グッドモーニング恋イング

霜月 風雅

第1話 ひかるとこうの関係

彼の朝は私を起こすことから始まると言っても過言ではない。

「ほらほら、ひかる!!朝だからな!」

「うう・・・。」

開けられたカーテンから差し込む光にさっきよりも強く目を閉じる。そのうちに、彼は何も言わずに、部屋を出て行った。朝ごはんを作るためだ。彼の作る朝ごはんはとても美味しい。本当に美味しい。

「まぶ、しい・・・」

何度か寝返りを打って、できるだけ眩しくない場所を探す。遠くで聞こえる台所の音は優しく温かく耳に響く。鼻に入る良い匂いが、心地いい包丁の音色で沈みかけている意識を繋ぎとめる。

 「まだ、起きてこない。まぁ、いつものことか。」

時計を確認して、ため息を吐いた。ちょうど良い黄色になった甘めの卵焼きを皿に盛り付ける。彼女はいつもいつも、しょっぱい方が好きだと文句を言うが、俺は甘いのが好きなのだ。否ならば、自分で作ればいい。

「さて、と。」

一通りの準備が整ったところで最後にやらなければならないことがある。

 そして、彼の朝は私を起こすことで

「ひかる!!起きろ!朝だぞ!」

「ひゃー・・」

ぬくぬくと包まっていた布団を無常にも剥ぎ取られた私は、何の装備もなくしてしまった。哀れにも私は、ベッドの上でまるまるしかない。

「お前なぁ・・そこまでして、寝てたいのか。芋虫め・・」

「うるさい!!うー、寒いよぉぉ。」

「そんなはずないだろう、今は春なんだ。」

「春でも、さむいんだもーん。」

ぐうと身体に力を入れる。そうしないと、寒くてたまらない。そのまま、何気なく視線を動かして時計を見ると、

「うーわー!!起きるじかっ・・ぐはっ!!」「いっで!!」

勢い良く起こした私の頭が、見事に彼の顎にヒット。お互いに言葉もなくその場にうずくまった。

「い・・たい・・」

「ひかる・・おまえ・・」

朝から、星を見る羽目になるなんて、一体全体今日はなんの厄日だ。

「・・今日は、きっと・・ビリだ。星座占い、ビリでしょう・・」

文句を言いながらも、頭を抑えながらも、布団から抜け出しベッドのすぐそばにしゃがみこんでいる大きな身体の脇を通る。

「うう、」

「こうの顎は本当に弱いね。硬いね。痛いね。いつも思うよ。」

「お前の頭が石なだけだと思います。」

「うるさい、いーからごはんごはん。もう、遅刻しちゃうよ。」

「だったら、最初に起こしに行ったときに起きろよ。」

「うるさい、うるさい!飯じゃ!めし!」

「もう、できていますよ。お姫様。」

「うむ、ご苦労。」

そんなやり取りをしながら、たどり着いたリビングには、朝の光が差し込んで眩しい。布団を干してから行こうかな。今日は一日晴れているんだろうか。そんなことを、考えた。

「ねぇ、今日ってさ。」「今日は一日晴れだよ。」

隣りを通りすぎた彼が聞きなれた少し低めの声で答える。間髪入れずに返ってくる言葉に、一つ頷いて朝食の席につく。美味しそうな色をした鮭の切り身を初めに食べようと決めた。

 彼女は少し焦げ目が着いている鮭を、ガブリと皮ごと口に入れた。そして、やはり口から器用うに皮だけを出す。

「ひかる、お前、それやめろって言ったろ。」

「だってめんどいんだもん。箸、使うの。」

話ながらも、彼女の小さい指は口から次々とまるで口からカードを出すマジックのように骨を出している。何度言っても、どんな魚でも、彼女はこうする。まるで、子どもみたいに。

「行儀、悪いぞ。」

「うー。こうってば本当にうっさいね。」

「あのなぁ、」

「いーじゃん。何も迷惑かけてないんだから。」

「そういう話じゃないだろう。」

ふーんだ。そう言って彼女はそっぽを向いた。彼女の会話終了のサインだ。黙々と食べることに専念し始めた彼女にため息を吐いた。

「はぁー・・あ、そうだ。俺、今日遅くなるから。」

「何時?」

「さぁ、わかなんない。」

「え、じゃぁ、夜ご飯は?」

もぐもぐと指で掴んだ、卵焼きを食べながら目の前の彼女は当然という顔で問いかけてくる。視界の隅でぴょんぴょんと跳ねている寝癖を今日は何分梳かすのだろうか。

「たまには、自分で作れよ。作れんだろ。」

ずいぶん前、まだ一緒に暮らし始めだった頃に作ってもらった食事はどれも手が込んでいて、美味しいものばかりだった。特に筑前煮は今まで食べた中で一番の旨さだった。

「えー、めんど。こう、何か作ってってよ。」

「いやだよ、何で俺が。」

「いーじゃん。」

「やだよ。そもそも、俺は料理担当じゃない。」

「そうだっけ?」

「そうです。」

「そうだっけ。」

彼女は不思議そうに首を左右に一回づつ傾げた。その向こうの壁に貼ってある当番表には、料理は交代制で。と書いてある。いつ頃から、俺は彼女と交代していないのか考えるのも面倒だった。

「とにかく、俺は今日は仕事で遅いから、先に飯食って寝てろ。」

「おふろはー?」

「今日は、お前の掃除当番。洗って先に入ってろ。俺をあてにして待たないで、一人で過ごせ。」

「さびしー、寂しいぞよおお。」

「それにも、いつかは慣れようぞ!!」

「おお、お前さん!行かないでおくれよう。お前さん。」

「止めてくれるな、俺は行くのだ。ごちそうさま。じゃあ、あとよろしく。」

「ああ、お前さんー!!」

食器を流しに置いて仕事の支度をしようと部屋に行くまで彼女は一人で笑っていた。あれじゃぁ、また遅刻だな。そう思いながらも、俺には何も関係ないことなのでさっさと自分の支度を整えることにした。

その日は結局、遅刻したうえにミスが三つも四つも重なって(しかも、そのうち一つは私は悪くないのに。ああ、あのマダムめ!)上司に怒られ、怒鳴られ、そのせいでお昼を買い損ね食べ損ね、ちょっと一杯と誘った友人みんなまさかのデートデートデートで、しかも私だけ残業サービス付きで、ヘトヘトの帰路で夕食を調達しようとした直後、とどめに財布を忘れていたことに気づき半べそで帰ってきた家は真っ暗。何とも言えずに込み上げてくる悲しさを必死に飲み込んだ。

「ただいま、」

小さく呟いても、返事はない。誰もいないのだから当然だけれども、さっきとは違うタイプの悲しみが込み上げてくる。

「・・こう、」

もしかしたら、私はこの世界に一人なのかもしれない。不幸を嘆いている間に人類は滅亡したのだ。きっとそうだ。

「うぅ・・」

何でそんなに悲しいことばかり考えるのかわからないけど、今日はとにかく不運な日だったから考え方が後ろ向きなんだ。あぁ、こんな日に限って彼がいないなんて。こんなに静かな世界に一人だなんて。あぁ、もう。

「うう・・うぅー」

意味わかんない。全然わかんないけれど、良い子はとっくに楽しい夢の中にいるような時間に私は叱られた子どものように玄関でボロボロと涙を流して泣いている。どうしたらいいのかわからない感情が、胸をかき乱す。

 玄関に明かりが着いていなかった。彼女はいつも俺が遅くなる日は、起きて待っているなんてことはしないけれど外の明かりをつけてくれているのに。その瞬間、胸の中でざわざわと嫌な予感が駆けた。

「ただ・・おぉ、何してんだ。こんなとこで、何かあったか?」

「・・こうぅぅ、おがえりぃぃっ」

「おうおう、ただいま。ただいま。あ、待て待て、落ち着け。とりあえず、中に入れ。」

「むりぃ、足痺れてるぅぅ」

「あぁ、わかった。わかった、俺が連れて行くから。」

「ううぅ、ひっく」

そっと抱きかかえて担いだ身体はほんの少しだけ冷たくて、やれやれ一体どれくらいの時間泣いていたのか。

「何だって、全く。飯は?食ってるはずないよな。」

「・・お腹減った。」

「おお、そうだろう。俺もだよ。」

ゆっくりと彼女を椅子に降ろして冷蔵庫へ向かう。後ろからぐずぐずと鼻を啜る音がして、それからさっきよりもはっきりとした声が、

「着替えてきなよ、私が作っとくから。うどんでいい?」

「おお、復活したか。じゃぁ、頼むわ。」

うん。と真っ赤になった目を俺に向けて彼女はしっかりと頷いた。

 「うん、うまい。やっぱりひかるは料理、上手だよ。・・うわ、目真赤。」

ずるずるずるずる。うどんを豪快にすすりながら彼は私の顔を見るなり叫んだ。そんなこと言われなくても分かっているというのに。全くデリカシーがない。そう思いながら目を擦った。

「あー、こするな、こするな。ほら、氷でこうやって冷やせ。」

「今、これ食べてんじゃん。」

「じゃぁ、食い終わってからでいいよ。ったく。めんどくせ。」

そっと触れた自分のまぶたは、信じられないくらいに熱い。目の前で湯気を立てるうどんとどちらが熱いだろうか、と考えてけれど彼の声がしてすぐにやめた。

「お前さ、ひょっとして・・もうすぐなんじゃない?」

「は?何が。」

「何がって・・生理だよ。」

「はぁ?何で?」

「いや、なんとなく?・・朝から、そんな感じじゃん?」

「そうかな?」

「うん、たぶん?」

「そうかな。」

呟いてカレンダーを見る。そう言われれば、そろそろかもしれない。今日はついてないから、きっとそうだ。

「とにかく、今日は早くっつっても、もう遅いけど、温かくして寝ろ。あとは、俺がやっとくから。」

二玉分使ったはずの彼のうどんはいつの間にか、もうあと数口ほどでなくなりそうだ。ゆっくり味わうように食べる新太くんと違って彼はまるで吸い込むように食べる。その食べ方が私はあまり好きじゃない。味なんて食べられればなんでもいいと、言われているような気がするから。

「・・・もう、食べ終っちゃいそうだね。」

「え、あ、あぁ。」

「今日、ピヨちゃんのとこに行ってくるかと思った。」

「行けるかよ、仕事だったんだっての。お前こそ、new太に電話すればよかっただろう。そうなる前にさ。」

「・・・出張中。」

「あぁ、そうだっけ?まぁ、それもどうだか。」

「・・・・・」「・・・・」

じゅわ、そっと口に入れた油揚げから、汁が出た。私が初めて覚えたのはこの油揚げの味付けだった。美味しくできた日はお母さんがとても喜んでくれた。新太くんも時々とても食べたくなるのだと言ってくれる。

「・・お前がそんななのに、行かないよ。比奈のところには。」

「あっそ。」

聞こえてきた優しい言葉に、温かな瞳に素っ気無い言葉を返すと、困ったような呆れたような声が振ってきた。

「お前な、:

「あいがと、こう。」

「・・おう、」

彼は優しい人だ、とてもやさしい人だと思う。けれども思ってしまうのだ。仕方がない。彼が慣れた手つきでお風呂に水を溜めている音を聞きながら、思う、いつものこと。彼は彼女といるときもこんな感じなんだろか。それとももっと他になにかあるんだろうか。私は彼のことを家での姿以外は、何も知らない。普段、どんな風に喋るのか。どんな風に笑うのか。どんな風に怒るのか。

「ほら、風呂入る準備しろ。・・ひかる?」

「うん、ありがと。」

慈しむように小さな子猫を見るように私を見るような瞳でピヨちゃんを見ているのだろうか。そして、私は彼に笑いかけるのと同じ表情で新太くんに笑っているのだろうか。

「ひかる、湯たんぽ作っとく?」

「うん、お願い。」

明日も彼の朝は、私を起こすことで始まるのだろう。恋人でも家族でもない、私のことを。

 のそのそと動き出す彼女を見送り、溜め息を吐く。彼女はnew太くんの前でもあんななのだろうか。それとも、彼の側にいればすぐに落ち着く、いやそもそも落ち着いていられるのだろうか。写真でしか見たことのないnew太の性格までは俺にはわからないけれど、一体彼は彼女にどんな風に接するのだろう。もし、比奈が彼女のようだったとしたら、俺はどうするのだろうか。どんな風に接するのだろう。

「訳、わかんない。どうした、俺?」

泡だらけの食器を一つ一つ丁寧に洗い流しながら、小さく笑った。後ろから、彼女が風呂場へ向かう音がして、すぐに聞こえてきた大声にまた笑う。

「こう!すごいね!本当に生理きてた!!さすが!!」

「さいですかー」

そう答えてシンクに付いているタオルで手を拭く。もう、夜中もいい時間に俺は何をしているんだ。と笑いながら今朝乾いたタオルを脱衣所へと持っていく。風呂場からは、楽しそうに鼻歌が聞こえるから俺まで笑える。

「うるさいぞ、音痴!!」「どっちがだ!」

明日も彼女は、中々起きないだろう。今度はきっと貧血で。だったら、明日の朝ごはんはさんまとほうれん草の味噌汁で決まりだな。

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