15  不器用な告白

 その夜はとてもではないが飲み慣れない酒を口にし、記憶が一部欠落するほどまで酔ってしまった。気付けば日を跨いで翌日の朝の10時になるころであった。

 幸い、今日は講義がなく特別これをするといった予定は無かった。

 しかし、記憶の欠如がある以上、そして、官能的なあの彼女を前にして、やることをしていないと言えば嘘になるかもしれない。ウソツキは最早、自分が嘘をついているのか、そしてどこまでが嘘なのか、図りかねていた。

 スマホは枕元に放り投げられており、意識がない状態でもスマホを握っていたということだけはその乱雑振りから見て取れた。スマホがバイブと音を鳴らした。それを合図に自然と手に取っていた。

「今日、暇?」

 画面には彼女、鈴木美咲の名が表示されており、メッセージが追加されていた。

「うん」

「じゃ、家行っていい?」

「いいよ」

 と、しばらくすれば家のチャイムが鳴り、ドアの前に美咲が立っていた。

「寝起き?」

 あ、と髪を触れば乱れていた。

 しかし、着信から尋ねて来るまでの時間が異様に早すぎた。あらかじめ、ドアの前まで来ていたのだろうか。それは、少し怖くないだろうか。

「うん、まぁ、そんな感じ」

「お酒の臭い…もしかして、酔いつぶれた?薫くんお酒強くないでしょ?」

 それもそうであった。か?わからない。少しの畏怖の感情が俺の顔を引きつらせる。

「そうかな…」

「そうだよ、私と飲んだときも、直酔っ払ったし」

 らしい。他人事のように捉え、あの夜のことをぼんやりと思う。

 すると、彼女はぼんやりする俺の顔を覗き込んでいた。目が朝日によって澄んでいた。

「聞いてる?」

 え?う、うん。

「あ、うん。まぁ、入ってよ」

 彼女を部屋に招きいれたのはいいも、何を目的に訪ねてきたかはさっぱりであった。さらに、朝からドアの前で待機していたと仮定をしたのならばさらに不明である。

「暇だったの?」

 軽く目を合わせながら、椅子に腰を落ち着かせる。

「うん、暇で。薫君何してるかなーって」

 だとしたら、メッセージか何かで聞けるんじゃないだろうか。目の前にしたいということは何かしら話があるということじゃないのだろうか。しかし、疑問を抱いたところでそれを無理に問いただそうもなら、自然に彼女の懐疑心が煽られるに違いない。昨夜、何があったかは身に覚えがないとは言え、変に疑念を持たれるのは避けたい。彼女の方から切り出すのを待った方がいい。用があって来ているのだからそのうち話すだろう。

「何か、する?ゲーム?」

 うーん、と椅子に腰を落ち着かせたままあたりを見回す。

 肘を突いて片方の手でリズムを刻み始める。普段ならしないような仕草であった。

 コ、コ、コ。空しく二人の間を通り抜ける。窓も空いておらず、逃げ道の無い音は俺らにぶつかっていく。

「本、なんかある?」

彼女の要望に応え、あまり詳しく知らない作家の本を適当に寄越した。

 彼女はページを繰り読み始めた。彼女の指が、狭いページの中に入っていく。

 時間が経てば、本を読む彼女を見て黙っているのがむず痒く感じる。俺は身体が気持ち悪いため風呂に入ろうとした。

「ごめん、昨日酔いつぶれてさ、風呂入ってなかったから、」

「いいよ。」

 文章の半ばで断ち切られ了承された。どこへ行くとは一言も言ってない。そして、何をするとも同時に言っていない。 

 リビングを抜け、脱衣所に入る。服を秩序無く脱ぎ散らかして洗濯籠に投げ捨てた。「いいよ」に籠った無機質な感じに半ば怒りを立てていた。

「ねぇ、これ何?」

 風呂上りには冷たすぎる声は俺に冷水を浴びせるが如く、彼女の持っているものを認めたくはなかった。

 手にはなにやら小さな紙切れを持っており、反対の腕で上着を掛けていた。ポケットの中身を探った証拠に、口が乱雑な波打ち際を作っていた。

 反省よりも前に幾らかの焦りが見え隠れした。どういしても、隠したいという衝動に駆られる。自然と空回りし始めていた。

「えっと、何それ。ただの紙?」

 遠巻きから眺めれば一括りにそれといえるだろう。何を書いているにせよだ。しかし、この状況を加味すれば結果は全く違う様子になる。

 静かな溜息が一つ。彼女の口から吐き出された。

「とぼけないで。薫君が一番分かってるよね」

 いつもなら上がる語尾が全く上がっていなかった。

 彼女へと近づき、鋭い目を横にその紙を取り上げる。

 二つ折、下手したらポケットに入れればきっと指先が触れても分からないであろう小ささ。開いてみれば石上の連絡先が記されていた。特徴的な丸字であった。

「もしかして、とは思っていたけど、石上って娘、もしかして最近、薫君のこと良く見てた人?最近、良く目にするなって思ってけど。よく、一緒に居たの?そういや、口紅って、まさか…」

 そこで口を閉じた。

 彼女は犯したくないところ勢い余って自ら犯してしまった。次の言葉は、2人の禁忌に触れる。

「そういや、あのときの口紅。薫君さ、この前、水、買いに行ったとき…見ちゃったんだよね」

 いや、見た。最後の言い切りの形がやけに耳にこびり付いた。

「そして、きっと昨日はお酒を飲んで、その後…」

 と言いたくないことを前に口を噤んだ。微妙に顔が強張った。肩が震え始め、その内こぶしも硬く握られる。強張った顔は下がり、陰を現した。

「ヤったんでしょ」

 今まで感じたことの無い暗さと怒りで彼女は支配されていた。

 身体を震わせ、俺と差ほど距離は離れていないのに猛烈な距離を感じる。怒っている心中ではきっと彼女は冷静だ。冷静というより冷たいだろうか。冷酷だろうか、冷淡であろうか。考えてみたところでわかる訳もないが、自分が彼女を裏切ったのは紛れもない事実と、苦渋の認識をしていた。

 何も言い出せず、ずっと彼女を見ていた。何を言い出せばわからない。自分は夢だと思っていた。ここは現実では、と前提としてこの伊藤薫を演じてきたといっても差し支えは無いのではないだろうか。

 しかし、それを言ったところでこの問題の解決にはなんの助けにもならないだろう。

 とうとう感情が高ぶり彼女は泣きだしてしまった。大粒の涙が頬を伝い、地面に落ちていく。嗚咽の中、涙を流し必死に彼女は怒りを殺していた。それを、見ているだけで痛々しく思えた。いや、他人事でない。

「それは、俺は知らなかった。て言ったら嘘になる…彼女、石上と一緒に飲んだことは確かだ」

「それだけ?」

「それだけだ。それ以上はしてない」

 ウソツキ

「じゃ、これをポケットに忍ばせて彼女が黙って帰ったと思う?」

 思えないよね?年頃の女の子だよ?例え性欲が人並みになかったら否定はできなくもないけど。けど、石上さん、薫君のことが好きなんだよね?だったら、一回ぐらいヤっちゃえ、て女心で思っちゃうよ。わからない?!」

 わからない。それは、この場に似合わない実直な答えだ。

「すまない。俺は男だ…女の気持ちはわからない」

「わからないじゃない!推し測れなかったの?!て、聞いてるの!」

「何もそんな」

「そんな、じゃないよ!好きな人が、愛する人が、誰かに奪われたかもしれない、奪われた、と感じて正気でいられると思う?!」

 くりくりとした大きな目がより一層大きく見開かれる。それは津波を引き連れていた。

「それに、薫君も薫君だよ!私が居ながら、他の女の子と一線を越えようとするの!意味わかんないよ!」

「馬鹿!まだ、一線を越えたわけじゃ…」

 彼女は鋭い眼光で俺を捕らえた。俺は蛙になった。

「違う、香水がする」

「そんな、作り話な、小説じゃあるまいし」

「作り話だよこんなの…」

 へ?

 どたどたと足音を鳴らしながら彼女は俺の上着を晒し上げれば、俺の下へと投げつけた。

「臭ってみなよ」

 俺の上着を拾い上げ、鼻を近づけた。

 確かに、いつものほのかに感じるあの彼女のにおいではなかった。

「違う。美咲のじゃない」

 沈黙している美咲は少し、俺と間を取った。

 「でも、こんなのなんの証拠にも」「ねぇ、生について考えたことある?」「急にどうした?美咲」「薫君、答えてくれない?」「美咲、どうし」「答えてよ!」怒号が部屋に響き渡る。ぐぐっと影が持ち上がる感覚であった。「

「…考えたこと無い」

「じゃ、どう思う?考えてみてよ」

 今、考えろ。石上の時とは違ってさらっと言ってくれそうも無かった。答えを、今渇望していた。

「そんなの、知らない。考える必要はない」

「何故?」

「何故?って、そんなの、じゃ、君は…美咲は考えたことあんのかよ…」

「あるよ。」

 一息置いて、彼女は話し始める。

「生と言うものは多分、わがままで自分勝手でご都合主義的なところがある。いや、それは人間が生を名詞として追いかけている結果なのかもしれない。生は形容詞なのかもしれないね。何時だって、何処だって、生は私たち人間を包括しているのかもしれない。いや、操っているのかもしれない。そこは正直わからない。

 でも、生は名詞ではないってことは、確実に言える。受理するのは、あくまで生のほう。決して人間が受理するものではない。むしろ、お願いしなきゃいけないと思うの。生きたければ、この心臓を脈打たせたければ、この脳が正常に動いてほしければ、皆皆、全部、生にお願いしなければいけない。結局決めるのは、生だ。ずっと待ってくれているけど、生は執着心が強く、誰よりも孤独なんだと思う。悲しいのよ。だって、生は死に挟まれているもの。死から始まり、生を経由し、そして死へと帰る。生は、所詮中継地点でしかない。ずっと、一緒に居て欲しいんだよ、もっと知って欲しいんだよ。だから、生は受理する側でも向こうから、自分から私たち人間に来てしまうの。

 ふふふ、でも、正直わかんない。これが、正解とは思えない。と同時にこれが不正解とも思えない。 

 そう、考えたら。私は薫君に、もっともっと私のこと、知って欲しかったんだなって思うの。」

 そこで、目の前にいる美咲は言葉を千切った。俯いて、足元に視線を泳がしているばかりで一向に次の行動がわからない。

 俺は悲しさに打ちひしがれ、彼女にまともな、彼氏としての言葉を失っていた。

「あのさ…」

 俺は重たい脚を動かし、彼女へと身体を動かす。体温も感じていなこの身体は俺を思うように動かさせてはくれなかった。単調に足を出し、後ろに蹴る。それしか、できなかった。

「ごめんなさい。…急にこんなこと言い出して。きっと、ショックなんだったと思う。薫君が私から離れていくのが。」

「そんな、こと、ないって」

 俺は彼女の肩に手をかける。しかし、肩は温度を保っていなかった。いや、分からないが正解であろうか。

「いや、ごめんなさい。もっと、冷静に話すべきだったね…ごめんなさい」

「だから、違うって…!」

 それは、生のように不器用であった。

 

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