第51話 戦う決意

 間もなく日付も変わろうという時分、オレは薄暗くした自室のベッドに腰掛け、ぼんやりと自分のステータスを眺めていた。


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【リーチ・ホールライン】

レベル:7(44/64)

種族:サキュバス

年齢:17

職名:酒場の看板娘

特能:一触即発クイック・ファイア

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 今日は店が休みなせいか、経験値は朝に確認した時からあまり増えていない。

 あまりというだけで、増えていないわけじゃない。どこの誰だよ。


 まだまだ貯蔵魔力は満タン以上にある。

 こんな状態でレベル8に上がってしまうのは危険だ。早く魔力を消費しないと。

 経験値を提供してくれやがった人数が、累計百人を超えていることには触れず、オレは職名の項目に目を移した。


「酒場の看板娘か……」


 これを名乗れるのも今日までだろうな。

 最初は〝娘〟の字が入ってるだけで嫌だったけど、一週間もメイド服を着て仕事をしているうちに慣れてしまっただけじゃなく、今度は〝看板〟の字が入っていることに誇りを持つようになっていった。

 それだけ仕事に必死で、真剣で、がむしゃらだった。


 この世界でミノコと生きていくために。

 世話になった人たちに恩を返すために。

 引きこもりだった自分を変えるために。


 理由はなんであれ、仕事にやりがいを感じるようになってきていた。

 自分でも、店の戦力として自信を持ってもいいんじゃないかと思い始めていた。


 文字だって、店のメニューだけなら、かなり書けるようになったんだ。

 エリムに教わって毎日書き取りの練習をした。口頭ではなく、自分の書いた字で注文を通せた時は、それはそれは嬉しかった。


 客たちも、経験値に関する点を除けば、ほとんどが気のいい人たちだった。

 酔っ払った男性客のセクハラは鬱陶しかったけど、三日目からスミレナさんが、店の壁に〝店員へのおさわり禁止。一回につき、罰金5,000リコ也〟の注意書きを貼ってくれた。


 でも逆にセクハラは増えた。

 5,000リコは、高すぎず、安すぎず、ぎりぎり払ってもいいかな、と思えなくもない金額だった。四日目からは、5,000リコ払えば一回セクハラしてもいいんだと勘違いした客が増えて大変だった。


 スミレナさんが睨み一つで収拾してくれることもあれば、エリムが出て来て返り討ちにあったり、他の女性客が助けてくれることもあった。

 なんかオレって、年上の女性に好かれるらしい。好かれるというか、オモチャにしやすいらしい。これはよくわからないんだけど、エリムとオレの遣り取りが特に上等な酒の肴になるんだとか。


 酒が入ると、客はいろいろな顔を見せた。急に泣き出す人もいれば、脈絡もなく自分語りを始める人もいた。酔わない人でも、一日の愚痴を淡々と吐き出したり。

 それでも店を出る頃になると、客たちは皆、笑顔になっていた。

【オーパブ】は、訪れる客を笑顔にできる空間だった。

 毎日振り回されるのは疲れるけど、そんな客たちに、「ありがとうございました。またお越しください」と言うのがオレは好きだった。「また来るよ」と返してもらえるのが、たまらなく嬉しかった。


「楽しかったなあ……」


 仕事を始めた日からの一日一日を順に思い出していくと、ぼろぼろと大粒の涙が零れ出てきた。ほんの一瞬だったけど、前世も含めたオレの人生の中で間違いなく一番充実していた。


 新しく友達ができた。

 尊敬する人たちもできた。

 サキュバスなんていう魔物にされたけど、それでも転生してきてよかった。

 たとえわずかであっても、彼らと過ごした時間は、そう思えるくらいオレの中で宝物になった。


「ごめんなさい」


 そんな人たちの日常を、オレは壊してしまった。

 オレがいなければ、こんな事態にはならなかった。

 カストール領主のヘイトはオレじゃなく、最初からスミレナさん一人に向けられていたけど、オレがいたから敵に付け入る隙を与えてしまった。

 オレがこの町に、この店に来さえしなければ、何事もなくスミレナさんは領主を適当にあしらい、平和な空間を維持していたはずだ。


「オレなんかを……匿ったせいで」


 責任を取らなくちゃいけない。

 オレはステータスを消し、ベッドから立ち上がった。

 蝶々結びにしてあった腰のリボンを解き、肩から白いエプロンドレスを抜いて、床にぱさりと落とした。続けて黒いワンピース。これの背中についているボタンも全て外していき、脱ぎ落とす。

 ニーソックスも脱ぎ、下着姿になったオレは、それらをベッドの上で畳んだ。


 この服は目立つし、何より【オーパブ】での思い出が染み込みすぎている。

 これから行うことで、物理的、精神的に汚すような真似はしたくはない。


 転生してきた時に着ていた白いワンピースに着替えている途中で、ふとエリムのことを思い浮かべた。


「エリムには、もう会えないな」


 てことは、あいつの作ってくれる美味い料理も、もう食べられないのか。

 ……やべ、また泣きそう。

 首を通すと同時に上を向き、涙を飲み込んだ。


 最後に一言挨拶しておきたかったけれど、そんなことをすれば、あいつは平然と危険に飛び込んでしまう。弱いくせに、正義感だけは人一倍強い奴だから。

 いきなり女が居候してしまって、肩身の狭い思いをさせてしまっただろう。

 オレが元男だって打ち明けていれば、そんな遠慮をさせることもなかったと思うんだけど。結局、秘密にしたままになってしまった。

 とにかく、明日からは思う存分、一日三回だろうが、五回だろうが、好きなだけ励んでくれ。でも、オレでするのだけはやめてくれな。


 白いワンピースに着替え終えたオレは、肩甲骨の辺りに力を入れ、翼が外に出ていることを確かめた。同様に、結わえていた髪を下ろし、小さな角も晒け出す。

 これで誰が見ても、オレは人外の存在だとわかる。


「エリムを魅了し、スミレナさんを脅してこの家に居座った悪い魔物の完成っと」


 言い聞かせるようにして、自分の姿を確認した。

 果たして何人が、そう思ってくれるだろうか。でも、やっておかないとな。

 スミレナさんたちにかかる迷惑は、少しでも取り除いておきたい。


 今も店の前ではギリコさんが番をしてくれている。

 オレが寝入っても、エリムが帰ってきても、朝になっても、スミレナさんが戻るまで、彼は不眠不休で警護を続けるつもりなんだろう。


「ついて来てほしいって言ったら、なんて言われるかな」


 馬鹿なことを考えてはいけないのである。そう言って、止められるだろうな。

 それでも行くって言ったら、きっと最後にはついて来てくれるだろう。

 そんな優しい人だからこそ、これ以上巻き込むわけにはいかない。

 オレはギリコさんに、建物を隔てて謝罪と感謝から頭を下げ、悟られないように扉からではなく、薄桃色のカーテンを引いた窓を伝って外に出た。


 ケジメだけはつけなきゃいけない。

 オレの手で全部終わらせる。

 全部終わらせて、そしたら――……。



「……町を出よう」



 身に染みてわかった。オレがいると、余計な波風を立ててしまう。

 呟いた後、今日までに会った、たくさんの人たちの顔が頭に思い浮かんできた。

 変な人も多いけど、それでもいい人たちばかりだった。

【メイローク】は、本当に素敵な町だった。

 この町の人たちに、オレは胸を張って「大好きです」と言える。


 ――ただ一人を除いて。


「……待っていろよ、チ●カス領主。今からかたをつけに行ってやる」


 たとえ、忌み嫌っていたサキュバスの力を揮おうとも。

 絶対にスミレナさんを無事に取り返す。

 そして、思わず人生を振り返ってしまうくらい、自分の行いを後悔させてやる。


 戦う決意をしたオレは、暗く静まり返った夜の町をひた走った。

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