ゴキブリは燃えているか
くわばらやすなり
①不快害虫、起つ
「ぇえあっっ!!?!?!?」
客のいない夜9時半の空気を
寝ぼけまなこをこすりながらカウンターに置いた眼鏡と椅子に掛けたエプロンをとり、髪を適当にゴムでまとめ、休憩終了のタイムカードを押して厨房に入った。
本能的な恐怖の感情を顕にするふみちゃんとフロアを移動する別の
ああはいはい。よくあるやつね。
私は厨房をぼちぼち進んでいった。
「…メガさん、大丈夫なんですか…?」
「そっか、ふみちゃんはゴキブリ初めてなんだ」
高校三年生のふみちゃんは入って1ヶ月で素直だから先輩方や同期のやつが「メガさん」と呼んでるのを聞いて覚えただけで他意はないのだろうが、頭二つくらい背の高いふみちゃんにそう呼ばれるのは複雑な感じだ。
「その...虫とか苦手で、あんまり近付けなくて...」
「たまに厨房にゴキブリとか入ってくることあるけど大したことじゃないよ」
ベリショで中性的な顔立ちでもいっぱしに虫は怖がるふみちゃんは私と違って結構かわいげがある。
「これ借りるね」
餃子焼き機の横に置かれたトーチバーナーを取ってゴキブリの方へ向かった。
「それ、どうするんですか?」
「焼くんだよ」
私はいたずらっぽく笑ってみせた。
厨房に虫が入ってきたらバーナーで焼き殺すのがセオリーだ。特にゴキブリは踏んづけてやると死ぬ直前に卵を産むから駄目だ、焼くと卵を産まないからいい、と先輩から教わった。
残酷な話だが、私はこれをやるのが結構好きだ。バーナーの炎を動いているゴキブリに当ててやると、0.5秒で移動が止まり、1秒でくるっと仰向けになり、2秒ぐらいまで足をじたばたさせ、3秒でそれすら止めて足がゆっくりと内側に曲がって死ぬのだ。
人類の叡知の火に対して
カサカサちょこまかと這いずり回る昆虫よりも私の方がリーチが長いから機動力で勝っている。メガさんの力を思い知ったか。
あっという間に茶色くて小汚い(実はゴキブリは綺麗好きで休息時間のほとんどを身づくろいにあてているそうです。知るかよ死ね)触角の前に回り込んだ。
バーナーのノズルをゴキブリに向け、トリガーを引く指を動かした…と、すんでのところで目標は炎を逃れることに成功した。
すかさず今度は身体の真横に当たるように炎を向けた、しかしこれも外れて目標は依然として移動を続けていた。炎の長さが短くて届いていないのではないか?そう疑ってガスの調子を確認するために火を出してみたが、これといって不調は見られなかった。
「いっ......!!」
小さく悲鳴を上げるふみちゃんの方を振り返った。少し目を離した隙にゴキブリの身体はUターンして彼女のいる方へ向けて進攻していた。俯瞰で見ると足の動きが結構速くて、なるほど不快害虫だと妙に納得した。
「ちょっとごめんね」
ゴキブリを追うため狭い厨房でふみちゃんとすれ違う。
カウンターと厨房は店の一番奥にあり、厨房で人の後ろを通る時には「失礼します」と声をかける。横には少し広く、ふみちゃんのいる所が野菜等を切る調理台で反対側には炊飯器と餃子焼き機、シンクと食洗機、茹で麺機を挟んでラーメンを盛り付ける台とガスコンロがある。冷蔵庫は厨房の両端に1つずつ。
確実に殺すため目標をとうとう店の角に追い詰めた。陸の退路を失ってうろちょろする奴の前に私はどっしりと中腰になって構え、もう負け筋ないと確信して殺虫剤をかけるように火を放った。
どれだけ炙り続けただろうか。
ノズルから出る炎は確かに当たっているはず。目視で確認できる。
しかし同時にゴキブリが発火していないのも見てわかる。
3秒どころか10秒以上も焼いているのに、依然として
私は奇妙な推察を口に出していた。
「こいつ、火が効かないんじゃないかね」
「えっ、そんなことってあるんですか…?」
「ううん、でもなんか調子狂うんだよな…」
この間も絶えずトリガーを引きっぱなしで、いい加減指がしびれかけてきた。
私はノズルをゴキブリに肉薄させようと腕を伸ばそうとした。
この動きに敵も反応していた。
奴は身体を正面に向けなおし、こちらにじりじりと向かってくるようだった。
ちょっとまずいな。
この予備動作はまずい。私の脳が直感的にそう判断していたが、敵の方が一瞬速かった……
ゴキブリは飛んだ。
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