第3話 結託
ルシアが放った閃光の余波が収まり、森にあの心地良い静寂が戻ってくる。
彼女が切り裂いた
魔物の最期は儚い。魔素や液体、骨のみで構成された身体であるならば尚更……。
爽やかな風に髪をなびかせ、安堵の息を漏らしたルシアは、膝から崩れ落ちると聖剣を地面に刺して、倦怠感に身を委ねた。
息を切らし、空気を求めて喘ぐ彼女は額の汗を拭うと、自身が生きていることを強く噛み締める。
「勝った……、よかった」
「へへ、どうやら賭けに勝ったみたいダナ。……って、重い重い! 全体重をオレに掛けるな!」
「重いって失礼ね……っ。分かったわよ、どけばいいんでしょ」
聖剣から手を離し、ルシアはそのまま地べたに座って長い溜め息を吐き出した。そして、背負っている武具袋を下ろし、楽な体勢を取った。
変身していたラインも元の姿に戻り、身体をぷるぷると震わせて、液体の如く地面に密着するように全身を伸ばしていた。
「……ねぇ、スライム君」
「うん……? どうかしたカ?」
「その、ありがとうね。あの時、貴方が助けてくれなかったら、多分アタシ死んでたから……」
ルシアはラインから軽く目を逸らすと、肩にかかった艶やかな髪の毛を弄りながら、ポツリと呟いた。
一方でラインは、照れ隠しに顔を背けた彼女を見て不思議そうに目を丸くした後、身体を弾ませて嬉しそうに笑う。
「イイヨ、あんなに美味しい聖剣を喰べさせてくれたんダシ。これぐらいどうってことないさ」
「武器を喰べる時点でアタシは信じられないけど。……まさか、聖剣に変身するなんてね。一体どういう仕組みなの?」
「オレも分からないヨ、気がついたら出来るようになってたんダカラ。でも多分、聖剣を喰べたからだと思うンダ。現にオレが人間の言葉を理解したのも、その後だ」
ラインはそう言うと、今度は槍や錆びた剣など様々なものに変身した。言うまでもなく、聖剣には見劣っていたが、それらは全てとある点で共通していた。
「これらは全部、オレが過去に溶かしたモノ。つまり、オレが今までに喰べたもの全てに変身できるみたいナンダ」
「全部って……、じゃあもしかしてさっき飛んできた『岩』も?」
「その通りサ。オレが食べられるのは鉱物だからネ、水晶や砂金にもなれるハズだよ」
一瞬だけ、意味ありげな含み笑いを浮かべたライン。それは、彼が持つ『何か』を映し出しているようにも見え、ルシアは無性に寒気を覚えた。
しかし、そんなことを知る由もなく、彼は蜘蛛の腕を一瞥してからルシアに向き直る。
「それで、オレはこれからどうすればいいカナ? どうすれば――罪を償えるンダ?」
「罪……?」
「そうサ。君の大切な聖剣を食べてしまった罪を償うんダヨ。君が望むなら、オレは下僕にでもなる覚悟ダ」
「下僕って……、そこまでのことしなくていいわよ。それに聖剣の力なんて所詮、噂でしかなかったもの。呪いなんて解けやしなかった」
どんな呪いでも解く。それが彼女が長年探していた剣の力だったはずだ。しかし、彼女にかけられた呪いは聖剣を手にした今でも、解ける兆しが見えなかった。
――どれほどの人がこの哀れな姿を見て、嫌悪感や不快感を抱いたのだろう。
ふとその蜘蛛の腕を目にすると、どうしてもそんな疑問が思い浮かび、頭から離れなくなる。
侮蔑の眼差しを向けられ続け……、悲しみに明け暮れていた地獄の日々が昨日のように思い出された。一度出来てしまったトラウマは、治せそうにもなかった。
「それって、もしかしてその腕のことカ?」
「そうよ。けれど腕に限ったことじゃない」
半ば投げやりな気持ちで、ルシアは眼帯に手をかける。
痛々しい人にとっての必需品。そう思われがちなその黒い帯の裏に隠れたコンプレックスをラインに見せつけ、驚かせようとしたのだった。
結び目を解くやいなや、眼帯はハラリと彼女の膝上に落ちる。そしてその人間とは思えぬ異常な眼球が顕になった……。
黒いの結膜中にぽっかりと浮かぶ緋色の虹彩と瞳孔、しかもその数は一つではなく、全部で五つの瞳がそれぞれ不規則に動いている。
この目に関しては、仕組みどうこうの問題ではなく単純に気色悪い――そんな感想を抱く者が殆どだろう。
現にルシアは幼い頃からこの目や腕が原因で、上流階級だったにも関わらず、不当な差別を受けて育った。誰一人として、この異形たる容姿を受け入れてくれる者はいなかったのだ……。
「これがアタシにかけられた呪いよ。……どう? 気持ち悪いでしょ。何なら、嘲笑っても良いわ」
どうせ軽蔑されて、差別される位なら、自虐に走った方が遥かにマシだ。そんな教訓が根付いている彼女は、静かに乾いた笑みを浮かべる。
瞳は深い悲哀を湛え、小さなスライムであるラインすらも怖がっているように見えた。
ラインは訝しげに頭部を傾けて、少しだけ考える。
そしてその後、彼の口から返ってきた言葉は、彼女も予想できなかったほど意外なものだった。
「気持ち悪い……? カッコいいの間違いじゃなくて?」
「へ……っ?」
「蜘蛛の腕に蜘蛛の魔眼デショ。オレは普通にカッコいいと思ったんだけど、人間は感じ方が違うのカ?」
新手の煽りではなく、本当に素の表情で不思議そうに問いかけてきたラインに、ルシアは度肝を抜かれていた。蜘蛛の腕を見せて、そんな言葉をかけられたのは、生まれて初めてのことだった。
「か、か……、カッコいいわけ無いじゃない! 冗談、言わないでよ……」
「冗談なんかじゃないゼ。だってオレなんか、スライムだから腕どころか脚も無いンダ。身体も不定形だし、手足がある生き物が羨ましくてたまらないヨ。特に蜘蛛とか、狼とか人間はカッコいいと思うんだヨネ」
「蜘蛛が……、カッコいい? そう、なんだ」
両目を瞬かせた彼女は突如、物凄い勢いでラインから顔を背けると、混乱したように頭を抱えた。
自分が褒められているのか、あるいは嘲笑されているのか図りかねた。それ以上に『カッコいい』と言われてどんな反応をすれば良いかも分からなかった。
今の自分が嬉しいのかも、悲しいのかも判断できず、思考が完全に停止した彼女の目からは大粒の雫が溢れた。
そしてそれを紛らわそうと必死になって目をこすり、ハンカチで濡れた頬を大急ぎで拭く。
「どうしたンダ? 目でも痒くなったのカ?」
「う、うん。少し砂埃が目に入っちゃって……。それで、結局のところ本題は何だったっけ?」
「ウーンと、聖剣を喰す罪を犯してしまったオレの償いをどうすべきか、じゃないカ?」
「確かにそうだったわね。解呪には役に立たなかったけど、戦闘における聖剣の力は間違いなく本物。それにその聖剣の正体もまだ分かっていない……」
眼帯をつけ直したルシアは顎に手を当てて、考えを巡らせる。
蜘蛛の腕という存在を思いがけず受け入れられてしまったため、孤高を演じる理由が完全になくなってしまったのだ。しかし、だからといって、まだ完全にこのスライムのことを信用したわけでもない。
「じゃあ、下僕にはならなくていいけど、少なくとも聖剣の正体が分かるまで、アタシの旅に同行してくれないかしら? 事実、貴方を”生きる聖剣”として見れば、なんの支障もないはず……」
「了解ダ。それなら、オレは今日から君の従魔ダネ。君……、名前は何ていうの?」
「ルシア……、ただのルシアよ。そういう君は――ってスライムに名前なんて、あるわけなかったわね」
クスリと微笑を漏らしたルシアの意見を真っ向から否定するように、ラインは頭部をブンブンと振った。そして、透き通った眼差しを彼女に向けて、堂々と名乗ったのだった。
「オレの名前はライン、アテネスライムのラインだ! 以後宜しくナ!」
蜘蛛の腕を持つ武器コレクターと武器を喰らうスライム、彼女と彼の旅はここから始まった。
「言い忘れてたケド、オレの餌は武器や鉱物でヨロシク! 安いものでもいいからサ」
「え……?」
そして、ルシアが武器コレクターとして大きな難題を抱えたのも、この瞬間からだった。
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