第38話 過去の再来


『正太君は将来、正太君のお父さんみたいな強い戦士になるのが夢なの? へぇ~そうなんだ。じゃあ私の事をずっと守っていてね』


 神に作られた小さい頃の記憶。

 俺はクレアとそう約束したんだ。絶対一生守るって!


  ―――……でも、守れなかった―――



『へぇ~。君、結構強いんだね。じゃあ、街に着くまでしっかりと守って貰おうかな。私の名前はレイチェルよ。よろしくね』


 アメリア王国に居た頃、好きだった治癒師の女の子。

 作られた悲しい過去を植え付けられ、その後、神からも見放されて、それでも前向きに生きようと思った頃に魔物に襲われていた彼女と森で出会ったんだ。

 そして、作られた記憶とは違い、絶対に彼女をこの手で守ろうと心に誓った。


 ―――守っただろうっ! でも……―――



 過去の出来事が脳裏を過ぎる。

 あれから俺は、誰かを守ると言う事が怖くなった。

 逃亡中も出来る限り人と関わらず、困っている者達の事も極力見て見ぬ振りをして生きて来た。

 変ってきたのは最近か? いや、教導役を引き受けてから徐々にゆっくりと、そうなっていったのかもしれねぇな。

 それに、今回は嬢ちゃんと約束したんだ。


 チコリーをしっかりと守るってなっ!


 俺は足に増強の魔法を掛け一気に丘を登った。

 気だけは焦り、鼓動が早くなる。


「クソッ! やはり生き残りが居たか! けどっ!」


 丘の上に立ち見下ろすと遠くにチコリーの後ろ姿が見える。

 懸念した通り、チコリーの前方に大穴が開き、そこから先程より若干眷属化の進行が進んだ女媧モドキが這い出て来ている所だった。

 一息でチコリーまで届く距離。いつ襲われてもおかしくない。

 チコリーは恐怖で動けないのか、魔物を前に縮こまっている。


 良かった、まだ無事だ! しかし、危ない!


 女媧モドキの身体はあちこちと抉れている所からすると、運良く土槍同士の隙間を縫う形だったと言う事か。

 瀕死の重傷ではあるが、致命傷には至っていない。

 クソ! ケチっちまったかっ! あと数㎝太くしておけば……。


 どうする? 魔法か? しかし……。


 土壁の魔法は無効化される恐れが有るし、そもそも女媧モドキとチコリーの間にそんなスペースは無ぇ。

 防御の魔法を掛けるにしても、距離は遠く構築する時間が俺でもギリかもしれないし、女媧モドキ自身を何とかしないと根本的解決にならないだろう。

 射撃系の魔法は射軸線上に嬢ちゃんが居るので誤射の危険が有る。

 範囲魔法は勿論論外だ。


 先輩や王子の様に、魔力を繊細に操る事が出来たら手は色々と有るんだろうが、今まで攻撃魔法なんて魔力のみで押し切る戦い方しかして来なかった俺には、チコリーを巻き添えにせず、奴だけを倒す芸当は無理だ。


 ダメだ! 魔法は詰んだ。


「ならばッ!」


 俺は嬢ちゃんの元に走る。

 そして……。


ブースト投擲力増強! ブースト命中率増強! ブースト集中力増強! そんでナイフにブースト貫通力増強! ……横に飛べっ! チコリーッ!」


 俺は走りながら、増強の魔法を連続して唱え、腰からナイフを取り出し振りかぶりながら大声で叫んだ。

 俺の声に気付いたチコリーは、俺の言う通り、慌てて横に飛び、間一髪の所で魔物の攻撃は空を切った。

 

「よしっ! 素直でいい子だ。 大猿野郎め! これでも喰らえっ!!」


振りかぶった手に力を込め、女媧モドキ目掛けてナイフを全力で投げる。

 ブーストで強化されたナイフは、凄まじい速度で空気の壁を切り裂きながら、レーザービームの様に一直線に魔物を目指して飛んでいった。


 ズガンッ!! ドシャッ。


 貫通力を上げた俺のナイフによって、奴の右腕は吹き飛び、近くに落ちた。


「チッ、避けやがったか。だが、これでっ!」


 先程大声で叫んだ所為で、俺の存在に気付いた女媧モドキは、飛んで来るナイフに反応して避けようとした為、腕一本を吹き飛ばす位のダメージしか与えられなかった。

 しかし、これで良い。

 痛みのあまり逃げ出してくれても良いし、俺を見てさっきの女媧モドキと同じくターゲットを俺にしてくれても良い。


 どっちにしてもチコリーは助かる!!


 また判断ミスをした。

 俺は状況が良くなったと勝手に思い込み油断して、走る足を少し緩めてしまった。

 さっきは俺しか居なかったから俺に向かって来ただけなんだ。

 大猿は眷属化しようと、所詮大猿と馬鹿にしてしまっていた。


 女媧の奴は何をした?


 俺が仲間を守っている事に気付いた女媧は、まず周りのグレン達を眷属化させて、俺と戦わせたじゃないか!

 そして、地面に転がる皆を利用して、俺を防戦一方に追い込み、そして殺そうとしただろう!

 その事を思い出せていたら、次の奴の行動に関して気付いたはずだ。

 

 そう、奴は有ろう事か、失った右腕の仕返しとばかりに、俺にニヤリとした笑みを投げ掛けた後、まだ起き上がれていないチコリーににじり寄って行く。

 俺に倒される事を悟って、チコリーを道連れにでもすると言うのか?


「逃げろ! チコリーッ!!」


 俺は走りながら叫ぶが、チコリーはあまりの恐怖に腰を抜かしてしまったのか、這うようにアタフタと少しずつしか動けていない。

 既に奴の間合いの中だ、いつでもチコリーを殺す事が出来るだろう。

 女媧モドキの野郎は横顔からでも分かるくらい、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていた。

 恐らく魔法にしても剣を投げ付けるにしても、次の瞬間にチコリーの命も尽きてしまう。

 俺と奴との距離は、まるで永遠を感じさせる程遠く思えた。


 クソッ! 間に合え! 間に合えよ! 俺の脚!

 

 まるで過去の再来だ。

 魔竜の炎に焼かれて助けられなかったクレア。

 そして、女媧の眷属に襲われそうになるレイチェル。


 今回は、その二つの過去悲劇が同時に俺の元にやって来ると言うのか?


 奴がもう一度こちらを見た。

 まるで『お前の大切な者は頂いていくぞ』とでも言っているかの様な勝ち誇った表情だ。

 その顔に、俺の頭はまるで沸騰したかのように、怒りの感情が激しい熱を上げながら渦巻き、正常な思考は灰と化し何も考えられない。

 この怒りは奴に対してじゃない、俺自身の浅はかさにに対する怒りだ。


 そんな中、視界の隅にチコリーの顔が見えた。

 それによって少し正気に戻った俺が、そちらに目を向けると、チコリーは目に涙を浮かべながら、俺に向かって口をパクパクとさせている。

 声は聞こえない。……だが、何を言っているのかは分かった。


『師匠……。助けて……』


 その瞬間、俺の身体の中で何かが弾けた。

 

 ――マニアワナイノナラ、マニアワセタラ、イイジャナイ――


 俺の中で矛盾しているが、矛盾していない言葉が響く。

 俺はその意図を理解した。


ブースト脚力増強! ブースト腕力増強! ブースト骨格増強! ブースト心肺力増強! ブースト動体視力増強! ブースト集中力増強! ブースト反応力増強! ブースト反射力増強! ブースト精神力増強! ブースト!ブースト!ブースト!ブースト………」


 俺は心の言葉に従って、夢中で有りと有らゆる身体能力に関するブーストを自身に掛け続けた。

 それにより、やがて世界が一変する。


 奴が止まった。チコリーが止まった。風が止まった。そして音も止まった。


 まるで、時が止まった。


 俺以外のモノが全て止まった。

 いや止まっているかの様に俺だけが動いている世界。


 全力で掛けた指定ブーストは、俺の身体能力をただの掛け算では無く、累乗的に増幅して行き、その結果全てのモノを置き去りにした。


 止まった時の中、俺は全力で走った。

 俺以外の者にはどう見えているかは分からないが、全ての感覚が加速している俺には、いつも通りのスピードにしか感じない。

 ただ少し、空気が邪魔をしている気がした。

 まるで、水の中に居る様な抵抗感の中、女媧モドキ目掛けて走った。

 奴の顔は、いまだ勝ち誇った表情をしているが、その目線は俺の遥か後方を見ている。

 そこは先ほど俺が居た場所だ。


 俺は走りながら剣を上段に振りかぶる。

 奴までの距離は、もう永遠なんかじゃない、すぐ目の前だ。

 ここに来て、奴の表情に少し変化が出て来ていたが、それでも俺が既に剣を振り下ろしている事には気付いていないだろう。


 そして、そのまま気付く事はない。


「一閃!」


 俺の剣は奴の身体を縦一文字に切り裂く。


「二閃!」


 剣を翻し、今度は下段から斜めに切り上げる。


「三閃!」


 怒りによって暴走した俺は、それで終わらず今度は横一文字に切り裂く。


「四閃!」


 まだ止まらない……。


「五閃! 六閃! 七閃! 八閃! 九閃!……」


 二十も切った頃には、既に剣には何かを切ると言う手応えは無くなっていた。

 恐らく既に原形を保つどころか、液状になっていたのだろう。


「百閃!」


 何度目かの縦一文字で、俺はそのまま剣を振り下ろし地面に刃を立てた。


 そして、止まっていた時が動き出す。

 違う、俺の加速していた感覚が、周囲の時の流れまで戻って来たと言うのが正しいか。


 次の瞬間、辺りに途轍もない風の渦が吹き荒れた。

 そりゃそうだろう。俺が風の壁をぶち破って走ったからだ。


 そうだっ! チコリーは?!


 俺はいまだ昂ぶる高揚感を押さえ込み、慌ててチコリーの方を見る。

 そこには、女媧モドキの血飛沫を浴びて真っ赤になったチコリーが、悲鳴を上げる間も無く、風に飛ばされている姿があった。

 俺はいまだ効果が残っている身体強化に任せて、チコリーの方に素早く飛び、空中で捕まえ、お姫様抱っこの形で抱き抱えながら地面に着地した。


「おい、チコリー! 大丈夫か?」


 血まみれのチコリーは、同じく血まみれの俺を見たからなのか、恐怖に染まった目を大きく見開き、そして小さな悲鳴を上げて気絶してしまった。


 それは本当に血まみれになった俺を見たからなのか、それとも俺自身に恐怖したからなのか……、それは分からない。


 ……でも、クレアと違い、チコリーの命を守る事が出来たんだ。

 でも……、レイチェルと同じ様に、チコリーは俺から離れてしまうんだろうか?


 それは……分からない……。


 俺は暫くの間、チコリーを腕に抱いたまま動く事が出来ず、その場で黙って佇む事しか出来なかった。

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