ENISHI

須能

第1話 起こり

遠いもの。手が届かないもの。


いつだってそれは美しくて。きれいで。素敵で。


でもきっと、心から望んでいるものとは、違う。


憧れ

恋い焦がれ


この感情と、もう一度向き合ってみよう。


青春の終わり。もう、春は来ない。


・・・


 キーンコーンと古くさいチャイムが鼓膜を揺らす。同時に周囲には弛緩した空気が漂い始める。これで今日も終わりか、と思うと疲労感がじんわりと体を包む。日もかなり傾き、窓からは鮮やかな夕焼けが見えた。

 月曜日は全学年全クラス、6限に小テストを行うことになってる。科目は英・国・数で各15分。それぞれ50点満点で20点以下は放課後の補習授業に出なければならないそうだ。

 伝聞調なのは俺が20点以下をとったことがないので。俺、優秀。ちなみに今回はいつも以上に調子がよく全科目満点です。えらい。なんて胸中で自画自賛していると隣から嘆きの声が聞こえてくる。

「あーもー、今日も補習だよ。大会近いから部活行きたいのに~!!」

「しっかり勉強してくると良いよ。」

 そう返すとこちらを恨めしそうに睨み付けてくる。その目は彼女の胸元まで伸びた髪と同じ栗色。バスケ部のエースらしく四肢は健康的で良い具合に筋肉質。よく通る声でハキハキと話す彼女はクラスの中心的人物だ。

 いやでも採点してる時も思ったけど、ホント、もう少し勉強した方がいいよ?彼女の名誉のために点数は伏せるが、4月から受験生になる奴の解答欄とは思えないありさまだった。

「シュンはいいよね、いっつも小テスト高得点でさ...どーやったらそんなに点取れるの?確か塾とか行ってないよね?」

「別に特別なことはしてないんだけどな...とりあえずランは寝ずに授業受けるところから始めようか。」

 そう言うとムキー!といった具合に彼女がぽこぽこ叩いてくる。ちょっとやめろって、この距離感好きになっちゃうだろ。やめて、いややめないで!と内なる葛藤を抱えていると、彼女は気が済んだのか荷物をまとめ始める。

「それじゃ、私補習行ってくるね。また明日。」

「うん、じゃあね。補習頑張れ。あと部活も」

 そう付け加えると彼女は笑顔でうん!と頷き、同じく補習に行くクラスの女子と教室を出ていく。それを見送り、さて俺も帰ろうと席を立つと、いつも一緒に下校している奴と目が合った。

「あー、やっぱりお前も補習、引っかかった?」

おぅ、と意気消沈したヒデが応える。たいていヒデと2人、帰宅部コンビで帰るのだが、月曜は彼が補習に出てしまうためそれが叶わない。

「くっそー、今回はイケると思ったんだけどな…またカワセンにねちねち言われるよ。あの変態数学者…」

 補習の教室でなにが行われているか分からないが、ヒデやランの様子を見るに、愉快なものでないことは間違いなさそうだ。カワセンの愛称(蔑称?)でお馴染み数学の川崎先生が補習担当らしいが、まああの人は俺も好きではない。授業の度に「今日も世界の美しさを学びましょう…」とか言うおっさんは厳しいものがある。

「もう毎週月曜はお前と帰るの諦めてるよ。諦めて世界の美しさを教授されてこい。」

「来週!来週こそパスしてやっからな!みとけよ!!」

「はいはい、期待してるよ」

 そう言い残してヒデも教室を後にする。皆補習なり部活なり帰るなりして教室にはもう数人しか残っていない。俺はスマフォをついっついっと少しいじった後、教室の時計を確認する。そろそろ頃合いかな、と考え廊下に出る。とん、とんと2フロア分の階段を降り昇降口へ。

 黒のvansスニーカーに履き替え、校門まで歩くとこちらへ手を挙げる人が視界に入る。

「すみません先輩、待たせちゃいましたか。」

「ううん、たった今私も出てきたところだよ。」

 じゃあ帰ろうか、と先輩が促す。ふたり並んで夕日に照らされ紅く染まった道を歩き出す。

 夕焼けの中の先輩は、いつもより一層美しく見える。

 肩口で切りそろえられた黒のショートカット、切れ長の目、モデルのようにすらっとした体型で、身長は俺より少し高い。目が合っても、自分ではなくもっと先の何かを見つめているような、そんな目をいつもしている。

「先輩のお友達も、ダメだったんですね、今日の小テスト。」

「うん。るみ、10点だった英語の答案用紙握りしめて『とうとう最後まで回避できなかった...』なんて項垂れてた。」

「そういえば3年生は小テスト今日が最後なんでしたっけ。」

「センター試験まであと1ヶ月切ったからね。来週から月曜6限はそっち対策の時間になるみたい。」

 因みにるみさん、というのは先輩の親友で、いつも先輩と2人で下校している。

 月曜日以外は。

 つまり、先輩と俺は同じ境遇ということになる。

「ていうか、こう言っちゃうとアレですけど、るみさんは受験ダイジョブなんですかね...」

「あの娘が目指してるとこ、英語はそこまで重視しないみたいだし、良いんじゃない?国・数はそこそこ取れてたわけだし。」

「だったら良いんですけど...」

 そういうものなのか。ちなみに先輩は推薦で東京の私大に合格済みらしい。何事においてもそつなくこなす人なんだ、この人は。

 彼女と出会うきっかけとなった、文化祭の英語スピーチ大会が思い出される。担任である英語教師のゴリ押しで半ば強制的に2年生の発表者に選ばれた俺は、3年の発表者であった彼女と打ち合わせで顔を合わせた。

 綺麗な人だ、と一目見て素直に思った。発声の仕方も、ノートを捲る指先も、大人っぽさを感じる左眼の泣き黒子も、なにもかもが。

 彼女と出会って2ヶ月以上経過した今でもふとした時に、ああ、なんて綺麗な人だろうと感じる。

「でも、るみさんが補習に行ってくれてたお陰で毎週月曜は先輩と一緒に帰れたっていうのも事実なんですよね。来週から寂しくなるなあ。」

「なにばかなことを言ってるんだ、君。」

 そう言うと先輩は俺の胸元をこん、と拳で軽く叩く。ははぁ、照れてますねこれは?表情はいつもと変わらないけどきっとそうだ、うん、そうに違いない。

「ん?君、何か入ってるのかこの胸ポケット。」

「え?」

 そう言うと彼女は俺の学ランの胸ポケットに手を突っ込んでくる。あ、やだ、そんな。先輩大胆、こんなところで一体何を...

「ほら、これは...えっと、何だ?」

 俺のポケットから出てきた物を見て先輩が首を傾げる。先輩の手には、十字架を模したブローチのようなキーホルダーのような小物が握られている。

「何ですか、これ。」

「いや、私が聞きたいんだけれど...君のじゃないの、これ。」

「ええ、そのハズです。見たこともないですし。でもこれ、俺の学ランに入ってましたよね...」

 何だろう、これは。俺が敬虔なクリスチャンで十字架アイテムを常に身に着けているなんてことはない。

 先輩からその謎の十字架を受け取り、まじまじと見る。サイズと重さはだいたい消しゴムくらいか、全体的に暗い鈍色をしていて、やや錆び付いている。察するにそこそこ年季の入ったもののようだ。

「君のじゃないなら、君じゃない誰かのもの、ということか。とりあえず、君のファンからのプレゼントというわけでは無さそうね。」

「俺にファンなんていないでしょ、先輩じゃあるまいし...」

 因みに先輩のファンならここにいるので。先輩のお名前を右足ふくらはぎに彫るか左脇腹に彫るかが最近の一番の悩みです。なんて異常性を感じる二択か。

 そんなやばいファンなんてものが万が一俺にいたとして、これをプレゼントとして知らぬ間に俺の胸ポケットに忍ばせておくのは趣味が悪いなんてもんじゃない。即刻担当を降りて欲しい。ヒデ担とかに乗り換えると良いと思うよ。

「いや、案外分からないよ?結構有名だし、君。」

「はぁ。まあそこは良いとして、贈り物って線はないでしょう、これ。かなり古そうだし、しかも裸のままポケットに入れるなんて普通しませんよ。」

「それはそうね。となると、誤って君の学ランに入れてしまったと考えるのが妥当かな。」

 まあ大方そんなとこだろう。とはいえこんなものを学校に持ってくる動機も、それを間違って俺の学ランに突っ込むシチュエーションも思いつかない。

「とりあえずクラスのライングループで持ち主がいないか聞いてみます。」

 えーとスマフォスマフォ、あ、ついでに写真も撮っておいた方が良いか、と思った瞬間、横からカシャ、とシャッター音がする。

「何で先輩が写真撮ってるんですか...」

「なに、珍しいと思ってさ。いいじゃない減るもんじゃなし。」

 まあそうだけど。あ、じゃあ写真は先輩に送ってもらうか。そう頼もうとスマフォから先輩の顔へ視線を移すと、何やら困惑した表情をしている。

「先輩...?」

と尋ねると、彼女は黙ってスマフォの画面をこちらに見せる。そこに映っていたのは、でたらめにカラフルな色合いのなかに、ぐねぐねうねったグレーの何か。端的に言って、気色が悪い。

「何ですかこれ。やめてくださいよ、不気味なもの見せるの。」

「これ、今撮った写真。」

「え...?」

 そう言われもう一度目を遣ると、確かに画面中央の灰色したぐねぐねはこの十字架と同じ配色ではある。そうはいっても形が全然違うし、それを持っている俺の手らしき物体は、赤やら緑やらに染まった輪郭が曖昧なオブジェクトになってしまっている。

「ちょ、ちょっと俺も撮ってみます。」

 恐る恐るカシャっと撮影し、フォトアプリを開く。そして最新の写真を表示。

「...普通だ。」

「普通ね。」

 写真には俺の手と、そこに載せられた十字架がしっかり映っている。色も形もおかしなところは特に無い。

「うーん、何だろう?先輩、さっきの写真、もっかい見せてもらえます?」

 そうお願いすると先輩が再びスマフォの画面をこちらに向けてくれる。

「...可愛い。」

「は?」

 何言ってるんだ君、という顔を先輩がしている。

「いや、先輩写真間違えてますよ。」

「なに?...あっ!」

 そこに映っていたのはテーマパークのキャラクターと2ショット写真を撮っている先輩の姿だった。そう言えば先週行くって言ってたな。いつもの大人っぽい先輩も良いけど、JKらしく遊園地ではしゃぐ先輩も良いね!そう心のなかでグッドボタンを7000個先輩へ送る。

「先輩、今の写真も後で送ってください。5万まで出せます。」

「ちょっと黙ってて。」

 照れくさいのか先輩はいつも以上にぶっきらぼうな口調になる。頬をやや紅潮させた彼女の顔は新鮮で、思わず見惚れてしまう。

 黙ったまま先輩はスマフォをついっついっと操作するが、いつまで経ってもさっきの奇妙な写真を見せてくれない。

「あ、あの、先輩...?どうか怒らないで、さっきの写真見せてもらえますか?あ、さっきのって言っても可愛い先輩のお写真じゃなくて、この十字架撮ったやつです。」

「…ない。」

 どうやらホントに怒らせてしまったのだろうか。と思いきや、先輩の表情は怒りではなく不安を示している。

「さっきの写真が、無い。消したわけでも、移動させたわけでもないのに。どこにも、十字架を撮った写真が、ない。」

「そ、そんな…」

 既に陽は落ち、あたりは弱々しい電灯に照らされるのみで、薄暗くなっていた。びゅうびゅうと師走の冷たい風に肌を撫でつけられ、思わず体が震えた。





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