女の話
@sapporo_taro
死体の女
目を覚ますと、そこには女がいた。
女がいたと云ってもそれは死体であった。
いやに変な時間に目を覚ましたな、と思い時計を見ると午前四時。僕は布団で目覚めたわけでもなく、立った状態のまま突然意識が自分に戻ってきたかのような状況であった。
但し覚め心地は明らかに寝起きのそれである。眠りに落ちる前は確実に自分は自分であった筈なのに、覚めた刹那に一瞬、自分が何者であるかを自分の脳で確かめるような、そんな感触があった。
そして、本来自分が日々目覚める筈であるその布団に横たわっていたのが女の肢体である。
やけに白く、陶器のようなそれは紛れも無い裸の女の肢体である。
陰毛だけやけに黒々と生え、それ以外は全てが白く、毛穴も見え無い。
さて、何故触れてもじっくり観察した訳でもあるまいに、それが死んでいるとわかったのかと言うと、少し朧げながら記憶があったからだ。
恐らく、僕がさっき首を絞めて殺したからだろう。そのような淡い確信があったのである。
まじまじと覗いてみると女の肢体は布団もかけずに、まるで気を付けの姿勢で横たわっている。
女性らしい、と云ってもそれは女性であるから当たり前なのだが、女性らしい身体の丸みに隆起が美しい。
但しそれは凛とした割にやけにくたっとした印象で、普段見る女の身体とは一切違った。とはいえ恐らく僕はこの女の裸にはきっと見慣れていた筈である。
容はそれこそ同じであるが、何故だが例えるなら、例えば峠で出会う野生の鹿の身体のような、空間に調和しながらも鮮やかに空間を切り取り形作るような、闇の中で光で照らせばきっと不意にヌルリと現れる獣の、屈託の無い身体付きのような艶めかしさがあった。
恐らく死んでいる為だろうと、そう推理した。
屹と人間を人間足らしめる人間性や意識のようなものが消え失せると、まるでそれを元より持ち得ぬ純粋な動物のように、近付いて見えるのだろうと。
そんな思いを巡らせつつも、ふと、首の辺りに目を遣ると、どうやら僕が首を絞めたか絞めていないか、どちらとも取れないような跡があった。
果たして自分は本当に殺したのか、一切自信が無くなってきた。
顔の方も安らかな死に顔であり、生死を問わず美人であったろう。
すきっと通った鼻筋に閉じたその瞼、そして余計な肉も無く締まった口元に、一切の争いや抵抗の形跡も見られなかった。
果たしてこの女をどうしたものだろうか。恨みの感情の一つでも今自分にあれば、殺したと信じる事が出来るし、愛おしさの一抹でも残されていればもう少々慌てふためいてもみるものだろう。
しかし、ここにあるのは、僕の布団に横たわる女の肢体と、今何の感傷も持ち得ぬ僕という状況だけである。
こういった場合は、警察に連絡するものか、医者に走ってみるべきものか、どちらかだろうと思ったが、この状況をよくわかっていない僕には、どちらも酷く億劫に感じた。
別に1日二日置いて置いても、構わないだろう。
そう思った僕は、女の肢体をそのまま僕の寝床に寝かせておく事にした。
僕はとりあえず四時から寝直すのも難儀だと思い、そのまま普段通り生活した。
日中は家を空け、夜には家に帰った。
季節は夏であるが、夜にもなると部屋は多少涼しい、涼しいとは言えども夏である。ぬるいと言うのが正しい。
室の電気をつけ女の肢体に目を遣ると、朝の頃とあまり変わらぬ様相を湛え、僕の寝床に横たわっていた。
夏の夜のいやらしい気温に反し、死体なのでてっきり冷え切っているかと思いきや、触れてみるにどうやら室と同じ温度であった。
室と同じ気色の悪い夏の温度である。
また、顔に目を遣る。
朝と同じ表情で、まるで何も訴え掛けても来ない表情である。
この女を知っている、知ってはいるが、だから何なのだろう。
猟奇殺人の犯人であれば、乳房や性器を切り取り記念として保管するそうだが、どうだろう。
自分に自らそうしようという衝動も無い上に、やる意味も理解は出来るがわからない。
今のこの女の肉は柔らかそうだが、どうだろう、まだ腐り始めてはいないのだろうか?それだけが少々疑問として浮かんだ。
考えても仕方の無い事なので、僕はソファで寝たのか床で寝たのか、どちらかで寝た。
夏特有の奇妙な朝を迎えて、朝の身支度を整え家を出た。
この日も丸々日中は家を空け、夜には家に帰った。
この女の肢体と出会ってかれこれ二日である。
二日目にして、女の肢体は見た目に変化も現れたというものである。
張り詰めたような身体の輪郭は本当に若干という差でその張りを失い、重力に従い始めたように見えた。
僕は知っている。死体の経過を写した連続写真では、まるで地面に吸い込まれるように、身体はその縁からようよう垂れ落ち、腐った汁と良く分からない淀みに還るのである。
さあ、この女も屹とそうなるのであると思うと、ほんの少しだけ侘しさを感じた。
顔も少々眼の辺りは落ち窪み、少しずつ、そして少しずつ、あのいつか見た連続写真のようになるのである。
いつ腐って落ちてこれはただのやがて骨になるのか。
僕の室に異臭が漂うのはいつの何日頃になるのか、夏なのでもしや今日か明日かと、そう思ったものである。しかしそれはここに死体がある事が近隣にばれてしまう恐怖などからくるものでも無く、単にそう気になるだけであった。
通報の一つでもされようものなら、愛しい女の死体を人に遣りたくなかったとでも言えばいい。
かわいそうな人とでも思われて少しニュースにでもなって終わりだろう。
懸念があるとすれば僕がこの女を仮に殺してしまっていた場合である。
解剖とやらで死因が判明し、もし僕が殺していたのであればそれは厄介である。
ただ、ゆくゆく少し考えたところで、それは意味の無い事だと思い辺り、その日も床かソファで寝た。
三日目も丸々日中は家を空け、夜家に帰ると、女の肢体は僕の布団の上にあった。
さてここで余談であるが、布団は室の奥にある、何故ベッドを使っていないのかと言うと、僕は寝る際の床に対しての高さに一切の興味を持てない為である。
初日は肉付きも良かった身体は、今日はいよいよまるで病人のように痩せて見え、色も最初美しいと感じた白とはまた違う青白さであった。病人と言うより、尤も死んでいるのだが。
今日はいよいよ、ここに置いておきたくは無いと思った。では一体どうしたものかと思ったが、警察に連絡をしていいものか、病院に連絡をすべきか考えるのも面倒だし、実際に連絡するのも面倒だ。
払い忘れて期限切れのままずっと余計面倒になり、重荷になっていくような公共料金の支払いの用紙か、まるでそれに近い感覚である。払ってしまえば後顧の憂も無い筈であるのに。
結局僕はその日も頃合いを見て眠った。
目を覚ました。
時計を見るに午前二時も半ば過ぎた頃である。今回は横たわった姿勢からすっかり、はたと目を覚ました。
立ち上がり、女の肢体を見ると、先ほど眠りに着く前の死後の経過のようなものは消え去り、そしてまた、初日の陶器のような様相も無く、そこにあったのは生者のような赤みが差した肌色だった。
女は何故か、化粧品か石鹸かシャンプーか、柔軟剤か香水か知らないが女の特有の匂いがする。この女も今は例外では無かった。実際に匂いが香ったわけではないが、そんな気がした。
女は呻き声か知らないが、寝起きのような声を上げた。
「…ごめん、ずっと寝てた」
僕は思い出した。この女が二日三晩メールの返信の間を置いてはよくこうして返事を返してきていた事を。
本当に寝ていたんだ。
そして、だからと言ってそれは僕にはもう関係の無い事も。
「そう」
それだけ返して僕は女の眠気に抗う様を見ていた。
きっとこれからどこかに行くのだろうが、それも僕には関係の無い事だ。
女はまた眠気に負けてしまいそうな様子で、うつらうつらとしている。
早く起きなよ。どこかに行くんだろう。
どこかに行くのだろう。服も着ていないのに。
僕はそれから、眠そうに目を擦る彼女の姿をただずっと見詰めていた。
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