第150話 THE・死亡フラグ

「ぐっ、うっ……!?」


 下から爆風が突き上げ、合わせて爆音が耳をつんざいた。

 被害がこちらに及ばないように、オレたちを捕えていた触手の爆破は避けられていたけど、噴煙が立ち込める中、火の尾を引いてのたうち回る触手の影がいくつも見えた。痛覚があるのか知らないが、マザークラーゲンは確実に怯んでいる。

 触腕が海面を叩く轟音も止んだ。


 聖神せいかん隊の人たちは、意図的に触腕や触手を爆破していた。ダメージじゃなくて、マザークラーゲンの攻撃力低下を狙ったからだ。

 これによって、もう一つ――いや、二つの活路をもたらした。


 仲間を、拓斗を乗せた船がここまで辿り着くことができる。

 そして、海中で足止めされていた最大最強戦力が復活する。


 不意に、無くなった金玉が膀胱までせり上がってくるような気持ち悪い浮遊感に襲われた。熱波に煽られた拍子に、拘束が緩んで体が抜け落ちそうになったのだ。

 まずい。時間が経って、開いていた翼が収縮してしまっている。

 パストさんに支えてもら――おうと思ったが、そのパストさんが、今にも意識を放棄してしまいそうなほど憔悴していた。


「パストさん、どうしたんです!?」

「申し訳……ま、せん。魔力を……使い果たして……まい……」


 ふっ、と風の檻も消え、オレとパストさんは二人して空中に放り出された。

 周囲一帯が煙に巻かれているせいで、自分たちがどれくらいの高さにいるのか、落ちた先は海なのか、マザークラーゲンの上なのか、それすらわからない。


「パスト、さ……!!」


 せめてオレがクッションに。

 パストさんを胸に抱きかかえ、オレは自分の背中を下に向けた。

 そこまで高くはなかったのか、二秒に満たない自由落下の終わりは、ウォーターベッドのような弾力で迎えられた。海面じゃない。マザークラーゲンの傘の上だ。

 いくら柔らかいとは言え、ヒト一人抱えての着地には息が詰まった。


「リーチ様!?」

「ケホッ、平気、です……。パストさん、頭を低くして、煙を吸わないように」


 マザークラーゲンに発声器官は無い。それでもなんとなく、苦しんでいるのだとわかる。触手の大半を破壊した。主武器である触腕も四本中、二本を爆破していたと思う。文字どおり、ロドリコさんたちが捥ぎ取った捨て身の戦果だ。


 だけど、耳を澄ませても、誰の声も聞こえてこない。

 まさか、海に沈んでしまったのか。

 仲間の生死がわからないってことが、ここまで恐ろしいものだなんて。冗談抜きでチビりそうだ。ちゃん付けでもいい。姫呼びでもいい。誰か声を出してくれ。

 不安が顔に出ていたのか、パストさんが「大丈夫です」と力強く言った。


「あの威力に彼らが耐えられるのは、浜辺で実証されています」

「でも、海に落ちていたら!」

「それもご安心を。風の檻ほどの耐久力はありませんが、起爆した直後に、彼らを一人ずつ風の膜で包みました。気を失っていても、沈むことはありません」

「…………本当ですか」

「はい。おかげで、魔力が底を尽いてしまいました」


 表彰されてもおかしくない偉業を成し遂げておきながら、パストさんは、それを申し訳なさそうに言う。

 そんな彼女を、オレは力いっぱい、万感の思いを込めて抱き締めた。

 裸であることも忘れるほど。いや、それでも構わないと思うほど感激した。


「アナタって人は、どこまで有能なんですか!!」

「きょ、恐縮です」


 カッコイイのに可愛くて。頼もしいのに腰が低くて。

 惚れるわ。マジで。


「リ、リーチ様、そろそろ」

「と、そうですね」


 遅れて気恥ずかしくなり、慌ててパストさんから離れた。

 拓斗にしろ、ミノコにしろ、マザークラーゲンにトドメを刺すなら、オレたちがここにいては邪魔になる。すぐに脱出しないと。

 とはいえ、パストさんは満足に動けない。オレが運ばなくちゃ。

 すぐ近くまで来ている船に移ろうか。でも、パストさんは今裸だし。

 それとも、少し距離はあるけど、安全第一で岸まで移動した方がいいのか。


「ん、なんだ?」


 どちらに向かうべきか考えていると、上から雄叫びのような声が聞こえてきた。


「……ぁぁぁぁああああああああああああああああああああッ!!」


 雄叫びというよりも、これ、悲鳴と言った方が正しいかも。

 エリムだった。

 エリムが空から降って来た。


 ――親方、空からエリムが!!


 回避一択。

 あわや衝突というところで、オレとパストさんは身を翻してエリムをかわした。

 エリムは、ぼよん、ぼよよん、と何度か跳ね、豪快な着地を果たした。

 突然のことに、オレもパストさんも言葉を失った。


「……お二人とも、ご無事ですか!?」


 くい、と何事もなかったかのようにミニグラスの位置を直しているけど、今さらカッコつけても遅い。膝もまだ震えてるし。


「それはこっちの台詞だろ。てか、今の、どうやって飛んできたんだ?」

「タクトさんに投げてもらいました。彼が船で注意を引きつけてくれているうちにマザークラーゲンの急所に当たりをつけるのが僕の役目なんです」

「おお、エリムも活躍してるんだな」

「ま、まあ。船は戦いに巻き込まれそうなので、お二人は先に、岸に上がっているよう伝えに来たのと、あとこれ、巻いてください」


 着地してから一度もこっちを見ようとしない紳士なエリムが、バスタオルを二枚差し出してきた。それをパストさんと一枚ずつ受け取る。


「サンキュー。――これでよし、と」

「も、もういいですか?」

「いいぞ」

「なんにしても、お二人が無事でよくあああああああ!?」

「な、なんだ!? どうした!?」


 こっちを振り向いた途端、エリムが血を噴いた。

 がくりと膝をつき、顔を覆う手の隙間から、ぱたぱたと血が零れ落ちていく。

 吐血!? まさか、触手の攻撃を受けたのか!? どこだ!?

 追撃に警戒するが、周囲にそれらしい触手が見当たらない。


「あの、リーチ様、タオルは腰に巻きつけるのではなく、体に。その、胸が……」

「え? あ、そっか」


 つい癖で。

 てことは、エリムのそれ、いつもの鼻血なのか。ビビるだろうが。

 いそいそとタオルを体に巻き直すが、心なしか内股になってオレに背中を向けてしまっているエリムは耳まで真っ赤だ。


 そうか、見ちゃったのか。ご愁傷様だな。

 …………。


「あれ?」


 なんか変だ。顔がやたらと熱い。

 この感じ、まるで、パストさんにアソコを見られた時みたいな。

 それって、恥ずかしがってるってことか? オレが? 胸を見られたくらいで?

 なんで? 胸くらい、見られたところでなんともないはずだ。

 現に、さっきから胸を晒しまくってるけど、なんとも思わなかった。


 男に見られたから? いやいや、ないない。

 だって、拓斗に見られることを想像しても、気持ちにはなんの変化もない。

 聖神隊の人たちには……進んで見せようとは思わないけど、特になんとも。


 ……エリムだから?

 でも。

 でも。

 エリムには生乳どころか、出会った初日にもっと凄いところを見られている。

 それなのに、あの頃より、胸を見られただけの今の方が、ずっと恥ずかしい。


「見られちゃった……のか」


 オレは自然と、バスタオル越しに自分の胸を手で隠してしまっていた。


 やがて煙が晴れ、損傷したマザークラーゲンの姿が視認できるようになった。

 触手は目につく限りぼろぼろで、触腕も二本が根元で千切れている。残る二本のうち一本も、皮一枚で繋がっているような状態だ。

 その一本に向かって、船から誰かが飛び掛かった。

 ――拓斗だ。


「だらあああああッ!!」


 ただの蹴り。だけど、肉体強化が施されている分、威力は絶大。

 千切れかけだった触腕が完全に切断され、遠くでドボンッと落ちた。

 拓斗は器用に切断面に足を掛け、反動を利用。くるくると、派手な後方宙返りのパフォーマンスで離脱。再び船に着地した。


「い、いいぞ拓斗、ヒューヒュー、その調子だ!!」


 胸中に湧いた意味不明な感情を振り切るつもりで、拓斗に声援を飛ばした。

 ちゃんと届いたようで、これに拓斗がガッツポーズで応えている。

 残り一本。敵は満身創痍。もう勝ったも同然だろ。


「リーチさん、あの、いいですか?」

「あ、え? や、さっきのは忘れてくれよ。オレの不注意だった」

「そうではなくて、このクエストが終わったら」


 エリムが真っ直ぐオレを見ている気がする。

 対して、オレはエリムをまともに見ることができない。


「ク、クエストが終わったら、何?」

「リーチさんに、お伝えしたいことがあります」

「え、ええ? な、なんだろ。今じゃダメなのか?」


 ダメに決まってるだろ。戦闘中だぞ。オレは心中で自分にツッコんだ。

 わかっている。エリムが何を言おうとしているのか。

 わかっているから、オレはわざと会話を軽い調子へ持っていこうとした。


「落ち着いたところで言いたいんです。大事なことなので」


 だけど、エリムの雰囲気が、それを許してくれなかった。

〝この○○が終わったら〟とか、それ死亡フラグだから。そう言って茶化せよ。

 何を真面目に受け取ってるんだ。キモいって突き放せばいいだろ。

 そう思うのに、できない。なんで? 頭が茹る。目が回りそうだ。

 自分が頷いたのかどうかさえはっきりしない。


「僕は、もう少しこいつを調べてから船に戻ります。お二人は今のうちに」

「そ、そっか! 後は任せたぞ!」


 幸いとばかりに、オレはエリムから逃げるようにして背中に魔力を集中させた。

 これが最悪な失敗だった。

 もし時間を戻せるなら、オレはこの時の自分を殴ってでも止めただろう。


 勝ちを確信したせいで油断していた。

 触手の大半は使い物にならなくなったとは言え、全てを破壊したわけじゃない。

 少なくとも、オレたちを捕えていた触手は、無傷で今もどこかにいる。


 頭の中がぐちゃぐちゃになっているせいで失念していた。

 同じように翼を展開させた時、どうなったのか。

 加えて、パストさんは今、魔力を出していない。



「――リーチさん、危ないッ!!」



 当然、魔力に反応する触手はオレに向かって来る。

 背後で触手が動いた気配を察した瞬間、ドンッ! と肩を突き飛ばされた。

 じんじんと肩が痛む。けど、それだけだ。


 振り返ると、ホッとしたような顔でエリムがオレを見ていた。

 その口が、「よかった」と言ったような気がした。


 まただ。

 また、エリムが血を流している。

 だけど、さっきとは決定的に違う。


「……ごふっ!」


 エリムは、口から血を吐いていた。

 その胸からは深々と、先端がトゲになった触手が突き出ている。

 刹那の現実逃避か、オレは目の前で起きたことが理解できなかった。


「エリム? え?」


 胸を貫いたまま、触手がエリムの体を高々と釣り上げた。

 助けなきゃと思う反面、頭は信じようとしなかった。

 噓だよな。夢だよな。

 最後まで駆け寄ることができず、エリムが海へと放り捨てられても、オレはその光景を呆然と見つめていた。

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