夢百景。

6月

第一夜 散骨

亡くなった君の骨を砕いた。

君だったものの残滓を車に乗せて、湖のほとりまで走った。

撒こうとしたそのとき、小さな壺に入ったその粉末が、なんだかどうしようもなく惜しくなってしまった。

このまま君を得体の知れないバクテリアに喰わせるということが、たまらなく寂しいことに思えたのだ。

結局僕は、その壺を傍らに大事に抱えたまま、家まで持って帰ってきてしまった。

目の前に壺を置いて俯いていると、あるひとつの考えが僕を向こう側へ呼び寄せようとした。


壺の蓋を開けると、その白い粉末の中に、そっと手のひらを埋めてみた。

さらさらと柔らかく、ときには冷たい感触が、生前の君の名残りを思わせた。

壊れそうなくらいの愛しさが胸に込み上げてきて、僕は思わず両の手を眼前に並べると、その甲や指先に着いた白いものをベロベロと舐めあげた。

口に広がる淡く苦い風味とともに、あの愛の行為にも似た恍惚としたものを中心部へと呼び寄せたから、僕を大いに満足した。


次の日は、サラダに匙一杯分の骨粉を振りかけて食べた。

するとまた、あの到達感が僕の芯を射抜いたから、それでやめることなどできなくなった。


毎日、毎日、僕は一杯の骨粉を食事に混ぜて食べるようになっていた。

次第に、自分の身体に変調を感じるようになった。

平均より高めだったはずの血圧が、80/50という男性としては少し低すぎるものに変わった。

夜半、伸ばした手足の冷えに悩まされるようになった。

何重に履き込んだ靴下も、芯からの冷えには少しも効果が見られなかった。

そういえば、君も末端冷え性だった。

この世界から消えたはずの君に、こんなところで出会えたなんて。

僕は嬉しくなってしまった。


次の日から、骨粉の量を更に増やして食べるようになった。

次第に髪の毛が細く艶やかなものになり、髭や体毛が薄くなった。

身体のラインがなんだか丸みを帯びてきて、心なしか胸も膨らんできた気がする。

鏡を見るたびに君の面影を感じられるようにまでなってきた。

とうとう僕は化粧をしてスカートを履き、君として振る舞うようになっていた。

街頭を行き交う人々の視線が、あの美しかった君の姿を追っていた。

跳ねるように歩く君の影像を、僕はまるで第三者が見るようにそれを眺めた。


そして、僕が九割九分君になったとき。

ある恐ろしい概念が僕の頭をよぎった。

このままでは僕という存在は消えてしまうのではないかと思ったのだ。

あと一歩前へ進めば、そのときには、もう僕ではなく、完全なる君となっているのではないか。


僕はかたかたと震える手で骨壷の蓋を開けた。

あと一匙程度の骨粉しか残っていなかった。

けれどそれは、丁度僕が君になり得るほどの量だった。


恐ろしくなった僕は骨壷を車に乗せると、また湖までそれを運んだ。

蓋を開けて勢いよく空中にばら撒くと、何故か壺の中にはなにも入ってはいなかった。


その夜のサラダに、かけた記憶のない白い粉が振りかかっていた。

それは蠱惑的な魅力を持って、僕に喰べてと語りかけてきた。

僕はそれを、一心不乱に喉に流し込んだ。

途中から、切れ切れと、

記憶が。

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