理作ってあげないからね~』とか言ってよ。


 正直記憶の中の俺はあんま……いやかなり好きじゃなかった。

 幼い頃の俺の味覚にはこれは不味いモノと認識されていたんだ。

 記憶の中の母さんの料理はとっても美味かったもんで、早く良くなって母さんの料理を食べたいとか思っていた。

 まっ、それも作られた思いって奴なんだろうがな。


 ……ただ、俺もうすぐ四十に手が届くこんなおっさんに子供の病人食であるミルク粥ってのはどうなの? と思わんでもなかったんだが、まぁ婆さんからしたら俺でさえヒヨッ子同然って事なんだろうな。

 外見年齢は若いんだしよ。

 ところが『空腹こそどんなスパイスにも勝る』って言う言葉を俺は今実感してるぜ。

 ほんのり甘いミルクの匂いが、俺の鼻孔をくすぐって空っぽの胃から途轍も無ぇ食欲を引き出している。

 お粥って言っても元の世界の様に米じゃなく、ミルクで堅いパンを煮込むって感じなんだが、甘い匂いに反して口に広がる味は少し苦いと言うかしょっぱいと言うか、微妙な風味にほんのりコンソメが効いたスープみたいな感じだ。

 だもんで、元気な身体なら物足りなく感じるんだろうが、なるほど子供用の病人食ってのも頷ける。

 とても優しくて弱った身体に力を与えてくれると言うのを実感するぜ。

 記憶の中の俺は幼過ぎて、この良さが分かってなかったんだな。


「あぁ、だからゆっくり食べなって……」


 婆さんの言い付けを守らずに勢いよく食べる俺を注意するが、匙を持った俺の手を止める事は出来ない。

 あっと言う間にそれなりの大きさの底深スープ皿からお粥の姿が消えた。


「おばちゃん! おかわり!!」


 あっ……しまった。

 つい気を抜いちまって昔の呼び方で婆さんを呼んじまった。

 こ、こりゃ、ばれちまったか?

 俺はびくびくしながら婆さんの様子を窺ったが、婆さんは少し驚いた顔をしてるが、別段俺の事に気付いたって様子はねぇな。


「おやおや、『お姉さん』の次は『おばさん』かい? ちょっとは年齢に近くなったかね。あははははは。ちょっと待ってな。お代わり持って来てやるよ」


 婆さんはそう言って立ち上がり部屋を出ようと扉に向かって歩き出す。


「え? は……はははは。本当にすまねぇな。腹が減っちまって、つい……」


 ふぅ~、何とかセーフか?

 あぶねぇあぶねぇ。

 俺は部屋を出て行く婆さんの後姿を見ながら安堵の溜息を吐いた。


 しかし、ここはダメだわ。

 顔馴染みって事といい、薬屋の匂いって事といい、極め付けはミルク粥。

 そんな懐かしのフレーバー三点セットが、ついつい昔の事を思い出して気が緩んじまう。

 造られた記憶だってのによ、厄介極まるぜ。

 早く動けるようにならねぇとヤバイわ。

 今はどんどん食べて体力回復させねぇとな。



「ほら、お代わりだよ。まだまだ有るんだ。誰も取らないからゆっくり食べなよ」


 暫くすると婆さんがお代わりのミルク粥を手に戻って来た。

 まだまだ腹が満たされてない俺は、婆さんがゆっくりと言ったのに先程と同様に匙を俺の口と皿間の特急ピストン運動に従事させる。

 そして……。


「お代わり!」

「はいはい」


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