怪獣ウォーズ

水田柚

01 怪獣がいる日常

穏やかな暗闇と静寂がその部屋を包んでいた。所狭しと積み上げられた書類と機材で歩くのさえままならないその部屋。そんな部屋の中央に向かい合って並べられている事務机の一つで若い女がパソコンの前に突っ伏して寝息を立てていた。


 この部屋で唯一、三時のティータイムを楽しめるほどの比較的片付いている机、実際、真っ暗になったパソコンの前には紅茶の代わりに栄養ドリンクの缶がいくつも転がっている。恐らく女も必死の抵抗だったのだろう、女の右腕はマウスをがっちりと掴み、左腕はキーボードのFの上で固定されていた。そしてその代償に頭を受け止める者は何もなく、女は机に顔面から着地していたのであった。


 そんな腰に悪い体勢で数時間。真っ暗な部屋がカーテンの隙間から射しこむ優しい朝日でぼんやりと明るくなってきた頃、パソコンに繋げてあったスマートフォンが独りでに鳴り響いた。


 女の左腕がキーボードから離れ机の上をまさぐる。指先が振動するスマホに触れ、さらに手を伸ばしスマホを拾い上げた。女はようやく顔面を机の面から動かすが、よほど怠いのか接する面を顔面から顎に変えただけだった。スマホを垂直にして画面を見る。直後に女の目が見開いた。


 女はすさまじい速度で立ち上がり、動き出す。途中、山積みにされたファイルに引っかかり崩してしまったが、そんなものには目もくれず女は事務所の入り口に走っていく。そしてその脇にある非常ベルのボタンを躊躇なく叩き押した。


「起きてみんな! 仕事の時間よ!」


 鳴り響くけたたましいベルの音にも負けないぐらいの大声で女は叫んだ。そしてそのベルを放置したまま移動し、冷蔵庫の扉を開ける。中にびっしりと並べられた栄養ドリンク〈ファイヤーヘッド〉を一本取り出し、中に入ってあるオレンジ色の液体を勢いよく喉に流し込んだ。最後の一滴まで飲み込み、空っぽになった缶を横のごみ箱に投げ捨てる。丁度その時、部屋の入り口が勢いよく開かれた。


「ようメグル! 状況はどうだ?」


 扉の外からこちらも非常ベルに負けないほどの大声で、大柄の中年が入ってきた。女はあきれた目でその中年を見る。


「おはようぐらい言ってよ父さん。とりあえずそれ。それ止めといて」


 女が扉の横の非常ベルを指さした。男はバツが悪そうに片腕で頭をさする。


「はいはい、おはようございます」


 そう言いながら男は非常ベルを外し、慣れた手つきで裏をいじる。ホームセンターで買った安物なので止め方は簡単だ。あっさりと非常ベルは鳴り止み、男はそれを壁に掛けなおす。女は冷蔵庫からもう一本栄養ドリンク取り出し、男に向かって放り投げた。男はそれを片手で掴み取る。


「おう、悪いな」


 男は缶のふたを開け、同じように勢いよく喉に流しこんだ。


「さっき地中3キロメートルに大きな熱源が出現、で今移動中。警戒レベルは2、避難指示」


 女がスマホを片手に持ち、淡々と読み上げる。それを聞きながら男は部屋の奥き、椅子に掛けてあった紺色の防災を手に取った。


「りょーかい、俺は車と機材の準備してくるから、さっさと下りてこい」


「あ、ちょっと待って! カケルは?」


防災服のチャックを上げながら駆け足で外の階段を降りようとする男、その男を女が慌てて引き留めた。男は振り返りやはりバツが悪そうに頭をさする。


「さっき起こした。そろそろ下りてくるんじゃないか?」


 そう言い残し、男は再び階段を下りていく。女は部屋に戻り、事務机の上に置いてあった手鏡を見ながら黒いロングヘアを一つにまとめる。その時間僅か十秒、女が手早く前髪を整える中、再び入り口の扉が開かれた。


「すみません遅れました!」


 三度目の大音声が部屋に響き渡る。それと同時にメガネの青年が部屋の中に大慌てで駆け込んだ。


「遅い! とっととこれ飲んで支度する!」


 女の隣の書類で埋め尽くされた事務机の上で青年が資料をかき分ける。髪を整え終わった女が再び冷蔵庫を開き、栄養ドリンクを放り投げた。が、青年がそれを取りそこないドリンクと一緒に地に転がった。


「いててて……あ。ありました!」


 倒れた青年が、机の下で散らばった書類の隙間から見える黒い液晶に気が付いた。青年はすぐに起き上がりそのタブレットを拾いあげ、電源を付ける。女はそれを見て呆れていた。


「まったく……なんでそんなところに置いてあるのよ」


 青年が缶のふたを開けながら、メガネの下でにっこりと笑う。


「いやー実に興味深いですねぇ、おそらく推測するに――」


「さっさと飲む!」


「……はい」


 青年が無理やりドリンクを喉に流し込む。そして口元を手で拭い、机の上に勢いよく缶を置いた。


「準備完了です!」


 それを聞き女が不敵に笑った。


「よし! 行くわよ!」


 女と青年が勢いよく外に飛び出し、階段を駆け下りる。一階のガレージからはすでに巨大なアンテナ付きの車が出されておりシャッターの前に止まっている。


「おうお前ら、来たな! さっさと始めるぞ!」


 防災服を着た男が車のバックドアを開けた。ドアの中には数えきれないほどのつまみやレバーが付いた機械が詰まっており、男はそれを慣れた手つきで触っていく。


 一方、女と青年は車の前で行ったり来たりしていた。青年は、一般家庭では絶対使わないであろう漆黒の、マイク付きハンドカメラで女を撮っている。


「準備終わったぞ! ってさっさとポジション決めろぉ!」


 男が思わず怒鳴った。だが、女たちはそれを気にする様子もない。


「そこそこ、いいですよ姉さん。そこにしましょう」


 青年がニヤニヤ笑いながら言った。女は、はいはいとどうでもよさそうに答える。青年のカメラは女の上半身と、車にラッピングさせたKKCのロゴを映していた。


「決まったか!? じゃあ始めるぞ!」


 男の声に二人が返事を返す。続いて青年がカメラを持ってないほうの手で、三本指を立てた。


「じゃあ本番始めまーす。3、2、1」


 青年が撮影ボタンを押し画面の端にRECの文字が表示される。それと同時に車に搭載されたモニターに女の姿が映し出された。


「世界中の皆様、おはようございます。門谷(K)怪獣(K)チャンネル(C)の門谷恵琉です」


 ポニーテールの女、メグルが特に緊張する様子もなく言葉を並べていく。車内のモニターの映像にはメグルの言葉に少し遅れて英語字幕が表示される。車内に搭載されているAIが七カ国の言語で同時翻訳していた。世界中の人に見てもらうにはそのぐらいしないといけない。


「ただいま日本時間七時八分、東京都内の地下で怪獣と思われる熱源が発生しました。我々KKCは、今回も怪獣の撮影に挑みたいと思います!」


 そこまで言って二人はカメラを回しながら車の後部座席に素早く乗り込んだ。後ろの男もバックドアを閉め車の運転席に乗り込みエンジンをかける。全員シートベルトを締めたのを確認し、女が口火を切った。


「それでは行きましょう! 父さん、出発よ!」


「りょーかい」


 男がアクセルを踏み込み、勢いよくメグル達の車、KKC7が進みだす。今日も彼ら、KKCの危険な日常が始まった――

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