セシルさんと野営

 僕は森という環境に慣れている。

 けれども野営となれば話は別で、ついでに住み慣れた森ではない森も、管轄外だった。


 どこからともなく聞こえるフクロウの声って、こんなに不気味だったっけ?

 家の中から聞く分には、平気だったのに……。

 ただ暗くなっただけなのに、なんでこうも不安な気持ちになるのだろう?

 膝に乗せたクランドを、心持ち強く抱き締めた。


「はい、アオイくん」


 唐突にセシルさんから、茶色い棒状のものを差し出された。

 片手におさまるそれを、不思議に思って眺める。

「携帯食料です」添えられた言葉に得心した。今日の晩ごはんらしい。


「セシルさんは、こういうの慣れているんですか?」

「そうですね。アオイくんは、外で寝るのは初めてですか?」

「……外泊すら、したことがありません」

「あはは、そうでしたか」


 セシルさんのたき火でお湯を沸かす仕草は手慣れたもので、野営上級者の貫禄を見た。

 耐熱性のマグカップに粉末の茶葉を入れ、お湯を注いでいる。くるくる、黒手套がスプーンを回した。

 完成したものがこちらへ差し出される。

 青年のやんわりとした微笑が、ゆらめく暖色に照らされた。


「どうぞ。熱いですよ」

「セシルさんの分は?」

「私のことは、お気になさらずに」


 優しい声音で勧められるけど、既に僕の肩にはセシルさんから借りたブランケットがかかっている。

 様子を見ていると、どうやら彼の道具はどれもひとり分しかない。

 つまり、このマグカップもブランケットも、僕が使ってしまえば、セシルさんの分がないということだ。


 クランドとブランケットと、マグカップと携帯食料を持って、立ち上がる。

 セシルさんのすぐ隣に腰を下ろして、彼の肩にもブランケットをかけた。

 たき火に照らされてもわかる赤い瞳が、まるく見開かれる。

 気まずくて、ついぶっきら棒にそっぽを向いた。


「ひとりで使うのも気が引けるので、半分こで折り合いをつけてください」

「……わかりました。そうさせていただきます」


 少し笑みを含んだ、余裕のある声だった。

 それがますます気まずい。むう、これが年上の余裕か。


 誤魔化すようにマグカップに口をつけるも、中身は思った以上に熱くて飲めなかった。

「あつっ」思わず漏れた声に、セシルさんが笑う。


「少し冷ましましょうか」


 ひょいと引き抜かれた耐熱性のマグカップが、セシルさんの逆隣に置かれる。

 僕はセシルさんの年齢を知らないけれど、こういうスマートな行動ができる辺りに、年上っぽさを感じている。


 膝に乗っているクランドが、きゅるきゅるとお腹の音を鳴らす。

 ずんずん、僕のお腹を登ってきて、かぱりと口を開いた。

 短い後ろ足で、一生懸命ジャケットを蹴ってる姿が、なんともかわいらしい。


「あははっ、待ってね。ごはんだね」


 携帯食料を脇に置いて、右手でクランドの背中を撫でる。

 左手をゆるく閉じ、ゆっくりと開いた。

 ふわりと広がった花びらが、幾重にも折り重なる。瑞々しい青バラの登場に、クランドのつぶらな瞳が輝いた。

 垂れていた尾がぴんと伸ばされる。踏ん張る前足が前進した。


「あぁっ、待ってってば、クランド。そんなにお腹空いてたの?」

「いつ見ても、見事なものですね」

「ありがとうございます。セシルさんにも花編みましょうか?」


 花びらをちぎりながら、クランドの口へ運ぶ。

 もしゃもしゃ口を動かす白トカゲが、後ろ足と尻尾で踏ん張りながら、僕の身体を壁に立ち上がった。

 あははっ、笑って左手の青バラを高く持ち上げる。

 ふんふん息巻くクランドは必死だ。かわいい。いじわるはこのくらいにしておこう。


「……私に、ですか」

「セシルさん、綺麗な人ですし、何色でも似合いそうですよね。どんな花がお好きですか?」


 セシルさんの方を向かず、クランドに花びらを食べさせながら会話する。

 なんとなく、セシルさんが困っていることはわかった。


 花びらをちぎったことで、小振りの大きさにまで縮んだ青バラを、クランドの前に差し出す。

 もしゃり! 一瞬で大きな口の中へ消えてしまった。

 もしゃもしゃ、しあわせそうに顎が動いている。


「……花には疎くて」

「意外ですね。恋人とかに贈ってそうなイメージでした」

「恋人ですかあ。長らくいませんよ」

「ええっ!? もっと意外です……」


 驚いてセシルさんを見詰めてしまう。

 こんなに美人なのに、恋人いないんだ!? 意外!!

 ええっと、プライベートな話に首を突っ込んで、すみません、かな?


 おろおろする僕の肩に、落ちてしまったブランケットをかけ直しながら、セシルさんが目許を緩めた。


「では、恋人のいない私は、どのような花が似合いますか?」

「そんな前振りしないでくださいよ! ちょっと待ってくださいね」

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