なんでそうなっちゃったかなー?
「あ! おはようございます、セシルさん」
爽やかな挨拶をするアオイは、宿に併設された食堂にいた。
モーニングサービスの時間帯であるそこは、がやがやと賑わい、食器の触れ合う音や新聞を捲る音で満たされている。
アオイを探し回っていたセシルが、ばくばく弾む心臓を撫でた。
――何故この子はここにいるのだろう?
彼女の顔はそう物語っている。
少年は食堂のエプロンを身につけ、メモとペンをポケットに、出来上がったばかりの料理を配膳していた。勿論膨らんだショルダーバックをさげている。
――どうしてこの少年は、店員の真似事などをしているのだろう?
彼女の疑問が、一周回って再びそこへ着地した。
「……あの、アオイくん。これは一体……?」
「おーい兄ちゃん。珈琲頼む」
「はい、ただいま! セシルさん、ここ座ってください」
客席から上がった声に応答し、アオイがセシルを空いた席へ案内する。
ふきんでテーブルを拭いた彼が、セシルの前にメニュー表を広げた。
「決まったら、声かけてくださいね」
それだけ告げて、彼は先程の客の元へと急いだ。
てきぱきとした仕草には熟練のものがあり、この食堂ととても馴染んでいる。
厨房からの完成品を運び、オーダーを取り、珈琲のおかわりを注ぎ、落ちたフォークを交換する。
あまりにも違和感のない仕事ぶりに、セシルは頭を抱えていた。
セシルは真面目である。
昨夜の盗賊について調べるために、彼女はあのあと現場へ向かった。
それから本部へ連絡し、この町の駐屯所へも情報を収集しに寄った。
そして部屋へ戻ると、アオイがいない。
ぎょっとした。彼女の心臓は、間違いなく過剰な負担を受けた。
卓上の金銭は手付かずのまま残され、彼の鞄や上着も一切見当たらない。
更には痕跡を消すかのように、ピンと張られたベッドのシーツ。
咄嗟にセシルが左手に巻いた黒い帯を見遣るも、共鳴は起きていない。それはアオイの首に巻いたものと、同じ材質で作られていた。
アオイの首輪は、セシルの手首のバンドから、一定の距離を離れると反応するように作られている。
それは騎士団で配布されている、魔術師を捕縛するための道具のひとつだった。
アオイは魔術師だ。
この国ヴィルベルヴィントでは、魔術師の地位は低い。万が一周囲にアオイが魔術師だと知られれば、最悪処刑されてしまう。
セシルが傍にいれば、対処することができる。
問題は、アオイがセシルの傍を離れたときにあった。
このままでは危険だ。アオイはこの国のことを、何も知らない。
焦燥に駆られたセシルが部屋を飛び出し、あちらこちらを探し回って聞き込みする。
アオイはアストロネシアの出身だ。
当然貨幣も異なる。金銭を持たずに向かうところとは、どこだろうか?
聞き込みが功を奏し、ようやくアオイらしき少年が食堂にいるとの情報を掴んだ。セシルは急いだ。
慌てて駆けつけた先、見つけたアオイは給仕に励んでいたのだから、このとき彼女が受けた衝撃たるや。
――どうしてそうなったのか、説明を求めたい。
痛む頭を押さえ、彼女が深く息をついた。
「……セシルさん?」
頭上からかけられた声に、彼女が顔を上げる。心配そうに瞬いたアオイが、「具合、悪いんですか?」小声で尋ねた。
きみの行動に度肝を抜かれました、とは言えず、セシルがため息を飲みこむ。
「アオイくん、あとでお話があります」
「はい? わかりました。朝ごはん、どうしますか?」
きょとんと瞬き、頷く仕草は素直なものだ。
アオイは自身の置かれている微妙な立場を理解していない。
昨日誘拐されたばかりの彼は、『魔術師』が何であるかも把握していなかった。
幸い、シエミラ山を挟んだ隣町であるため、言語は『訛り』程度で解釈できる。
アオイもセシルも丁寧な口調で話すため、言葉の壁についてのストレスは少なかった。
少年が指先で示したメニュー表へ視線を落とし、セシルが沈黙する。
「……では、オススメのもので」
「今日のオススメはこれですよ。ハムエッグとサラダ。パンとコンソメスープがつきます」
珈琲いりますか? 流れるように勧められた追加注文が手慣れており、勧められるがままにセシルは首肯した。
さらさらと筆記したアオイが、上の紙を千切る。
「少々お待ちください」
爽やかな笑顔だった。声音も聞き取りやすく、店員の態度としては、はなまるだろう。
アオイの後姿を見送り、セシルが額を押さえた。
*
「まず、アオイくん。私が残したメモは読みましたか?」
怒涛のモーニングタイムが終わり、アルバイト代と遅くなった朝ごはんを抱えたアオイへ、セシルが問い掛ける。
もふもふとハムエッグサンドをくわえた少年が、不思議そうな顔でこくりと頷いた。
セシルの頭痛がひどくなる。
「……では、何故使ってくれなかったのでしょうか? 私には、きみを保護している責任があります」
「……その、……怒りません?」
腰に手を当て、ため息をついているセシルへ、アオイがおずおずと窺う。
はたと表情を改めたセシルが、「怒りません」年上としての余裕を見せた。
「セシルさんが親切な方だとは重々承知しているのですけど、その、……知らない人のお金を使うのって、勇気いりません?」
昨日の事情聴取で使った椅子で縮こまりながら、上目にアオイがセシルを見上げる。
少年の感性は、至極真っ当なものだった。
突然見知らぬ国へ連れ去られ、親切そうな人に助けられたけど、この人誰だろう?
そのお金を使って、あとですごい金額請求されないかな? どこかに売られたりしないかな?
……様々な不安が尽きないのだろう。
所属国が異なるため、『騎士団』と称されても、アオイにはピンとこないことも一因だろう。
困惑の顔に見上げられ、愕然としたセシルが震えた。片手で目許を覆った彼女が、胸中で叫ぶ。
――これでは、私が誘拐犯みたいじゃないか!!
「……失礼しました。配慮が、足りませんでしたね」
「ご、ごめんなさい。あの、……セシルさんがいい人なのは、わかってるん、です……けど」
「いえ。きみの判断は正しい。私が説明不足でした」
長く息を吐いたセシルが、背筋を正す。
決まり悪そうにハムエッグサンドを頬張るアオイは、卓上に乗せたクランドへ青バラを食べさせていた。
もしゃもしゃ、平和そのものの顔で、ドラゴンの幼獣が顎を動かす。
「……とにかく、お金の心配はしないでください。きみひとり養うことくらい、可能ですので」
「いや、養うって……あの、僕の都合ですし、そのくらい工面します」
「大人しく養われてください!」
「ふぁいッ」
びくりと肩を跳ねさせたアオイが、顔色を悪くさせた。
気まずそうに視線を逸らせ、残ったハムエッグサンドを口の中へ押し込む。包み紙がくしゃりとたたまれた。
少年の膨れ上がった警戒心に、発言を誤ったことをセシルは悔いた。
しかし、騎士団員という職種の特性上、彼女の表情は傍目にはわかりにくい。
いわゆるポーカーフェイスだ。セシルの内情は悲しいかな、少年には伝わっていなかった。
再び片手で目許を覆ったセシルが、詰めた息を吐き出す。
「っ、失礼しました。ですが、きみは処刑の危険にいることを考慮してください。きみを見ていると、危なっかしくて心臓が持ちません」
「……処刑……はい、……すみません」
ますます顔色を悪くさせたアオイが、のんびりしているクランドの背を撫でる。
またしても少年の不安を煽ることしか出来なかったセシルが、胸中でぐぬぬと唸った。
しかし見た目には反映されない。そして時間も有限だ。
彼女は胸ポケットから、たたまれた地図を取り出した。
「では、進行経路と日程について説明します。現在地がここ、グロッテンです。目的地である中央がここ、バルマキア」
アオイがクランドを抱き上げ膝に乗せ、代わりにテーブルを地図が覆う。
黒手套が指を差し、説明する。穏やかな声は聞き取りやすいが、淡々としていた。
地図とセシルの顔を、不安そうなアオイが交互に見詰める。
セシルの整った顔は、声音通り温和な笑みを浮かべていた。業務で鍛え抜かれたポーカーフェイスだ。
「グロッテンより、道なりにバルマキアを目指します。メントシナからシンハルマを通る道が最短ルートでしょう」
「……はい」
「移動手段は騎士団より支給された馬がありますので、それに」
「揺れますよね……?」
「……きみを前に乗せましょう。そうすれば、多少は振動もマシになります」
「……僕も師匠みたいに飛べたらいいのに……」
「一発で処刑になりますが?」
「やめときます」
顔色をなくしたアオイが、ぶんぶん首を横に振る。
処刑も嫌だが、セシルの操縦する馬も嫌だ。彼の顔はそう物語っていた。
にこり、セシルが笑みを見せる。たたまれた地図が、再び胸ポケットへと仕舞われた。
「では、急ぎましょう。今日中に隣町へ辿り着きたい」
「……わかりました」
幸い、アオイの魔力量はそこまで多くはない。魔術の内容も『花を編む』のみと、脅威になりにくい。
簡易計測器は淡く光るのみで、彼の瞳は澄んだ青色だ。
魔力を多く保有する者は、その瞳を金色に侵食される。
瞳の色に影響が出ていない点も、セシルへ余裕を与えていた。
これなら、中央で手続きを済ませれば、魔術師管理局に拘束されることなく、自国へ返すことが出来るだろう。
セシルの提案に、隣町までの距離も経路もなにも知らないアオイが、こくりと頷いた。
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