第5話 短剣使い
ルシアはラインの誘いに乗り、勇者が次に来るであろうギルドに急いで向かっていた。
勇者の訪問が原因なのか、商店街やギルド周辺はやたらと人が多い。しかし、それに構うことなく彼女は風を切るように人々の合間を潜り抜け、走っていく。
「オイオイ、そこまで急ぐ必要はないダロ」
「分かってるわよ。けど、こうでもしないと落ち着かなくって」
蜘蛛の腕が原因なのか、ルシアは勇者の神剣を目にしてから妙な胸騒ぎに襲われていた。
左腕がキュッと締め付けられる感覚、言葉に表しようのない漠然とした不安が彼女をいても立ってもいられなくさせていた。
演説が終わりそこまで経っていないにも関わらず、彼女達がギルドにたどり着いた頃には既に辺りは冒険者でごった返していた。
街の冒険者人口だけではこうはならない、恐らく他の地域からも沢山の志願者達が集まっているのだろう。
「凄い人の数……」
「まさかこんなにも魔物の命を狙う輩がいるとはネェ。恐ろしいヤ」
他人事のようにラインは身体を膨らませ、おちゃらけた表情を浮かべる。しかし、その瞳は全く笑っておらず、どこまでも凍りついていた。
――怒りや呆れなんてもんじゃない。まるでゴミを見るかのような目だった。
「どうするヨ、これじゃ勇者の姿なんて拝めるかどうかも怪しいゼ」
一瞬だけ、その凍て付いた瞳を向けられ、ルシアはビクリと身体を震わせた。しかし咄嗟に平静を装うと、苦笑を浮かべて答える。
「そ、そうね。流石に諦めた方が良さそうかな」
ひょんな事で蜘蛛の腕の存在がばれ、自分の正体が露見してしまう。そんなリスクを侵してまで見物するものでもないだろう。
そう思ったルシアは、不快な胸のざわつきを放置してギルドを後にしようとしたのだった。
「まだ諦めるのは早いと思うよ」
その青年に呼び止められるまでは。
彼女の肩を軽く叩き、ルシア達を制した黒髪の青年はフッと柔らかな笑みをこぼした。
周りの冒険者達と違い、興奮や焦りを一切見せず、ただ落ち着いた雰囲気を醸し出している。しかし、それ故にルシア達と同様、集団から浮いているようにも見えた。
「それは……、どういう意味ですか?」
「まだあるって事だよ、勇者に直接会える可能性が」
警戒するルシアにものやわらかな眼差しを射る藍色の瞳は、澄み切っていた。
そして、そんな上品な顔立ちとは対照的に使い古された皮の装束から一枚の羊皮紙を取り出した彼はそれをルシアに手渡す。
「これは?」
「暗号とでも言うべきかな。大きい声では言えないが、どうやらここに僕達が求める存在はいないらしい」
「ここにいない……? でもギルドで仲間を募集するって、さっきの演説で――」
「僕も良くは分からない。けれど、ギルドの受付嬢が言うには、この暗号に勇者の居場所が記されているらしい」
――كيبوزويلو غابة الوريد التنينに行け
紙には古代魔導文字でそれだけがポツンと書かれていた。
一見は意味の分からない文字列かもしれない。しかし、ルシアにとってそれは暗号ですらなかった。
「これ、暗号なの? ただキプゾール森林の龍脈に行けって書いてあるだけじゃない」
「…………え?」
「龍脈の中央は……多分キプラス廃闘技場の事ね。地図を見て確かめないと分からないけど」
青年は目を瞬き、一瞬だけ驚愕の表情を見せると、咳払いをしてからルシアの手にする羊皮紙を一瞥し、内容を再確認する様子をみせた。
彼女にとって地図を見れば一瞬で分かる内容のようだが……、どうやら青年はその暗号の意味を全く理解していないようだった。
しかし、それもそのはずである。魔法陣などに使用される魔導文字ならまだしも、古代魔導文字などを読める人間は数が限られていのだ。
ルシアは太古の武器を探す際に、古文書翻訳の家庭で自然と読めるようになっていたが、それは決して”常識”ではない。
「……それよりも、どうしてこんな回りくどい事をするのかしら? わざわざこんな事しなくても――」
「申し訳ないけど、その話は後だ。君も付いてきて、勇者に会いたいのならね」
そう言うと、青年はニヤリと笑ってギルドとは逆方向へと駆け出し始めた。
「ちょ、ちょっと! 待ちなさいよ!」
「ルシア! アイツの言う通り、ここに勇者の気配はない。追うのが吉みたいダゼ!」
「大きな声で言わない……っ! はぁ、もう訳わかんない」
彼が駆けていった方向から察するに、青年は恐らくキプラス廃闘技場へと直行しているのだろう。それも誰よりも速く、誰にも追いつかれないように……。
ルシアは大急ぎで身を翻すと、青年の背中を見失わないよう目を凝らしつつ、冒険者の合間を縫って、彼を追い始めたのだった。
☆
「ここまで来れば、先を越される事もなさそうだな」
キプゾール森林の中をある程度進んだ所で青年はようやく立ち止まり、呼吸を整える。
一方でルシアは演説の後からずっと走り続けていたせいか、息を切らし、肩で息をしていた。
「はぁ、はぁ……。どうしてそんなに急ぐ必要があるのよ……、仲間を募集するなら勇者さんは逃げも隠れもしないでしょ?」
「イヤ、そうでもないかもしれないゼ。ナァその兄ちゃん、一つ聞くがもしかしてオレ達は、勇者パーティーに入る資格があるか、試されているって事なのカ?」
ルシアの肩に引っ付きながら喋ったラインに、青年は些か呆気に取られていた。
まさか、肩に乗っているだけのスライムに喋る能力があるとは思っていなかったのだろう。
「君……、喋れるのかい?」
「アァ。それで、どうなんダ? 僕の予想は当たってるのカ?」
「……うん、恐らくそうだろうね。でなければ、こんな面倒な事をする意味はないはずだ」
「なるほどね。でもギルドの周りにいた冒険者達は、そんな事知らないみたいだったけど……?」
もし勇者が暗号を残したとギルドが発表しているのであれば、誰かしらその話をしてもおかしくはない。それに、そもそもそんな重大発表をするなら、外の掲示板に張り出すのが普通だろう。
「それはね。本来ならこの暗号は、後3分後にギルドにて発表される予定だからさ」
「え……っ? それってまさか……、ギルドから暗号を盗んだって事!?」
平然と時計を見ながら語る青年の言葉に、ルシアは素っ頓狂な声を上げる。
そして、同時にルシアはようやく悟ったのだ、自分達は今何をしようとしているのかという事を……。
「盗み見たと言った方が正確かな。ただこの暗号自体もともと、比較的感知しやすい魔法陣として描かれていたんだ。それこそ、盗み見て下さいと言わんばかりにね」
「……つまり発表される前から、暗号に気づけたって事?」
「そういう事さ。……邪神との戦いに先駆けやフライングはない。要するに早く行動した者勝ちなんだ」
青年は柔らかな笑みを漏らすと、服のホコリを払って再び廃闘技場に向かって足早に歩き始めた。
まだ呼吸が完全に整ってないが、ここで青年に置いていかれる訳にもいかない。そう思ったルシアは深呼吸をすると、重い足を動かして彼の隣に並ぶ。
そして――ずっと喉元で引っ掛かっていた疑問をゆっくりと吐き出した。
「ねぇ……、どうして他の冒険者じゃなくて、アタシに声を掛けたの? 有望そうな人なら他にも一杯いたはずよ」
青年は少し困ったように肩をすくめると、歩きながら顎に手を当てて考えた。
しかし悩んでいたのはほんの僅かな時間。すぐに結論を出した彼は、どこか悲哀の色が混じった眼差しを彼女に向けながら告げる。
「君だって相当な実力者だろう? 協力するのも悪くない、そう思っただけさ」
「そ……。アタシはルシア、貴方は?」
「僕かい? 僕はローグ、しがない短剣使いさ」
そう言って、彼は上品ながらも苦笑して見せたのだった。
「オレはラインってんダ。よろしくな、兄ちゃん!」
無論、彼女の肩に乗っているスライムの存在も、忘れてはならない。
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