死がふたりを別つまで

日々人

死がふたりを別つまで

「その健やかなる時も める時も 喜びの時も 悲しみの時も める時も

 まずしい時も これを愛し これをうやまい これをなぐさめ これを助け

 いつか死が 二人を別つまで

 お互いが 愛しいつくしみあうことを 誓いますか?」




 ー ー ー ー




きっかけは、彼女の上機嫌だった。

雨上がりの休日。今日は朝から気分がいいからと、澄んだ青空の下を彼女は歩きたがった。


「じゃぁ、公園に。久しぶりにあの公園にでも行く?」


と聞けば彼女は強く頷いたのち、いそいそとキッチンに向かった。

この家からは少し遠くになるが、そこに大きな公園がある。

緑豊かなその公園には、休日になれば多くの人たちが集まる。

近隣の住民の憩いの場所、癒しスポット、まぁ、僕たちがよく口にしたのは節約デート、だったが。

一緒に暮らすようになってから、休日ともなれば、よくこの公園にまで足を運んだ。

それは毎度の事だったが、最初は並んで歩いていても、なぜか僕が遅れ始めてしまう。なぜなのだろう。わからない。

はやくはやく、と前を行く彼女に何度となくを呼ばれては、少しとがらせた嫌味な拳で背中を小突かれながら、大丈夫大丈夫、この先にいいことがあるから、キミ、頑張りたまえ、と叱咤激励されて公園に入っていくのであった。


 


でも今日は、意識して。

ゆっくりと時間をかけて、公園までの道のりを歩いた。

木漏れ日の揺れるウッドデッキが空いていたので、彼女が作ったサンドウィッチをそこで広げて、それを二人、並んで食べた。


「キミ、ご褒美を受け取りたまえ。よかったな、いいことがあってさ」


の台詞は相変わらずであった。


目と鼻の先でケータリングカーが4台停まっていて、その内の一台からはスパイシーな香りを放っていた。

彼女の方を見つめる。

すると、僕が今思っていたことを彼女が口にした。


「一度も、そこでなにか買って食べたこと、ないね」


「じゃぁ、次に来たとき、何か買って食べてみよう」


と返事を返すと、じゃぁ明日も来よっかなっ、とポツリとつぶやいた。



公園からの帰り道、入れ替わりの激しい、例の店の前に差し掛かった。

コロコロと店が変わる、と言えば大袈裟おおげさだが、でもやっぱり季節ごとにはお店が変わっているのだろう、この不思議な店舗。

ここは僕たち二人のチェックポイントなのだ。

確かはじめは携帯ショップだったはずの店の前で、白い服装をした女性から声をかけられた。

医療モニターとしての参加を呼びかけられたのだった。

商品券がもらえるみたい、と先行く僕を呼び止め、とりあえず説明を聞いてみようよ、と彼女が乗り気で言うものだから、こうして今、このボックスの中にいるのだ。


今日の彼女は、なかなかにして物事に積極的だ。

手元にあるパンフレットに目を落とすと、人気スポーツ選手が表紙に掲載されていた。

久遠くおん-Qon-」という大手医療メーカーが開発したもので、これは個人の生育データを採取し、そのデータをもとにサプリメントなどの健康食品や健康アイテムを提供しているのだそうだ。

流れとしては、採血のあとに隣接りんせつされたボックスに5分間入り、ただ座っているだけで解析は完了する。


「健康診断の手短なものだと思っていただけたら…」


と何やらそわそわした、不慣れな若い担当者に説明されたのだが、大丈夫なのだろうかと不安になった。


受付に戻ると、先に終えた彼女が待っていた。

この個人データがちゃんと管理されるのかどうか不安だよね、と彼女に小さな声でつぶやくと、

「そうだろうね。有望なキミのデータは誰もが欲しがるだろうね」

と意地悪く返されたので、むっとした顔をつくり黙りこんだ。



 ー ー ー ー


この解析医療装置「久遠くおん-Qon-」から得たデータを元に、先ほどの担当者が私たち二人に提案する商品は、定期購入のオーダーメイドシューズだった。

やっぱり、すんなり帰らせてもらえないでしょ、という目で隣を見つめたが、彼女がこちらに顔を向けることはなかった。

そういえば以前にも、どこかで似たようなブースを目にしたことがあったと思い出す。

確かその時は、サプリメントか冷凍食品か何かの定期購入だったような気がする。

個人データの分析の後に、その人に合った食事を定期的に提供するというようなサービスだと想像したが。


そして今、説明が始まったこのシューズ。

個人に合った靴を提供するというだけではなく、年齢に合わせて今後予想される足腰の筋力のおとろえなどを加味して、姿勢やバランスの崩れを補正したり補助する機能があるそうだ。

ほおほお、と感情を込めずに担当者の営業トークを耳にしているうちに、目の前にサンプルシューズが一つ、二つと並び始めた。

なかなか外へと、抜け出せない雰囲気になってはいたが、この担当者のおどおどした感じが一生懸命さと紙一重で、どうも断り辛く、苦手である。

担当者がかすかに震える指でカタログをさした。やんわりと目で追う。

デザインは何十種類も展開されていて、ビジネスタイプからスポーツシューズ、スニーカータイプと幅広い。

不思議に思って尋ねると、どうやら過去に一般的に市販されていたものとデザインは全く同じでありつつ、その人その人に合わせた作りが提供できるのだという。

契約は一年からで、シューズの交換は最短で2カ月から受け付けているそうだ。

その交換の際には、使用済みの靴を送り返すことで、靴底の減り具合などからデータを更新して、また次回以降の顧客専用の靴へと活かされていく。


「一年二年といわず、3年後、5年後、10年後…と、足元から皆さまの健康を支えていきたい、という思いです!」


担当者はすんなりと返事できるような金額ではないにも関わらず、おくすることなく攻めてきた。


「一度でもこちら、履いていただきましたら、ご自身に合った靴を履くという良さがわかっていただけると思います。そうなるとですね…もうあとは本当に、費用の問題だけになってきます。

…で、ですね。定期購入の契約をこの場ですぐにというのも難しい話だと思いますので、キャンペーンを利用されてはいかがでしょうか、と思いまして。

このキャンペーンでは一度きりになってしまいますが。

オーダーメイドの靴をお客様につくらせていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか。

その靴を履いていただいた後で、定期契約はゆっくりと考えていただけたらと思います。

市販の靴と同程度のお値段ですので、一足、新しい靴を新調していただくと思って…」



彼女が面白そう、と口にしたので。

とりあえず彼女の分だけお願いしようと思い、担当者に告げると彼女がキミもやってみなよ、と誘ったので。

そんな、流れでそのキャンペーンとやらを利用することになったのだった。



 ー ー ー ー



手続きを終え、店を出るとすこし暗くなり始めていた。

さて帰ろうか、というところで、後ろのドアが開いた。

担当者が「あぁっ、」と何か思い出したかのように慌てて声をかけてきた。

まだ帰らせてもらえないのかと、辟易へきえきしてしまう。

担当者は、最後にちょっとだけアンケートに答えてほしいと言ってきた。

どうやら、ボックスで解析が終わった後に答えてもらうはずのアンケートをすっ飛ばし、営業トークに入ってしまったようだ。

おそらく商品券も、アンケートまでたどり着いた後に渡されるものだったのだろう。

そうだ。今ごろになってもらっていないことに気付いた。

しかたなく、彼女と並んで用紙にチェックマークを付けていく。

すると担当者が、申し訳なさそうに口を開いた。


「…あの、今回分析されたデータを使用し、例えばお二人の今後のお姿をモニターでご覧いただくことができますが、いかがですか?

…ほんとうはシューズの前にご紹介させていただく予定だったのですが、どうもまだ、この仕事に慣れていなくて…すみません…」


担当者から突然に発せられた、思いもしない言葉に、手元のアンケート用紙をみつめたまま、二人の手が止まった。

彼女が詳しい説明を求めた。

現状の老化の傾向けいこう、今後身体に現れてくるだろう不調、さらには大まかな寿命まで知ることが出来るのだと、担当者は語った。

僕たちは、その将来のお互いの姿を見ることにした。

担当者によると、将来の姿を見る人、見ない人の割合は半々だという。

思ったよりも少ない。

どうも、想像していたよりも現実的な映像にショックを受ける人もいるのだと、必ず事前に注意をするからだという。

彼女は、見せてください、とだけ言った。


モニターには今の二人が並んでいた。

そこから映像が移り行く。

お互いの顔、体にしわが増え、髪が薄くなり、彼女の顔にもシミが浮かび上がる。

最後に、前のめりに背丈が少し縮んだ、二人の全体像がモニターに浮かび上がった。


「もちろん、今後の生活で改善していただけるという、その可能性は十分にあります。

 …そうやっていけるように私たちは頑張っていきますから。

 ですので、これはほんの一例として受け取ってください」


モニターの見えないところから、担当者の言葉が降ってきた。

彼女の横顔を覗くと、一心に、その未来の二人をみつめていた。

僕たちはお礼を言って、その場を後にした。


ほんの一月前のことだった。

彼女は医師に余命を宣告されたのだった。

望めないはずの、未来の僕たちがそこにいた。


 


 ー ー ー ー


 


自宅までの、陽が沈んでしまった帰り道は言葉少なで、少しばかり会話を、時おり通り過ぎてゆく車と車の合間あいまに挟むだけだった。

家に着くと、彼女は久しぶりのお出かけで少し疲れたかな、と言ってキッチンのすぐ隣の部屋へと移り、身体を横にした。



「あたしはまた後で食べるから、キミはお腹すいたでしょ。

 冷蔵庫にさ、朝作ったスープとかがあるから、先に好きなのを、温めて食べて」


 


カチャカチャと、スプーンと食器が音を立てる。

その間にあるはずのものが、今日はあまり感じられない。

いつの間にか口にし始め、いつの間にか、それは消えてしまった。

彼女はベッドの中で、まだ起きているようだった。

時おり小さく鼻をすすったり、身体を撫でるような音が聞こえてくる。

食器洗いをしていると、今、この瞬間まで手にして濯いでいたはずの食器を、なぜかもう一度スポンジで磨き始めたりして、大した量もない食後の片づけが、今日はなかなか終わらないのであった。


すると、突然。

彼女が首をかしげていた僕の背中に向かって、ねぇ、と声をかけた。



「ねぇ。

 …でもさ。お医者さんはあたしに余命を伝えたけど、あの機械は未来を見せてくれた。

 それってさ、やっぱりその、可能性はゼロではないってことなんじゃないかな?」




気丈に振舞う彼女の声を耳にして、心臓が大きく高鳴った。

当然、覚悟なんて簡単にできるはずもない。

到底、諦めきれるはずもなかった。

行き場のない想いをため込んでいたところに、突然彼女が。

振り向けば、彼女がやさしい顔をして、そんなことを言うものだから、僕は思わず手を止め、外に出た。

人目もはばからず、大人になってはじめて声をあげて泣いた。


 


 ー ー ー ー



 


靴は担当者の言った通り、一週間で手元に届いた。

この先、何が起こるか。そんなことは誰にも分らない。

医者にも、コンピュータにも、そして僕たちにも。

嬉しそうに、真新まあたらしいシューズを履いて、病院へと向かう彼女の後ろ姿が、今そこにある。

なにものにも代えがたい瞬間が、一歩ずつついやされていく。

けれど彼女は、素知らぬ顔で僕を呼び寄せる。

僕に前を歩かせ、背中を押してきた。

そして、前へ前へと、力強く押しやるのだ。

振り返ろうとすると彼女がそれを拒んだ。

それから、笑いながら彼女が言った。



「まだまだキミと生きるよ、前へ前へ、」







 ー ー ー ー


妄想話でした。

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