6、囚われた男

「不気味」

 この家から感じるあらゆるものを、フィーネはたった一言の感想でまとめる。

「それ、この家に入ってからこれまでの感想全部?」

「他になんて言えばいい?」

「……不気味、としか言いようがない、ね」

 何しろあらゆるものが悪趣味すぎるのだ。

 外の伸び放題の薔薇の庭も悪趣味だが、扉を開けて入ったらそこはもう異世界。

 外観に負けず劣らず中の造りも豪華なのだが、最初に出迎えてくるのが、マンガやアニメでしか見ないような鹿の剥製。

 長い廊下には色々な絵を飾ってあるが、それらは「十牛図」と呼ばれる禅の絵だったり、「九相図」という死体の変化を描いた絵だったりする。

 そして照明は殆どが蝋燭を模した電球で、広さの割に数が足りず、妙に薄暗い。

 お化け屋敷、という表現でも飽き足らない。

 この場に10分も居れば正気を失ってしまう程の、異質極まりない空間なのである。

「さっさと裏とって出よう」

「そうだね。……僕らから見てこれほど気持ち悪いって言うのも、すごいことだけど」

 クロはそう言いながら壁の九相図を見て、そのあまりのグロテスクさに吐き気を催した。


 先ほどの男の居場所はすぐに知れた。

 家の中心に当たるリビングから、大きな声が聞こえてきたのだ。

「もう嫌だっ! 自首させてくれよッ!」

 先ほどの無気力極まりない男の様子からは想像も付かないような大声が聞こえて来る。

「……自首? やっぱりあいつが……」

「もう少し様子を見よう」

 フィーネ達は姿を消したまま、リビングのドアの前まで移動する。

「何を言っているのッ! 夾ちゃんは悪くないわ! 誰にもばれない。ママが守ってあげるからッ!」

「もう嫌なんだってば……、あの日俺が跳ね飛ばした男の顔が、血まみれで、今も僕を睨んで……ッ」

「そんなことあるはず無いわ! 早く忘れなさい! そんなところを歩いていた男の方が悪いのよッ!」

「僕は人殺しだ! 母さんだってわかってるだろッ!?」

 その判り易い会話から、大体の状況が推測できた。

「要は、あの男の方は自首して罪を償いたがっているのに、あの女……たぶん母親なんだろうけど、アレが邪魔してるってわけだね」

 クロが小さく呟く。

 二人の会話はまだ続いている。

「いい? 私は夾ちゃんを絶対に守ってあげる。だから夾ちゃんは何も気にしなくていいの」

「でも、僕はもう……、本当に……ッ!」

「黙りなさいッ! 誰も目撃者は居ないの。堂々としていれば絶対に私が守ってあげる。絶対自首なんて駄目よ。判った……?」

「ぼ、僕は……」

「大丈夫。誰もあなたを捕まえられないわ。……貴方は私の可愛い息子……、絶対にブタ箱に入れたりなんかしないわ……」

 女はとても優しげな口調で語りかけながら、もう結構な歳になっているであろう男の頭を、子供をあやすように撫でる。

 だが男の方は、安心した表情を見せるどころか、どんどん絶望的な表情に変わっていく。

「行こう、クロ」

 状況を十分に認識したフィーネは、その奇妙な会話をこれ以上聞いているのが苦痛なのか、この場を去ろうとクロに促す。

 クロも同じ気持ちだったらしく、何も言わずに小さく頷いた。


 玄関の扉を静かに閉めて、またあの悪趣味な薔薇の庭へと出てくる。

「何だったの、アレは」

 クロがあきれ気味にフィーネに問いかける。

「あの女は守るって言ってた。でもあれは、あの女のエゴイズムで縛り付けているだけ」

「そんな感じだったね。本人は罪を償う意思があるのだろうけど、どうもあの女に洗脳されてるっていうか……」

「きっと、こんな感じ」

 フィーネはそう言うと、格子に絡みついた一輪の薔薇にそっと手を触れる。

 その薔薇は、格子の先にある窓につけられている取っ手に絡み付いて、開かないようにしてしまっている。

 格子にはその一本だけではなく、その先を見通すことさえも困難にするほどに、大量の薔薇が絡みついていた。

「守る、っていうと美しいかもしれない。けど、その美しい言葉は、その下に茨を無数に伸ばしていて、その茨で男を閉じ込めているだけ」

 フィーネは冷たい視線を庭に送る。

「あの男が居るのは、こんな風に雁字搦めにされた、『薔薇の檻』の中。美しい言葉で飾り立てられた、棘だらけの檻の中で、逃げ出す術を失っている小鳥」

「小鳥、ねぇ……。どっちかって言うと鳥っていうより鶏に見えるけど」

「あくまでも例え。あの女さえ居なければ、きっとあの男はすぐにでも自首して罪を償う。自分の過ちを認めることすら許されないのは、苦痛」

「へぇ……。悪魔の割に、優しいんだね」

 クロが少し意外そうに笑うが、フィーネはそれには答えずにさっさと歩を進めて、先ほどのように門を飛び越える。

「でもあの女、何であんなに息子を縛り付けたがるんだろう。子供離れできてないのかな?」

「要因は恐らく、それ」

 フィーネはそう言って振り返り、建物を囲う西洋風の塀に貼られた一枚のポスターを示す。

「……なるほどね。そういうことか」

「保身しか考えていないということ。子供が轢き逃げを犯したとなれば、自分の立場が危うくなるから」

 そのポスターには、あの女の写真が大きくプリントされていて、その傍らには『県議会議員 黒田明美』と大きな文字で書かれていた。

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