第110話 激しい怒り

「ここだよ」


 人気の少ない狭い路地を暫く歩くと一軒の小さな酒場に辿り着いた。

 大衆酒場と言うよりは、何か元の世界で言う所の小洒落たバーって感じの門構えだ。

 いや、元の世界の小洒落たバーなんてのは俺も良く分かんねぇよ。

 なんせ当時中学生だったしな。

 マンガとかドラマで出て来るそう言う奴。


「おい、大丈夫なのか?」


「ん? あぁ安心しなって。中に教会の者達が詰めているなんて事は無いさ」


 俺の言葉に呆れた顔で振り返り、やれやれと言うジェスチャーでそう言ってきた。

 『教会には言っていないと言っているのにしつこい男だ』とでも言いたげだ。

 フンッ、レイチェルの提案に乗ってこんな所までのこのこ付いてきてしまった以上、今更何が飛び出ようが関係無い。

 逆にそんなせこい手を使うなんて事の方が全く頭に無かったぜ。


「違うっての。準聖女様が男なんかと二人で飲み屋に入って噂になったりしないのかって事だよ!」


「はぁ? …………ぷっ。あははははは。 あぁ、あぁ、そっちかい。ふぅ、そう言う所は変わらないねぇ。あはははは」


 思ってもみなかった回答だったのか、間の抜けた声で聞き返した後、噴出してて笑い出した。

 レイチェルは俺の言葉が余程ツボに入ったのか、少し涙目になりながら笑っている。

 その笑い顔に、ふと懐かしい記憶が俺の脳裏を掠めたが慌てて振り払った。


 そんな顔をするんじゃねぇよっ!

 俺とお前は敵なんだ。


 その一挙手一投足に俺の心が激しく揺さぶられる。


「ふぅ、大丈夫大丈夫。今は仮面を外してるし、服だってこの通りさ。それにフードもしてないからね。そうそう気付く人なんか居ないよ。それに今夜は貸し切りさ。あんたとあたし、二人だけだよ」


「貸し切りってお前。いつの間に……」


 何処まで用意周到なんだよこいつ。

 ……ちょっと待て? 最初からこうするつもりだったって事か?

 

 カラン、カラン。


「マスター、さっき言った通り連れて来たよ。酒は勝手に取るし、代金も後でちゃんと払う。終わったら戸締りもするから、今夜は二人っきりにさせてよ」


 俺の問い掛けには答えず、店に入って行きやがった。

 しかも、酒場のマスターまで追い出すってのか?

 本当に俺と二人っきりになるだと?

 まだこいつは俺の事などいつでも殺れるって思っていやがるのか。


 ……いや、ここでレイチェルに何か有ったら、俺の仕業だと言う証拠になるって事か。

 恐らく俺の素性はマスターとやらに話しているだろうしな。

 連続殺人犯のショウタであり、噂の教導役ソォータって事をよ。

 要するにギルドのメンバーも人質って事か。

 俺がここで何かをすればギルドの皆も共犯者と疑われて教会の手が回る。

 ちっ! やってくれたぜ。

 これじゃあ、手が出せねぇぞ。


「分かりましたよ、レイチェルさん。それがお相手ですか~。思ったよりお若いですね~。ふふふ~、戸締りお願いします。 それではお楽しみ下さい~」


「は? おっ、おいっ! ちょ、違うっての!!」


 酒場のマスターって言うからおっさんかと思いきや、三十路に届くかどうかって感じの若い女性だった。

 なんか俺達二人の事を目を細めてニヤニヤと含み笑いをしながらそそくさと店から出て行く。

 誤解を解こうと思って声を掛けたがあっと言う間に扉は閉められた。

 な、何を勘違いしてやがるんだよ。

 なにもお楽しみなんかねぇって……の?


 え? 今のはなんだ?

 マスターはレイチェルと言ったのか? チェルシーじゃなく?

 しかも、あの笑いは俺の事を警戒などしちゃいねぇ。

 ただの逢引きと勘繰ってる様子だった。

 どう言う事だ?

 俺は慌ててレイチェルを見た。


「だから言っただろ? 誰にも言ってないって。あの子は若いのにしっかりしててね。とても聞き上手なのさ。だからよく昔の愚痴とか聞いて貰ってるんだよ」


 昔の愚痴? あぁ、だからあの女マスターはチェルシーではなく本名であるレイチェルと言ったのか。

 いや、そうじゃなくなんなんだこれ? 意味が分からねぇ。

 あぁ……もう、分かりたくもねぇよ!


「あんたはそこのカウンターに座ってて。あたしが淹れてあげるわ」


 そう言って真ん中のカウンター席を指差し、自分はカウンターの中に入って行く。

 酒場の中も外の様子と同じく小洒落たバーのイメージそのもの。

 ムード有る間接照明程度の明かり、シックな黒で統一された壁紙。

 カウンターの壁には酒瓶がお洒落に並んでいる。

 神の奴め、中世の文明レベルに変な物持ち込むんじゃねぇよ!

 心の中で神にツッコミを入れながらレイチェルの指した椅子に腰掛けた。

 レイチェルは壁の棚に並んでいる瓶を一つ取り、グラスに注いていた。


「あんたは、なにを飲む? 果実酒? それともエールにでもするかい?」


「いや、酒はいい。飲むと頭が回らなくなるからな。今この状況で飲めねぇよ」


「あらあら、相変わらず酒に弱いのかい? じゃあ、これでいいね」


 『余計なお世話だ』と言うとしたら、準備も無くスッと俺の前にグラスを置いた。

 これ今注いでいた奴だろ? 自分のやつじゃねぇのか?

 この行為の意味が分からず、顔を上げレイチェルを見た。

 俺の顔をふふんと笑いながら見たかと思うと振り返り棚の瓶を物色し出した。


「じゃあ、あたしはこれにしようかね」


 ん? あたしは・・・・?

 自分の奴を渡したんなら、もう一度注げばいいのに。

 もしかして俺に渡したやつで無くなっちまったのか?

 いや、さっきの瓶にはまだ半分以上入ってる……な。

 って、それ……。


「お、お前! 最初から俺がこれ・・を選ぶと思って注いだってのか?」


「あんた、その果物のジュース好きだったろ? それとも嫌いになったのかい?」


 俺はその言葉に驚愕した。

 アメリア王国時代、当時も酒に弱かった俺はハリーやドナテロ達に笑われながらも、この果実ジューズを飲んでいた。

 勿論、国も大陸も違うので同メーカーの物じゃねぇが、この世界ではポピュラーな果物から作られている為、比較的何処でも似た様な味で楽しめる。

 最近は年齢に合わせて大人ぶる為に、あえて人前では格好を付けて好きでもない酒を飲み、このジュースを滅多に飲まなくなったが、本当は今でも大好きだ。

 レイチェルはそんな俺の好物を覚えていて、最初から俺の為にグラスに注いでいたってのか?


「ふんっ。……言っとくが俺には毒は効かねぇぜ?」


 俺はそう言ってグラスを受け取りコクッと口を付ける。

 久し振りの好物の味に、頭の中に懐かしい風景が浮かぶ。

 チッ、何だって言うんだ。

 こんな事して何が目的なんだよ。

 俺が強い事を察知して油断させようと思ってやがるのか?


「あらら、乾杯しようと思ったのに。まっいいか。……それに毒なんて入れないわよ」


 レイチェルはそう言って一人グラスをスイッと掲げてからごくごくと飲みだした。

 おい、それウォッカじゃねぇのか? それをストレート?

 う~ん、昔から酒に強かったが、パワーアップしてやがるな。

 そこは単純に羨ましいぜ。


「ぷはぁ~。美味いねぇ~。『準聖女』なんて呼ばれだしてから、なかなか好き勝手お酒を飲めなかったからね。本当久しぶりだよ」


 レイチェルは美味そうに一気に飲み干すと、またグラスに酒を注ぎ出す。

 まるで当時の彼女を見ている様だ。

 俺の心がざわざわと騒めき、その感情の奔流に頭が混乱して来る。


「いや~、ずっと探していたショウタがこんな近くに居たとはねぇ~。この国に来て三年経つけど気付かなかったよ」


 酒で気分が良くなったのか、上機嫌にレイチェルは喋り出した。

 ヤメロ! ヤメロ!

 心の中でレイチェルに対する否定の言葉が木霊する。


「ハッ。俺はてっきりお前はハリーやドナテロに付いて行ったと思ってたけどな」


 何とか言葉を振り絞り当て付けにそう言ってやった。

 違う事は知っていたが、先輩達が王国出た後に合流したって可能性も有ったしな。


「なに言っているのよ。あんな薄情な裏切り者達。付いて行く訳無いでしょ!!」


 すると、どうだ。

 急に顔を真っ赤にして怒りやがった。

 その言葉に血が逆流する。


「それをお前が言うな! お前だって同じもんだろ!!」


「あ、あぁ……、あぁそうだね。あたしも同じさ」


 レイチェルは俯き、小さい声でそう零す。


 ヤメロ! ナニ落チ込ム様ナ顔ヲシヤガルンダ!

 オ前ノソンナ顔ナンテ見タクナイ!


「しかし、お前の証言は見当違いだったな。俺は故郷なんかに戻ってねぇよ。お陰で国境が手薄になったんで逃げだせたんだ。はっ残念だったな。ざまぁ見ろだぜ」


 胸の苦しさから逃れる為に、何とか言葉を紡ぎ悪態を吐き気を紛らわせた。

 レイチェルの悔しがる顔が見れたら、気分も楽になるだろう。

 そう思ってレイチェルを見ると少し俯き嬉しそうな顔をしている。

 そして、小さく「良かった」と言う言葉が聞えた気がした。


「は? え? な……」


 俺はその顔と言葉に、考えたくない回答が浮かび上がって来たのを一生懸命消そうしたが、その答えは消えてくれない。


 ヤメロ……、ヤメロ……。


 そんな俺の動揺に気付いたのか、レイチェルは急に悔しがる表情をし出した。


「い、いや~。あたしの読みが外れたねぇ~。絶対故郷に逃げ帰ってると思ったのにね~」


 とても悔しそうに地団駄踏みながらレイチェルはそう言った。

 本当にわざとらしい。


 ヤメロ……、止メテクレ……。


 俺は張り裂ける胸の痛みに耐えられない。


「ふぅ……、しっかし、そのショウタが、いつの間にか娘と仲が良くなってるなんて人生分からない物だねぇ」


 悔しがるのを止めたと思ったらレイチェルはまた別の事を喋り出す。

 今度はコウメの事だ。俺は……、俺は……。


 ヤメロ! ヤメロ! ソレ以上喋ルナ!

 ソレ以上俺ヲ苦シメルナ!


 頭の中の言葉は激しさを増している。

 それと共に手の中のグラスを握る力が強くなっていく。


「まぁガーランドさんや王子を見掛けた時も肝が冷えたけどね……」


 パリンッ!


 店内にグラスが割れる音が響き渡る。

 俺が手の中のグラスを握り潰した音だ。


「止めろっ!!」


 のんきに喋るレイチェルに、俺の混乱が許容量を超え俺は立ち上がり叫ぶ。

 レイチェルを睨むと、突然の俺の行動に驚く事も無く見つめ返して来ていた。

 ただ先程までの笑顔とは打って変わり真剣な顔付になっていた。

 またもや俺の行動を読まれたのかと思い、苛立ちが心を支配する。


「何だってんだっ!! 何が目的だっ!! 何今更昔話を始めてるんだよ!! お前は敵だっ!! 俺を絶望に叩き込んだ憎むべき奴なんだよ!!」


 俺の魂の叫びにレイチェルの真剣な表情が少し崩れ悲しみの色を浮かべた。

 その顔に俺の心が張り裂けそうになる。


 ヤメロ! ソンナ顔スルナ!!

 俺ヲ惑ワスノハ止メテクレ!!


 激しい怒りに俺の身体から魔力が溢れ出し、まるで稲妻の様に周囲に迸り近くの物を焦がす。

 それによりカウンターの棚の酒瓶が幾つか割れ破片が飛び散った。

 そんな状況でもレイチェルの顔色は変わらない。


「ほら、グラスなんて握りしめたら手に怪我しちまうよ。見せてみな。治してあげる」


 レイチェルは何事も無かったように俺の手の心配をして、あまつさえ治そうとカウンターから身を出して手を伸ばして来た。

 俺はその行為が許せなくて、思わずカウンター越しに襟元を掴み上げる。

 なにより、今の俺を『診察』なんかしたら俺が人間じゃねぇって事がバレるじゃねぇか。

 『神の使徒』だか『落とし子』だなんてどうでもいい。

 今更そんな事こいつには知られたくねぇんだよ。


「ふざけるな!! 俺の傷なんて心配してどうする! お前だって俺の事が憎いんだろ!」


「く、苦しい。手を放してよ。女性に手を上げるなんてあんたらしくもない」


 力いっぱい襟元を掴んだ為、首が締まってしまいレイチェルの顔が少し鬱血している。

 その苦しそうな顔を見て俺は思わず手を放してしまった。

 憎むべき相手、殺そうと思って来た相手だって言うのに。


「ふぅ、放してくれてありがとう。……そうだね。あたしとしてもあなたは憎い相手。あたしが治そうとしている村人達をあたしの目の前で殺したんだ。騎士団を壊滅させた魔物に乗じて逃げ出した犯罪者。それがあんたさ」


「そうだ! それが俺だ!」


 真相とかどうでも良い!

 俺はレイチェルの前で村人を殺したんだ!


「そして、あたしは捕らえられた。あんたの仲間としてね。折角築いた王家とのコネもパァさ」


「そうだ! 憎いだろ!」


 俺の叫びに少し淋しげな顔で俺を見詰める。

 だからそんな顔をするなよっ!


「本当はね。あんたの事はすぐにでも見付かると思ってたんだよ」


 話がいきなり変わって俺は戸惑う。

 すぐにでも見付かるってどう言う意味だ?


「あんたは人が大変な目に遭ってるのを見たら身体が勝手に飛び出しちゃうタイプだったじゃない?」


「覚えてねぇよ。それがどうした」


 今更また昔話か?

 だからなんだってんだ。


「自分が怪我しようが構う事なく何度も突っ込んでは、あたしに治して貰ってたわよね」


 レイチェルは当時の事を懐かしそうな顔で話す。


「何が言いたいんだ! 良い事してたら評判になってただろうとか言うのか? こっちはずっと逃亡生活してたんだよっ!」


「違う違う。そうじゃない。まっ、それも期待はしてたけどね。本当の理由は誰かがあんたに治癒魔法を掛けたら騒ぎになると思ってたからよ」


 え? それはどう言う事……?

 なんで俺に治癒魔法を掛けたら騒ぎになるんだ?

 ……いや、そんなまさか?


「お前、俺の身体が『神の土』で出来てるって事知ってたのかっ!」


「えぇ、そうよ」


 レイチェルは目を伏せてそう言った。

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