第66話 天界人とラブドール
「……なんで鍵かけたんスか?」
「邪魔が入るといけないでしょう?」
他の転生者の情報を漏らすのは禁則事項だと言われた。
だから
「……なんで笑ってるんスか?」
「お楽しみの前には笑うものでしょう?」
扉を塞ぐようにして立つオネエサンは口の両端を吊り上げ、声を上げるでもなく笑っていた。その頭上にある非常灯の弱々しい明かりが、オネエサンの表情に影を作っている。軽くホラーだ。
俺はそこまで世間知らずでも鈍いわけでもない。ここまでの遣り取りを踏まえ、このオネエサンの目的がなんなのか、それくらいは想像できる。
「もしかして、ハメたんスか?」
「いいえ、ハメてもらうのは私です」
ヤベェ、喰われる。
「俺、未成年スよ? 十七歳スよ? 青少年保護育成条例って知ってます?」
「法というものはね、破るためにあるんですよ」
「ちょい悪でカッコイイ台詞っぽいけど、この法は破っちゃダメだろ」
「だったら代わりにコン●ームくらい破ったっていいじゃない!!」
逆ギレするかのように、穏やかだった雰囲気が一変した。
それはすぐ元に戻ったが、このオネエサンの本性を垣間見た気がした。
「だから、ね? お姉さんとイイことしましょう」
「……遠慮しときます」
「じゃあ、お姉さんとイケないことをしましょう」
言ってることは真逆なのに、ヤることは変わらない。日本語って不思議だ。
俺だって精力旺盛な年頃の男子だ。
初めては絶対好きな人と。なんて、そんな夢は見ちゃいない。童貞を捨てられるのなら、別に初対面の女性でもいい。それが年上の女性で、後腐れなくヤらさせてくれるなんて、むしろ願ったり叶ったりのラッキーイベントだと言える。
男の貞操観念なんてそんなもんだろ。
でも、このオネエサンだけは嫌だ。
何が嫌なのか言葉にしにくいけど、とにかく生理的にキツい。美人なのに。
一方的に喰われる。搾取される。そんなイメージしか湧いてこない。
「俺は外に出る。どいてくれ。どいてくれないなら無理やりにでも出る」
「力づく? そういうのも嫌いじゃありませんよ」
この部屋に来るまでにわかったことがある。
魂だけの状態にある俺は物に触ることができない。地面を踏みしめている感触も無い。透けた自分の体に触れようとしても、スカスカと空を掴むだけだった。
だけど、それなら幽霊みたいに扉や壁を素通りできるかもしれない。
強行突破だ。俺は強引にオネエサンの横を通ろうとした。
「なっ!?」
が、その肩をガシリと取り押さえられてしまう。
「驚いた顔をしてどうしました?」
「触れるのかよ……」
「私は天界人。魂に道を示す者。その私が魂に触れられないとでも?」
「ン、だよ、天界人って!?」
俺はオネエサンの手を振り払った。
そっちが俺に触れるなら、俺だってそっちに触れるはずだ。
後生大事にしているもンでもねェが、このオネエサンにくれてやる童貞はねェ。
俺は柔道よろしく、オネエサンの襟を取るつもりで手を伸ばした。
決して遅い動きじゃなかった。それなのに、オネエサンはいともあっさりと俺の手をはたき落してしまう。
「偶然……か?」
「ふふ、どうでしょう」
そこからはガムシャラに、両手を使って攻め続けた。
一度なら偶然で済ませた。だけど相手は、その全てを容易に捌いていった。
「ど、どんな反射神経してやがンだ。アンタ、何かやってんンか?」
「武術のことを言っていますか? いいえ、この程度のこと、天界人なら子供でもできますよ」
「だから、天界人ってなんなンだよ!?」
攻防の果てに、オネエサンが俺の両手首を掴んだ。今度は振り払えない。
くそ、肉体が無いからか、全然力を込められねェ。
「もう一度言いますが、天界人は魂に道を示す存在。その魂とは、アナタの暮らしていた世界のものに限ったことではありません。知的生命体以外は管轄外ですが、アナタの世界だけでも一日に召されてくる魂の数は十数万にも上ります。私たちが一日に扱う魂の数に比べ、天界人の数は極めて少ない。比率で言うなら百万分の一以下でしょうか」
「だったら、こんな所で油売っててイイのかよ」
「大丈夫ですよ。ちゃんとノルマはこなせますから」
「どうやって……」
「天界人と人間の違いを教えてあげましょうか?」
「ぜひ、お教え願いたいね」
会話の間に策を考えるというより、ただの強がりだった。
手の中にいる小鳥を愛でるように、オネエサンは「くふ」と笑みを零した。
「天界人の最たる特徴。それは脳の処理速度です」
「脳ときたか」
「アナタの動きを見て、どう対処するかを決定するまでにかかる時間がほぼゼロに等しいんですよ。人間にも脊髄反射があるでしょう? ですが、天界人のそれは、さらに、もっともっと速いんです。しかも、そこにちゃんと意識が介在している。凄いでしょう?」
「単純に、こなせる仕事量が驚異的だってことか」
コンピュータみてェな生き物だな、天界人。
「肉体の強さは人間と変わらないので、走る速さなどに違いはありませんけどね」
「どうせなら、天界人に転生させてほしかったね」
「私のようになりたいということですね。これはもう、気持ちが完全に通じ合ったという証拠ではないでしょうか」
「勘違いも甚だしいな」
「アナタこそ勘違いしていませんか? 私は
「考えられても困るっつの。だったらなんでこんな状況になってンだ?」
「これはただの肉欲です」
ダメだこいつ、早くなんとか――いやもう手遅れか。
「お友達のこと、教えてほしくはないんですか?」
「脅すつもりかよ?」
「人聞きの悪い。ギブアンドテイクですよ。転生者の情報は、前世のしがらみから完全に解放するという理由で、本当にシークレットなんですから」
どのみち俺は、天界人のオネエサンから逃げられない。選択肢なんて他に無い。
「シークレットだろうが、洗いざらい話してもらうからな。いや、最初にこれだけ教えておいてもらう。
「ふふ、いいでしょう。答えてさしあげます。アナタのご友人は異世界に転生されました。でーすーがー、少しばかり複雑な転生の仕方をされましたので、向こうで再会できるかはわかりませんねえ。いや多分無理ですねえ。なんせ、新しい肉体に入ると外見も別人に変わってしまうわけですしぃ? もっとも、私の情報があれば別ですがー?」
「くっ、足下見やがって……」
複雑な転生の仕方ってなんだ? 利一は無事なんだろうな。
会いてェ。会って無事な姿を見てェ。
「……いいだろう。俺の童貞はくれてやる」
「ぬふ。筆おろし、させていただきマス」
「訊くけど、こんな魂しかない状態で、その……ヤれんのか?」
「無理ですね。魂は魂、実体がありません。そのため血も通っていない。つまり」
「つまり?」
「勃起できません」
ああ、海綿体の話ね。そりゃ無理だ……。
「ですが、心配ご無用ゴムは不要。ちゃんと下準備はしてあります」
それって、未成年を密室に連れ込んで喰っちまおうっていう犯罪の下準備だろうがよ。得意げに言うことか。
オネエサンは扉から離れ、部屋の隅に一つだけあるロッカーの前に移動した。
今なら逃げられるんじゃ?
そんな考えが過るが、逃げたら利一の情報が得られない。そう思い直した。
「紹介します。私の夜の恋人――ラブドル君です」
そう言って、オネエサンがロッカーを勢いよく開け放った。
「うおわっ!?」
中に全裸の男が入っていた。
「ふふ、人形ですよ」
「に、人形? それが人形なのか?」
夜の恋人って、もしかしなくても……
アソコがギンギンにいきり立っている。
「ビックリしたようですね」
「こんなもんを仕事場に持ち込んでるアンタのイカレ具合にな」
安っぽいビニール製なんかじゃなく、質感から産毛から、何から何まで精巧に作られており、今にも動き出しそうなくらい、恐ろしいほどリアルだ。
「匠の技を感じさせる見事な造りでしょう。ボーナス払いの二十年ローンです」
アホがおる。
「で、どうしてその高級な人形がここにあるンだ?」
「この人形の凄いところは、体の構造が、臓器を含めて私たち天界人と全く同じだというところにあります。内側にも凝っているんですよ」
「愛玩人形(ラブドール)なのに、内側に凝る意味あんンか?」
「見えない部分にまでこだわる。だからこそ、そこに愛が生まれるんです」
「さいで」
「ただ、人形なので、当然のことながら魂は入っていません。体温もありません。射精だってできません。あくまでも、ただの人形です」
ここでオネエサンが、俺に目配せしてリアクションを求めた。
私の言いたいことがわかりますか? 目がそう言っている。
「……俺に、その人形の中に入れって言いてェのか?」
「ご名答」
にやり、とオネエサンは嬉しそうに、ただしゾッとする笑みを浮かべた。
「
そして犯行に及んだと。
言われてみれば、このラブドル君、俺と似ている。顔の造りは違うけど、いつも脱衣所の鏡で見る自分の体型とダブる。ギンギンなところ以外は。
「さあ、時間が惜しいです。ラブドル君に体を重ねてください。よかったですね。図らずも、アナタは天界人が持つ感覚を体感できますよ」
俺は観念し、ロッカーにすっぽりと収まっている
「……尻に硬い物が当たるンだが」
「慣れると病みつきになりますよ」
なってたまるか。
「では、目を閉じていてください。私の天界エネルギーで魂を押し込みます」
「やるならちゃんとやってくれよ。失敗して、魂消滅なんてのは勘弁だぜ」
「こう見えて、私は定時までなら有能職員だという評価をいただいています。よく言われるんですよ。お一人でも生きていけそうですねって。ふふ、発狂」
「ご、御愁傷様」
目を閉じると、すぐに、オネエサンが手を添えている股間の辺りに温かいものを感じるようになった。つーか、なんでそこよ!? まるで、他の部分は失敗したっていいから、とにかくここだけは――!! そんな願いが込められているかのようだ。
魂が入ったことがスイッチとなり、心臓が鼓動を始める。
血が全身へと行き渡り、感覚が生まれる。
頼りなく不安定だった体が、しっかりとした重さと形を伴っていった。
「よし、できましたよ。どうです?」
カーテン一枚を隔てていたような聴覚が、鮮明な音を捉えた。
ゆっくりと目蓋を開けていく。
俺の体は完全にロッカーに収まっていた。さっきまでラブドル君がいた位置だ。
頭が妙にクリアなのは、体の構造が天界人のそれになったからだろうか。
「悪くない気分だ」
自分で発した声なのに、聞き覚えの無い声だった。声帯が前とは別物だからだ。
「ようやく、この時が……」
オネエサンが、長く別れていた恋人との再会を果たしたかのように、全裸の俺にそっと体を寄せてきた。
「口約束はしたけど、やっぱり規則だから情報は教えられない、なんて後になって言われるのは御免だからな。悪いが、ヤりながら話してもらうぜ」
「構いませんよ。ピロートークはお手の物です」
「そんな情緒のあるもんじゃねェよ。いいから答えてくれ。座標がどうのと言ってたけど、俺は利一と同じ場所で転生できるのか?」
「先に、ぎゅっと抱き締めて」
「~~~~~~っ」
仕方なく、俺はオネエサンの背中に手を回し、言われたとおりに抱きしめた。
「ああ、イイわあ。動いて喋るラブドル君イイわあ。この日をどれだけ待ちわびたことか。ま●●を濡らす夜をどれだけ過ごしたことか」
「答えろよ」
「はいはい。アナタの転生座標はまだ固定していませんけど、【ラバン】国内であることは間違いありませんよ」
「利一も、その国内にいるのか?」
「ええ。生きていれば、どこかの町にでもいるんじゃないでしょうか」
生きていればってなんだ。あいつ、死ぬ危険があるような所に送られたのかよ。
「次の質問だ。あいつも人間に転生したのか?」
「ふふ、それがですね、面白いことに――と、これはアナタが童貞を卒業してからにしましょう。驚きのあまり、思わず発射するかもしれませんね。バッチコイ」
「俺は童貞だ。正しい手順なんてわからねェぞ」
「私に全てを任せてくれればいいですよ。じゅるじゅる」
「…………もう好きにしてくれ」
「では、そちらのソファーに。ぬふふふ」
いよいよか。
まさか、こんな風に初体験を済ませることになるなんて。
こんなんじゃ、胸張って利一に自慢しようがねェな。
オネエサンが、自分のブラウスのボタンを外し始めた。
と、その時だった。
ガチャガチャ、ガチャガチャ!
扉のノブを回そうとする音が。
その誰かは合鍵を持って来ていたらしく、直ちに開錠された。
扉が開かれると、慌てた様子の男性が部屋に飛び込んできた。
「――何をしているのかね!?」
「か、課長……!?」
オネエサンの上司か。五十代半ばくらいで、髪はバーコードになっている。
「君が少年の魂を連れて行くのを見たという報告を受け、もしやと思ったが!」
「ぎ、ぎぎぎぎぃ、もう少し……もう少しだったのにぃぃ……」
「馬鹿な真似はやめなさい! それ以上は、減給では済まされないぞ!」
それ以上はっていうか、この時点でバレたら懲戒免職だろうよ。
そんな心配は頭に無いのか、親の仇を見るような目を上司に向けるオネエサンがぐるると獣みたいな唸り声を上げ、前傾姿勢を取った。
「な、何をするつもりだ!? よすんだ! わたしは上司だぞ!?」
「じゃましなきぇ~~~きぇ~~~~っ!!」
「う、うおおおお、我を失っている!? 正気に戻ってくれ!」
課長サンに襲い掛かったオネエサンが、彼の薄くなった頭に爪を立てた。
「そ、そこの君、転生予定にあった子だね!? 早く、今のうちに転生してくれ!」
「え、どうやって?」
「私が送るから!」
オネエサンに髪の毛をむしられながらも、課長サンが俺に右手をかざした。
すると足下に、魔方陣のような光のサークルが出現した。
「悪いが、座標は固定できない! ランダム転送になるが、許してくれ!」
「や、でも、新しい体はまだ作られていないって」
「どこから用意したのかは知らないが、その肉体でも魂は非常に安定している! そのまま行ってくれ!」
「そのままって、全裸なんスけど?」
「すまんが、用意している時間は無い! 現地で調達してくれ!」
「マジか!? それよか、俺まだ、そのオネエサンに訊かなきゃならないことが」
「本当にすまない! 君の異世界生活に天界神の加護のあらんことを!」
「え、ちょ、嘘だろ!?」
「きえええええ! お●んぽきぃぃえええええええ!」
飢えた野獣と化したオネエサンが、今度は俺に飛び掛かろうとしている。
それを課長サンが必死に食い止めている。
だんだんと足下から噴き出る光が量を増し、視界を覆い隠していった。
それに合わせて奇声も遠くなっていく。
奇妙な浮遊感に包まれたかと思うと、俺の意識はそこでぷつりと途切れた。
こうして俺は、オネエサンの
全裸で。
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