世界の終末で君と散る

各務ありす

すべてのはじまり

第1話 平穏は失われた

彼らが襲来したのは昼過ぎだったろうか。

おれはそのとき、使用人として勤めている館の清掃に励んでいた。

…ここがいつのどこだって?

おれにも詳しいことはわからない。

気づいたらおれという生命は息をしていた。親という存在を認識していた。

兄弟ができていた。祖父母を認識した。

ただ、今が1860年で、おれの住むこの地域が「リーウェント帝国」と呼ばれていて、その都市にある貴族の館でおれが使用人として働いていることはわかる。それが事実だ。

地域、いや国の名前にもなっている「リーウェント」は初代皇帝の名であり、いまの皇帝は何代目だか知らないがその名を受け継ぎ、この地を治めている。

この地は1860年の今日まで一度たりとも吸血鬼の襲来を受けたことがなかった。ほかの国の人間たちは不思議がったが、それは単にこの国に教会が多かったからだろう。

教会というのはおれが住むこの国が創った宗教組織が建てたもので、貧しい人間や傷ついた人間に救いの手を差し伸べることや吸血鬼が襲来した際の避難場所として大切にされている。

皮肉なことだが、教会は他所の国にも数知れぬほどあるというのに、吸血鬼の襲来を受けずに保たれていた国がここだけであるということだ。

リーウェント帝国に住む敬虔な人間たちは、この地に教祖が住んでいらっしゃることが吸血鬼たちを遠ざけているのだと囁く。

おれは教徒ではないが、おそらくそれが理由だとずっと考えていた。

………今日までは。

この国の平穏は、「彼ら」によって破られた。

彼らは、鋭い牙をちらつかせながら街の人々を追い詰めていく。

逃げ惑う住人たちは、ぶつかり合い怒鳴り合いの蹴ったり踏んだりだ。

教会の門は開かれ、教徒たちが住人たちの受け入れをすぐさま始めている。

離れた地の教徒たちは、まさかという顔で住人たちの話を聞いていた。

「…この地に彼らが?」

「はい、先程アルム川のほとりに突然現れました、幼い少年が数人…犠牲になりました」

「そんなことがあるものか!この国にはあの方がおられる。皇帝もおられる。彼らの侵入など我々は許してはいない!」

アルム川はリーウェント帝国の極東に位置する河川で、隣国サライとの国境でもある。

教徒たちは荒ぶるだけで住人の話を耳に入れない。否、入れないようにしているのかもしれない。信じたくない事実は耳を塞ぎたくなるものだ。

「本当に彼らは来たんです、信じてください」

住人の嘆願で教徒たちは耳を貸し始めた。顔色はまだ青白かったが。

「いま奴らはどこにいる?まさかここまでは来るまい」

「わかりません。しかし彼らの脚はかなり速いと他国の友から聞きました」

「なんなんだ本当に、何が起きているんだ?この国は安全ではなかったのか!」

「…わたしに言われましても」

住人が恐縮して頭を垂れると教徒の方も慌てた様子で、

「ああ、そうだな、すまない。情報提供に感謝する」

取り繕って落ち着いて見せたが、身体が震えていて説得力が皆無だ。

一方、教会の門外では、入りきれなかった住人たちで溢れていた。

この「シュヴァルツ教会」は、帝国一の広さを誇る教会であり、それゆえに住人たちからの信頼も厚い。

「ええい、ここはもう入らん!他所は空いていなかったのか?」

教徒たちが住人たちに叫んだ。

住人たちは口々に反抗した。

「ここがいちばん安全な教会だと言ったのは貴方がたでしょう!そこに集うのは当然です」

「それはそうだが…」

教徒のひとりが押しに負けそうになっているそのとき、

「吸血鬼は侵入して直後に数名を襲っただけで今はただ走っているだけだ!住民たちよ、各々の館に隠れているといい、急ぐんだ」

シュヴァルツ教会の司教が走って来て叫んだ。

「司教さま、それはまことですか?」

泣きそうな声の女性が叫んだ。

司教は大きく頷いて、

「神に誓って本当だ!住人たちよ、再度告げる。各々の館で隠れていろ!」

住人たちの安堵の雰囲気が一気に広まり、教会の門外から人気は消えた。

みな各自の館で籠城するのだ。

何故か吸血鬼は数人しか住人を襲わず、どこかを目指して走り続けている。

それがいったいどこなのか、吸血鬼以外に知る余地もない。

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