愛する二人のために、ボクはこの手を赤く染めよう
木野裕喜
プロローグ 現実にオール●イトはいない
小学生の頃の夢は、正義の味方でした。
ワンパンで敵を粉砕する孤高のヒーローではなく、日曜朝の特撮と、その後の女児アニメに出てくる主人公たちのように、愛と勇気と使命に燃え、傷つきながらも悪者から世界を守る。男の子なら誰しもが憧れる、カッコイイ人間になりたいと思っていました。
「兄貴は頭いいくせに、どっかアホだよな。漫画の読みすぎじゃねーの?」
いつも冷めた意見を挟んでくるのは、ボクの最愛の弟です。
「
「永遠に待機でいいから。夢見がちもほどほどにしねーと、そのうち兄貴の方がいじめられちまうぞ。よく言われてるぜ。
「キャラ数が増えた時なんかは、誰の台詞なのか区別しやすくていいと思うんですけどね」
「キャラ数って、なんの話だよ」
歳は一つしか違わないとはいえ、弟に心配されてしまうとは、ボクも兄としてまだまだです。
学校のいじめと世界の危機ではスケールが違いすぎますが、小さなことからこつこつと。
異世界から小動物型インキュベーターが訪れることはないとしても、正義の秘密組織の目に留まるかもしれません。誘拐から問答無用で改造手術といった過激なパターンは遠慮したいですけれど、スカウトならいつでもウェルカムです。
そんな思惑とは裏腹に、特にいじめが発生することもなく、平和な小学生活が過ぎました。良いことなんですけどね。
そして中学に上がる頃、ボクは重大な事実に気づいてしまいました。
「ねえ一喜、ちょっと思ったんですが、もしかして、この世には正義の秘密組織なんて存在しないし、悪い怪人もいないのでは?」
「今さら」
なんてことでしょう。世界は残酷なまでにノンフィクションでした。
大前提が崩れてしまった以上、止むを得ません。
「ボクは将来、警察官か、消防士になろうと思います」
「ようこそ、現実世界へ」
どちらも正義の味方だと胸を張って言えるでしょう。世界を救うとまではいかないまでも、人々の暮らしを守ることに心臓を捧げた、限りなくボクの理想に近い職業です。
進む道を軌道修正したなら、あとは目標に向かって邁進するのみ。
しかし、またしてもボクの前に、ネズミ返しのように困難な壁がそそり立ちました。
高校に入学して間もない、体力測定を終えた後のことです。
「一喜、正直に答えてください」
自室で正座したボクは神妙な空気を作り、正面に敷いた座布団に一喜を座らせました。
「ボクって、運動神経ないですか?」
「控えめに言って、平均には遠く及ばねーな」
「控えめに言わなければ、どんな感じになりますか?」
「小学生以下」
「それはさすがに」
「幼稚園児並み」
まいりました。これでは凶悪犯を締め上げることも、火事場から逃げ遅れた人をレスキューすることもできません。
かくなる上は――。
「ボクはこれから、小説家を目指そうと思います」
「どうしてそうなった?」
「一喜、知っていますか? 現実にオール●イトはいないんですよ」
「いるわけねーだろ」
「ボクはちっぽけです。デコピンで空気砲を撃つこともできません」
「撃てる奴がいたら、むしろ見てみたいわ。どれくらいムキムキになりゃいいんだ」
「戸●呂100%くらいですかね」
「い●ご100%みたいに言うんじゃねーよ」
一喜にしては、なかなか良い返しをするじゃないですか。
「冗談です。ともかく、世界を救うとか、人々の暮らしを守るとか。ボクは、そんな大それたことができる器じゃありませんでした」
「そう結論を急ぐなよ。そりゃ、兄貴は現場向きじゃないかもしれねーけど、もっと他にやりようはあるだろ。キャリア官僚っていうの? なんなら警視総監とか目指したらいいじゃんか」
「わかっていませんねー。そういうのじゃないんですよ」
一喜が、目に見えてイラッとしました。
「えっとですね。ボクは今も昔も、正義の味方になりたいっていう気持ちは、少しもなくなっていないんです。でも、自分には、その力がないことがわかりました。だったらせめて、理想の自分が正義の味方として活躍するお話を書きたい。そう考えたんです」
漫画家にも心惹かれますけどね。ボクの場合はどちらかと言えば、小説家の方が、芽が出るチャンスはありそうな気がします。
「また妄想に行っちまうのかよ」
「不特定多数の人たちにとっての正義の味方を諦めただけですよ」
「じゃあ、何を諦めないんだ?」
「ごくごく小さな範囲、本当に大切な人たちを守ることだけに尽くそうと思います」
もちろん一喜だって、その一人です。他には父さんと母さん。
そして、もう一人。
この世には正義の秘密組織も怪人も存在しませんが、ボクたちにはヒロインがいます。
お隣の
一喜が産まれる前からの幼馴染で、ボクと同じ高校に通うクラスメイトでもあります。
そして多分――いえ、間違いなく、一喜は勇菜ちゃんのことが好きです。お兄ちゃんの目は誤魔化せません。温かく見守るつもりなので、茶化すような真似はしませんが。
「頼りないかもしれないですが、この手が届く限り、命に代えても守ってみせますよ」
「重」
お兄ちゃんの最高にイイ台詞に対する感想が、「重」ですか。
そこは「勇菜を守るのは、兄貴じゃねえ。この俺だ」くらい言ってほしいものです。
「命に代えてもとか、そういうのはいらねー。人間、死ぬときゃ死ぬんだ。余計な責任を負わされるくらいなら、潔く死んだ方がマシだっての。勇菜もそう思うだろ?」
一喜から話を振られた勇菜ちゃんは、ベッドの上で寝そべりながら、ボクの漫画を読みふけっています。ええ、最初からいました。自室のようなくつろぎっぷりです。
「私は死なないわ。祝人が守るもの」
某新世紀アニメに出てくる名台詞のようでいて、決定的に違う唯我独尊には残念ながらときめきませんでしたが、ヒロインにそう言われては、吐いた唾は飲めません。
お任せください。二人のことは、死ぬ気で守ってみせますとも。
決意を新たにし、それから一年が過ぎた高校二年生の夏。
……ボクは本当に死にました。
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