すごく・ふまじめ

ダーク内藤

Speculative Frustration

Compressions / Complexes 過圧縮複合体

 夢は僕にとっては安らぎの場である。そこでは全てがリアリティを持っていて、なるほど、世界とはこのようなものであるのかと納得させる存在感がある。意識が覚醒し、この平和な世界から抜け出してひとたび目を開くと、そこには情報過多な世界が、あるいは僕のお腹に跨がった幼馴染みの女の子の姿が飛び込んで来る。

「ほら、もう起きないと!遅刻しちゃうわよ!べ、べ、別にあんたを起こしに来てるわけじゃないんだからね!」

 幼馴染みの女の子は茶髪のポニーテールを腰まで伸ばした黒髪のストレートで、サイドテールとツインテールを兼ね備えた至極一般的な髪型をしており、髪色は混じり気のない緑から赤、黄、スケルトン、山吹色であるから、膨らみかけの豊かな胸に押し上げられたブレザーの紺にとても映える。僕が中々夢の世界への未練を断ち切れないでいると、彼女は僕をベッドから蹴落とし、セーラー服の下に隠された怪力を発揮して僕を部屋から引きずり出した。幼馴染みの献身的な介助により階下のリビングに降りていくと、既に父と母と僕は食卓についていた。幼なじみの女の子が席に着くのを待って、僕たちは声を揃えて「いただきます」を言った。父は作家らしく着物姿で、焼き魚を器用に解しながら、同時にトーストにバターを塗りたくっていた。スーツの袖はバターやジャムが付かないように中のワイシャツごと捲くられており、長年、保険のセールスマンとして活躍してきたキャリアを思わせる、海焼けした豪腕をさらけ出していた。いくつのカツオを揚げればそんな腕になれるのか、時に数カ月にも及ぶ火星探査から帰ってくる父の姿を見るたび、幼いながらに疑問に思っていた。

 僕が席に着いてピタをフムスとスブラキの上を行ったり来たりさせていると、母に「迷いピタはお止しなさい」と鋭い声で注意された。我が家は父が森林管理官らしくおおらかな性格であるからか、母がとにかく、マナーやら何やらにとても厳しい。母は毎朝5時には起きていて、僕と父と、何故か幼馴染みの女の子の分のお弁当をも用意し、それとは別で一汁三菜の朝ごはんをクロスの敷かれた背の高い樫のテーブルにキッチリと並べて皆の起床を待つ。僕らを学校や会社に送り出した後は最速かつ最短で全ての家事を終わらせ、自らの趣味の時間に浸る。映画鑑賞、テレビゲーム、サッカー、バレエ、セパタクロー、キャンピング、クラブDJ、闘鶏、SASUKEと仮装大賞出演の為の準備、切手集め、狐刈り、等々。どこにそれだけの数の趣味を楽しむ時間的余裕があるのかわからないが、時間を操る超能力か何かを持っている可能性が高い。

 朝食を食べ終わり、僕は起きてから初めて時計を見た。7時40分と9時7分の間を、長針が普段より比較的緩やかカーブを描いて抽象的に表現していた。なるほど、遅刻するかしないか、ちょうどギリギリの時間だった。僕と幼馴染みの女の子は、母が作ってくれたお弁当を引っ掴んで家を飛び出した。淡いイエローのフィアット・500に乗り込み、急発進をすると、曲がり角を通過する度に、こんがりと薄紫色に焼けたトーストを口に咥えた転校生の女の子が、ミステリアスな雰囲気とオーバーなリアクションを慣性の法則の彼岸へ置き去りにした等速直線運動をしており、必然的に何度も衝突事故が起こり、。そのため、直線距離1200mの通学路の移動所要時間はおよそ20分である。僕と幼馴染みの女の子は今日も、通学路のアスファルトにズラリと並んで尻餅をついた、十数人ほどの転校生の女の子たちの口汚い罵倒の数々に押される形で、ホームルームに数分遅れて学校に到着する。チンクエチェントを廃校舎にこっそり停めて教室に入ると、先ほど曲がり角で衝突した十数人の転校生が全員、一言一句違わずに「あー!あの時の!!」とカエルの大合唱のような音声を発する。僕は当たり障りのない返事としてやはり「あの時の口の悪い女!」を選択し、自分の席への長い道のりに入った。今まで数百の「あー!あの時の!!」を吸収してきた教室だけあり、広さは体育館ほどで、室内にギュウギュウに机と椅子が詰め込まれている。隙間の無い机の集合体の中にある自分の席に辿り着くためには、机の上を歩くしかなく、僕は転校生の女の子たちのプリントと筆箱を踏みにじりながら学習机の平野を歩いてようやく席に至ることができた。しかし、着席すると同時に今度はノートかの切れ端に丸められたメッセージが僕に届き始める。「お前、あの子の知り合いなのかよ」という主旨の総計417通の切れ端メールは、僕に溜息を吐かせるには十分な量だった。

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