第103話 絶望の予感

 ザイン・エレツィオーネ。

 冒険者で、この町の領主に雇われた傭兵だと思っていた。

 普通とは違う雰囲気を感じてはいたけど、それがまさか……。


「予定が狂うのう。小僧、すまんが、わちきは作戦会議のため一度店に戻りんす」

「え? あ、小僧って俺か。了解……」


 空を見上げていたロリサキュバスが唇を尖らせて言い、事態の急転に唖然としているギャラリーの間を縫うようにして戦線を離脱した。


「見よパスト。地を這う者たちの顔を。揃いも揃って呆けたような面をしておる。さては、我の煌々たる美を目の当たりにして言葉を失っているとみた」

「いえ。下半身を露出した男が突然空に現れたら誰だって絶句します」

「くく、が覇王に恐れ慄いたということか」

「ある意味正しいかと。ですが、覇者たる者が軽率に存在を誇示するのはいかがなものかと思います。ですので、私はパンツの着用を強く強く推奨します」

「ふむ。一理ある。至高の芸術には、それを開示するに相応しい時と場所がある。我の覇王にもそのことわりが適用されると、そう言いたいのだな?」

「パンツさえ穿いてくださるなら、もうそれで結構です」


 溜息交じりで頭を抱えるダークエルフの女をよそに、ザインはマントの内側から黒いパンツを取り出して足を通した。一応隠れはしたけど、鋭角なビキニは股間の膨らみをこれでもかと強調している。


「しかし、我の歓待ではないのなら、奴らは何をしているのだ?」

「どうも、騎士団がこの町に攻め入って来ているようです」

「何故だ?」

「理由まではわかりかねます。ザイン様以上の変た――自己主張の激しい全裸男が前線に立って騎士団と戦っているようなので、どうしても気になるようでしたら、直接うかがってみるのがよろしいかと」

「こんな町中で全裸だと? けしからんな」

「どの口が仰いますか」

「で、前立腺をおっ勃てて騎士団と高ぶっている全裸男というのはどこだ?」

「概ね正解ですが、高ぶっているのではなく、戦っている全裸男です」


 ダークエルフが俺を指差し、ザインの視線がそれを辿った。


「む、あやつは」

「知っている者なのですか?」

「うむ。再戦を誓い合った我の宿敵ライバルだ」

「ご同類でしたか」


 失礼なことを言われているが、何一つ言い返せねェ。

 俺に気づいたザインが、透明なエレベーターにでも乗っているみたいに地上へと降りて来た。ダークエルフの女もすぐ後ろに控えており、近くで俺の姿を見るや、ほんのり赤くなって目を背けてしまった。そんな態度を取られたら、なんだか急に恥ずかしくなってきたじゃねェか。


「タクトではないか。また会ったな」


 角と赤い瞳。人間の姿はフェイクだったってことか。

 ザインは旧知の友にでも話しかけるように気安く俺の名を呼んだ。


「お前……魔王って、マジでか?」

「いかにも。我こそが、万物の頂点に君臨する美の化身にして、最強の精力を誇る淫魔の中の淫魔。そして魔王である」


 魔王がついでみたいに聞こえンぞ。


「くくく、やはり我の目に狂いはなかった。天に挑まんとするかのように屹立したその益荒男ぶり、我の覇王と比肩する。称えよう。そして喜ぶがいい。我は貴様の股間に【升裸王ますらおう】の称号を授けよう」

「いらんわ!!」

「殊勝な奴よ。まだこの称号を受け取るにあたわんと申すか。その意識の高さに敬意を評する。さすがは宿敵ライバルよ」


 なんか知らんが、変態からの評価が上がってしまった。


「ンなことより、何しに来た?」

「愚問だな。魔王たる我がわざわざ足を運ぶ用など、転生者か女しかあるまい」


 転生者。

 女。


「まさか、目的は利一りいちか!?」

「ふ。女と口にしただけで真っ先にリーチの名が挙がるとは。さすがは我の寵愛を受けるに値する娘よ。そのとおり、我はリーチに会いに来た」


 こいつ、利一が転生者だって知らないのか。

 つーか、なんつった? 寵愛?


「聞き捨てならねェな。お前、利一とどういう関係だ?」

「我がリーチと過ごしたのは、たった一夜のことだ」

「い、一夜を過ごしただと!?」

「激しい夜だった。まさに男と女の戦いよ。この我が足腰立たなくなるまでイカされるなど、百余年生きてきて初めての経験であったわ。ふふ、あやつの乳首攻め、思い出すだけでも鳥肌が立つわ」


 ちょおおおお、利一、何やってンだァァァァ!?

 信じられねェ……。猥談ですら恥ずかしがって、ろくすっぽ乗ってこなかった、あの利一が……。女になって、早速いろいろヤっちまったってことなのか?

 乳首攻めって、相手の乳首を攻めたのか?

 それとも自分の乳首を使って攻めたのか!?

 どっちなんンだ!?


「察するに、タクトよ。貴様もリーチに恋慕しているようだな」

「は? いや、俺はそういうンじゃなく」

「安心しろ。リーチは処女だ。今はまだな」

「今はまだ? どういう意味だ?」

「今はまだ、我が一方的に想いを募らせているにすぎん。だが、本気になった我が落とせぬ女など、この世には存在せん。リーチの処女は、必ずや我がいただく」


 オイオイオイ。

 利一、お前、騎士団だけじゃなく、とんでもねェ奴に狙われてンじゃねェかよ。


「それにしても、同じ女を好くとはな。やはり我と貴様は戦う運命にあるようだ。覇王に流れる血が騒ぎおるわ。貴様もそうであろう?」


 こいつは変態だが、愚直なまでに紳士だ。そこは信用している。

 性格上、俺を出し抜いてリーチに手を出すような真似はしないだろう。

 ヤるなら、まずは俺と決着をつけてからにするはず。そういう筋は通す男だ。

 だったら――。


「り……利一の処女は……渡さねェぞ」

「くく、そうこなくては面白くない」


 無理に誤解は解かない方がイイ。矛先を俺に向ければ、一先ず利一は安全だ。

 けど、言ってて違和感がハンパねェ……。


「ところで、我からも問わせてもらいたい。タクト、貴様は騎士ではなかったか? その貴様が、何故騎士団と戦っている?」

「利一がサキュバスだってことは?」

「知っている。そして我はインキュバスだ。淫魔同士、理想の番いとなれよう」


 なるほどね。そこまでリーチに執心しているなら、この場に限って助けを請えるかもしれねェ。相手は魔王だが、選んでいられる状況じゃねェしな。


「騎士団は、その……あれだ。お、俺たちの愛する利一を討伐しようとしている。俺はそれを止めたい。手を貸してくれ」

「何? リーチを亡き者にしようとしているだと?」


 すぅ、とザインの双眸が細められ、人垣を作っている騎士たちに向けられた。

 凍てつくように鋭い。目を合わせただけで心臓を停止させてしまいそうだ。


「ま、魔王……。ついに、その風貌を晒したな……!!」


 ザインの殺気から部下を守るようにして、がくがくと膝を震わせながらアーガス騎士長が立ち上がった。俺から受けたダメージは全く抜けていない。


「なんだ、貴様は。我が同胞の末席に加わりたいのか?」


 そら、アーガス騎士長もパンツ一丁だけどさ。勧誘とかすンなよ?


「その者、騎士団の頭目と思われます。既に【升裸王ますらおう】に敗れていますが」


 ダークエルフの女が注釈を入れた。お願いですから定着させないでください。


「敵の首領か。ならば始末しても構わんな」

「その前に、間もなくここへ百名ほどの騎士が押し寄せてまいります。物の数ではありませんが、念のため、今のうちに増援を呼んでおくべきかと」

「そうさな。騎士団など興味は無いが、我が相手にせぬからと言って、あまり調子づかせてしまうのも煩わしい。この場に首領がいるのなら、まとめて始末するのが効率的か」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 始末って、そこまでは望ンで――」


 止める暇も無く、ザインの足場を中心にして大気が揺らいでいった。

 魔力を持たない俺でもわかる。とんでもない濃度の瘴気だ。

 そうして、さっきダークエルフの女が見せたのと同じ――いや、それよりも数段大きな亀裂が地面に走っていく。


「ザイン様がゲートを開かれるのですか? 不安ですね」

「我の座標固定が雑だとでも言いたいのか?」

「はい。見ていてハラハラするくらい雑です」

「正直な女よ。だが案ずるな。間違いなく【チジー霊原】と繋がっている」

「【チジー霊原】ですか。それはそれでまずいですね。あそこは今確か――」


 ザインとダークエルフの会話はそこで聞こえなくなった。

 キィィィ、と女の悲鳴のような甲高い声によって掻き消されてしまったからだ。


 俺はこの声を知っている。

 しかも、発せられている声は一つじゃない。

 五つ、六つ、下手すりゃそれ以上。


 冷たい汗が浮かぶ中、そいつらは地中より這い出て来た。

 忘れもしない。なんせ、俺が唯一戦ったことのあるモンスターだ。

 一匹一匹が4m級の巨躯。エイリアンを思わせる、悪魔的に禍々しいフォルム。



 ――ホログレムリン。



 五……六……七……。


「オイ……嘘だろ……何匹出てきやがるんだ」


 十……十一……十二……まだまだ出てくる。


「冗談きついぜ」


 地面の裂け目が閉じた時、一帯は連中の黒で染まっていた。


「……二十匹とか、悪い夢かよ」


 愕然とした。

 一匹で、騎士団一個小隊を容易に蹴散らしてしまう特級悪魔が二十匹。


「ヤベェ……」


 今度はホログレムリンたちの金切り声が、民衆のパニックによって掻き消えた。

 助けを請う? そんなレベルじゃねェだろ。


 確信にも似た予感がある。

 騎士団は今日、壊滅する。

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