第64話 今のオレにできること★

「ひぇッ!?」


 客へ持って行くドリンクを、バーカウンター越しにスミレナさんから受け取ろうとした時、唐突に背中を指でなぞられたみたいなおぞましい感覚に襲われ、オレは小さな悲鳴を上げた。


「どうかしたの?」

「……なんか、急に寒気がして」

「あらあら、誰かがリーチちゃんで、イケない想像でもしているのかしらね」


 ありえすぎて笑えない。

 スミレナさんの一言にげんなりしながら、ドリンクを客席へと運んで行く。


 町の人のほとんどがオレの正体を知っているけど、別の土地から店を訪れる人もいないわけじゃないので、これまでのように髪を上げて角を隠し、翼も小さくして服の中に収まっている。

 ああ、そういや、レベルが8になったことで、たけのこの里くらいだった角が、とんがりコーンほどの大きさになった。微妙なサイズアップだ。


「お待たせしました」

「あれれー、こんなの頼んだかなあ? リーチちゃん、これはなんていうお酒?」


 白々しく言う男性客の、期待に満ちた眼差しに殺意を催す。

 客のテーブルに置いたドリンクはベージュ色をしており、何を隠そう、本日から店に出すようになったスミレナさんの新作だ。


 和解したばかりのカストレータ領主から、早速コーヒー豆を卸してもらって焙煎ばいせんし、スミレナさんが今日のために用意していた材料――氷砂糖やらアルコールやらを使ったものとを混ぜ合わせる。しばらくしてコーヒーを取り除いた液体と、オレがミノコからしぼった牛乳を一定の割合でブレンドし、完成。

 その名も、


「リ……【リーチのしぼりたてミルク】……です」


 スミレナさん命名。

 結論から言うと、大好評だった。

 それはもう飛ぶように注文がくる。二十ほどあるテーブルには、必ず二つ三つ、この酒の入ったグラスが置かれている。

 アルコール度数は8%。乾杯によく注文される【ラバンエール】は5%なので、比べると少し高めだが、飲み口は軽くて甘く、ついつい飲みすぎてしまうほどだ。女性客にも大変喜んでもらえている。


 おかげで、ミノコの食糧事情は完全に解決したと考えていいだろう。

 自宅でも牛乳を飲みたいという人もいるため、販売はもちろんのこと、食材との物々交換にも応じている。食おうと思えば底なしに食える上、それに合わせて乳も無限にしぼれるんだから、乳牛としてもつくづくチートだ。


 ついでに言うと、カストレータ領主の経営する、ちょっぴりハイソな喫茶店にも牛乳を卸すことになった。この世界では、もっぱらブラックでしか飲まれていなかったコーヒーだけど、これでより多くの人に広まるんじゃないだろうか。

 加えて、コーヒー牛乳という飲み物も誕生した。オレがさせました。

 まだ売り出し初日にもかかわらず、カストレータ領主の店で一躍人気の看板商品になることは間違いなしだそうで、勧めたオレも鼻が高かった。


 でだ。

【リーチのしぼりたてミルク】――この新商品のおかげで、男性に大きく傾いていた客層も、いくらかならせるのではないかと思われ……いや、どうだろう。


「じぃ」

「あ、あの、そんな見ないでください……」


 この酒を飲んでいる客、特に男性客の視線が胸に突き刺さる。

 グラスをあおる時、客は必ずと言っていいほどオレの胸部を凝視してくるのだ。

 今も、恵方巻きイベント開催中? てなくらいの数に晒されている。


 トレイで胸を隠し、客のテーブルから逃げるようにしてカウンターに戻るなり、オレはスミレナさんに抗議した。


「やっぱりこの名前やめません!? お客さんたち、絶対変なこと考えてますよ!?」

「変なことって何かしら? ちゃんと言ってくれないとわからないわ」

「スミレナさんまで!? 言わせたいだけでしょう!?」

「リーチちゃんが夕方にミノコちゃんからしぼったミルクを使っているわけだし、リーチのしぼりたてミルクで間違ってはいないと思うわよ?」

「倫理的に間違ってるんです!」

「リーチちゃんだって、最初は乗り気だったじゃない」

「そ、それは……商品に自分の名前を入れてもらえるなんて光栄だなって……それしか考えてなかったからで……」


 リーチちゃんって、母乳が出るの?

 客の一人が言ったこの台詞で、オレはようやく全てを理解した。


「アタシもね、実は冗談でつけたのよ。だけど、思いのほかリーチちゃんが喜んだものだから、途中で言い出せなくて」

「あ、こいつわかってないなって思ったなら、言っておいてほしかったです!」

「でもねえ、こうして一度売り出しちゃったわけだし」

「ならせめて、オレの名前だけ取るか、ローテーションにしてください!」

「ローテーション?」

「明日はスミレナさんの、明後日はエリムの、みたいにです!」


 オレだけこんな視線に晒されるなんて不公平だ。


「エリムのって……。リーチちゃん、このお店を潰す気?」

「オレの名前がアリなら、【エリムのしぼりたてミルク】だってアリです!」

「大事なのは、お客さんがそれを飲みたいと思うかどうかよ?」

「思います! オレが未成年じゃなければ絶対注文します! あー飲みたいなー! 【エリムのしぼりたてミルク】飲みたいなー! 超飲みたーい!」

「リーチちゃん、必死なのはわかるけど、そのくらいにしておきましょ。エリムが前屈みになっちゃって仕事にならないわ。あと、『サキュバスってそうなのか!?』みたいな目をしてこっちを見ている男性客が何人かいるから声を抑えて」

「だって……ぅぅぅ……」

「わかったってば。そんな泣きそうな顔しないで。さすがに罪悪感が……」


 視線だけでなく、オレに酒の名前を言わせたり、聞かせて反応を面白がったり。

 中には、ここでしぼってみてくれない? などとぬかす輩までいる。

 これをセクハラと言わず、なんと言う。


「ごめんなさい。でもね、アタシもフザケていたわけじゃないの。リーチちゃんのためを思ってのことだったのよ」

「冗談でつけたって、さっき言いませんでしたっけ?」

「そんなはずないじゃない。よく考えて。アタシが冗談でもリーチちゃんが嫌がるようなことをする人間に見える? それを楽しんでると思う?」

「見えます。思います」

「それはともかくとして」


 たくましいな。


「リーチちゃんは、まだこの世界に来て日も浅い。生まれ変わった自分の身体(からだ)にはだいぶ慣れてきたみたいだけど、他者からのアプローチには慌てふためくばかりでてんで耐性が無いわ。その自覚はあるかしら?」

「……まあ」

「近くに味方がいる時ならフォローのしようもあるけれど、もしそうでなければ、リーチちゃんは為すすべなく、相手のいいようにされてしまうかもしれない」

「だ、大丈夫ですよ。いざとなったら、オレには【一触即発クイック・ファイア】が」

「バカ! 相手がいつでも力技で来るとは限らないのよ。言葉巧みにそそのかしてくる詐欺師みたいな輩だっているんだから。それに相手が女だったら、その時点でリーチちゃんは何もできないでしょう。違う?」

「……違いません」


 オレの筋力は並の女性か、下手すりゃそれ以下。スミレナさんやマリーさんに、手も足も出ないのだから泣きたくなる。


「それを思うとゾッとするわ。だからこそアタシは心を鬼にして、リーチちゃんにセクハラまがいのことを経験させてでも、その耐性とあしらい方を学んでもらいたいと考えているの。アタシは……リーチちゃんのことが心配なのよ……」


 そこまで言って、スミレナさんが辛そうに唇を噛み、顔を伏せた。

 感情が高ぶってしまったのか、すっと目尻を手の甲で拭っている。

 その仕草を見て、ズキン、と胸が痛んだ。


「そんなにも……オレのことを……」


 気づけなかった。

 オレのために、オレ以上に心を痛めている人がいたなんて。


「ご、ごめんなさ――……スミレナさん、泣かないでください」

「わかって……くれたの?」

「オレが間違っていました。心配してくれていたんですね」

「ええ。(ちょろすぎて)本当に心配だわ」


 乾いたのか、もう涙は出ていなかった。早いな。


「オレ、スミレナさんのことを誤解してたみたいです」

「いいのよ。間違いは誰にだってあるわ。大切なのは、間違いに気づいた後でどうするか。これからの成長に期待しているわよ」

「はい! こんなことくらい、屁でもないって言えるように強くなります!」


 きっと、エリムもスミレナさんと同じことを考えてくれているだろう。

 ありがたい。オレは本当に果報者だ。感謝の気持ちを言葉で伝えようとすると、エリムは何故か、可哀想な子を見るような目でオレを見ていた。


「どした?」

「あ、いえ。ええと、頑張ってください」

「おう、サンキューな!」

「病み上がりなんですから、無理はしないでくださいね」

「大丈夫。このとおり、すっかり全快だ」


 ビシッ、と力強いピースサインで完全回復をアピールした。

 なのに、エリムがぽかんとした顔で首を傾げてしまう。


「それって、どういうサインなんですか?」

「え? ピースサイン知らないのか? 絶好調とか、勝利とか」

「僕は初めて見ましたね。親指を一本立てるサインなら知っていますけど」


 なんだ。この世界にはピースサインがないのか。


 ……でも、あれ?

 どこかで。この世界に来てから、誰かがしているのを見たような。


「あ、リーチさん、お客さんが入って来ましたよ」

「おっと、仕事仕事」


 まあいいか。それより目の前のことに集中だ。


 現在のところ、王都がどう動くのかという情報は入って来ていない。

 それに拓斗たくと――転生者が現れたという噂も聞かない。


 不安は山積みだけど、今のオレにできるのは、毎日を精一杯生きることだけ。

 さあ、元気に笑顔で接客だ。


「いらっしゃいませ。酒場【オーパブ】へようこそ!」


                          第一部 完

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