番外編 黒竜(セルバド)の独り言

 『異界渡り』という言葉がある。


 エルメンティアでは聞いた事がないが、俺が生まれて暮らして居た竜人の国には昔から言われていた話だ。


 Aという神が造った世界から→Bという神が造った世界に、生身のまま渡る事は出来ない。


 だが、A神の造った世界の生き物が死んで、B神やC神の造った世界に、生まれ変わる事はあるのだと言われていた。その中には記憶を持ったまま生まれ変わるものもいるのだという。


 もし、肉体を持ったまま、たまたま運悪く、異界を渡る事になったものは、大抵大きなダメージを受けて死んでしまうそうだ。異界を生身で渡るという事が起きる原因は、時空の歪みや、裂け目が原因だと言われる。


 俺が十字島に落ちて、すでに三桁の年数を超えるが、俺はその『異界渡り』というのを肉体を持ったまま体験した事がある。いや、本当に死にかけた。


 所で、俺の名はセルバドと言う。その後に続く長ったらしい名があったが、もう捨てた。


 そして、俺の場合は、運が悪かったというよりも、時空の裂け目や歪みがあった事が幸いしたと言える。訳あって、同胞達に時空の間(はざま)に落とし込まれ、そのまま死ぬはずだった俺は、その時空の歪みか裂け目から十字島に落ちて来たのだ。それが無ければ、そのまま時空の間を彷徨い、死んでいたのだろう。





  ※   ※   ※




 身体中焼け焦げ、傷ついていた俺は、どんどん落ちて行く事に気付いた。


 『落ちる、落ちている……』

 その感覚すらも、他人ごとの様な、既に魂が肉体から剥がれて行こうとしていた状態だった。


 そして、物凄い、地響きと共に、緑の樹木を押しつぶし地面に落ちた時には、その衝撃で、少し意識が逆に戻ったのだった。


 俺は、巨大な黒竜の姿で、身体中火傷と傷を負い、もう鉤づめの一本ですら動かす事ができない程の状態だった。動かす事が出来る唯一の目を開き、周りを確認した。何かの多くの気配を感じたからだ。


 赤い毛に覆われた鳥の様なもの達が、ワラワラと俺の周りに集まって来ていた。

その時点ではそのように見えたので、赤い鳥という事にしておく。


 この赤い鳥達は、どんどん増えて行き、そのうちには、鳥達が皆口に大きな葉っぱを咥えて来ているのに気付いた。


 小さい赤い鳥に見えるのに、不思議な事に同族の気配がする。ザワザワとする中、耳障りな鳥の声がグエグエ、ギュイギュイ聞こえる。


 そして、唐突に作業を始めたのだ。


 咥えて来た大きな葉を、皆クチャクチャと噛み、でろんでろんになった状態のソレを、俺の身体に貼り付け始めたのだ。嘴や足を使い、ベタベタと貼り付ける。人海戦術ならぬ、鳥海戦術だ。入れ替わり立ち代わり、何処からか臭い葉っぱを咥えては神妙に貼り付け作業を続ける。


 『ヤメロ!ヤメテクレ!』

 と、俺は叫んだつもりだったが、実際には、プスリと口から煙が少し出ただけだった。


 この不快な緑色のでろんでろんを、俺の身体中が覆われるまで時間をかけて貼り付け、最後には口をこじ開けると、同じ物を大量に飲み込まされたのだ。もう涙目だった。


 そのうち俺は青緑色の、横たわる山の様な塊になっていた。

 飲み込まされて気付いたが、ドクダミの様な臭い匂いがした。そこで、やっと、こいつらが俺を助けようとしているのではないかと思うに至った。


 案の定、俺はその臭い葉を飲み込んで暫くすると、身体中の業火で焼かれる様な痛みが急速に和らいで行くのに気付いた。


 すると、今度は何か黄色い丸い実を採って来て、俺に食べさせるのだ。

甘く、じゅわりとした汁は旨く。幾つも与えられると今度は眠くなった。


 次の日、その緑色が乾いてぼろぼろと崩れ落ち始めると、焼け焦げ傷だらけだった筈の俺の身体は、なんと下から再生した桃色の肉が盛り上がり始めていたのだ。


 それから、動けるようになるまで、まるでそいつらは、親鳥の様に、俺の世話を親身になって焼いてくれた。


 傷がだいぶ癒えて、人型に戻れると、裸のまま居るのが気になり、服が欲しいと言うと、言葉を理解して、どこからか色染めされた美しい布を調達して来てくれた。

 

 暫くは布を腰に巻いて生活した。だいぶ動けるようになると、今度は俺が着る事が出来る丁度良い大きさの服を調達して来てくれた。


 やはりどうやら、この島には、人型の生き物が暮らしている様だ。


 それから後、俺はこの赤い鳥が、『火喰い竜』と呼ばれる竜である事を知る。そして、俺を兄弟の様に受け入れてくれる生活に馴染んで行った。


 赤い仲間達は、島に住むドワーフに頼み、自分達の住む南の尖りの火山の麓に、小さな住みやすい家を建てさせて、俺に居場所をくれた。この島は様々な古(いにしえ)の生き物達が住む、不思議な島であったのだ。




  ※   ※   ※



 

 ある日の事、ドワーフが西の尖りに城を建て始めたと聞いた。

この島はエルメンティア王国の領域で、王族が所有する自然保護区域らしい。その王の弟がこの島の領主となったと聞いた。


 死にかけたが俺には強い魔力がそのまま残っており、ここの言葉を理解するようにする事は、『朝飯前の屁の河童』であった。これは、竜の国の所謂、『ことわざ』と言われるものだ。


 自分が請け負った仕事などが、朝食前であってもこなせるほど簡単、という意味だ。屁の河童という言葉も、水の中でする河童の屁のように、威力のないどうでも良いものの意味を持つ。つまり、どうでもいい程簡単という事だ。ハッ馬鹿馬鹿しい。


 河童というのは……それは、長くなりそうなので割愛させて頂く。


 まあ、それはそうと、俺は、この領主となる者が、尋常でない魔力の持ち主だと感じた。私の魔力など軽く凌駕する程の計り知れない魔力の持ち主であると感じたのだ。


 アッと言う間に、西の尖りに城が建ち、『紫苑の君』が島に視察に来た時、俺には脂汗が滲む程の重圧が感じられた。


 向こうにも、俺の存在をちょっとは感じられている事だろう。


 それで、城に挨拶に行ったのだ。痛い目にあって死にかけた俺は、『長い物には巻かれろ』という古くからある竜人の言葉に添う事にしたのだ。

 そう、暫く、痛い目には合いたく無かった。


 その言葉の謂れは、長くなるので割愛させて頂く……


 城の門は、俺が行くと勝手に開き、薄紫の蝶に誘われて城の中に入った。建物に辿りつくのにも時間を要したが、えらく広い城の中、蝶に連れられ彷徨い歩く。


 そのまま蝶に城の中の一つの居間に案内された。

そうして、初めて会った『紫苑の君』は居間の長椅子に気怠そうに腰かけていた。


 まだ若くとても美しい男だった。長い白銀の髪に薄紫の宝玉がはめ込まれた繊細な美貌。これで、微笑んでいれば完璧だろう。だが、いかんせん、無表情だった。

 自論だが、いくら美人でも無表情では魅力は半減する。勿体ない。


「椅子にかけてくれ」

 低いがよく通る声をかけられる。


「失礼する。今日は挨拶に来た」

 椅子に座るように促され、そのままそこの椅子にかける。


「そうか」


「さっそくだが、俺は、異界渡りをしてここに落ちた。他に行くところも無い故、ここで暮らしたいのだ」


「そうか、島を荒らさぬのであれば、構わぬ」


「えっ、良いのか?」

 なんと、あっさり許可が貰えるとは……思わず素で聞き返してしまった。


「ああ、構わぬ」


「あ……か、感謝する」

 無表情だが、悪い奴では無さそうだ。

 もしかすると、この男、笑い方を知らぬのかもしれない。ふと、何故かそう思った。




 と、その当時の事を思い出し、彼の唯一だという小娘に話をしていると、小娘は笑い転げてソファーから落ちそうになっている。

 小娘の名はフィアラジェントという名で、紫苑の君がフィーと呼ぶ娘だ。


 俺は、親しみを込めて「嬢ちゃん」と呼んでいる。


 紫苑の君は、ソファーから落ちそうになっている小娘に手を添えて、さりげなく落ちないように気遣っている。


「あ、ザクありがとう、もう、あんまり面白くって」

「そのように面白いのか?」


「うん、面白い」

「そうか」


 当たり前だ、俺が面白く話ているのだ。面白いに決まっている。

 相変わらず、人と感覚がズレている様子だ。


 だが、笑い転げる彼女を見て、確かに彼は微笑んでいた。

 なんだ、けしからん。笑えるじゃないか……


 その情景に心が癒される。

 

 

 

 昔、俺は、大切な番を亡くし『我を失くした竜』と成り果てた。

 始末に困った同胞達は力を合わせて俺を異界の間(はざま)に送ったのだ。


 もし、願いが叶うと言うならば、もう一度時を戻し、彼女をこの腕に抱きしめたい……私の、愛しい運命の番よ……

 

 

 


 

 

 

 





  

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