第50話 最低最悪のビチグソチ〇カス野郎だ

「こちら、先日、わたしの私兵団に入っていただいた、グンジョー・マツナガさんです。お知り合いなのだとか?」

「よう、お嬢ちゃん。こないだは世話になったな」


 瞬時に理解した。

 絶対に知られてはならない弱みを、敵に知られてしまったのだと。


「まさかあのまま、クソガキの店に住みついていやがったとはなあ」

「ふぅむ。パッと見ではわかりませんが、生えているんですかぁ?」

「服と髪で上手く隠してるんですよ」


 左目に眼帯をした、ちょびヒゲのグンジョーが無遠慮に近づいてきた。


「またえらく可愛らしい格好をしてやがるな」


 カストール領主に角を見せるつもりか、ぬぅっとオレの頭に手を伸ばしてくる。


「あ」


 咄嗟に体を硬直させてしまい、払いのけるという選択肢を失ってしまう。

 しかし、グンジョーの手はオレに届かなかった。

 それより早く、別の影が間に割って入っていた。


「ああ? なんだ、トカゲ野郎」


 オレを背に庇うようにして立ったのは、ギリコさんだ。


「女人に気安く手を触れようとするのは感心しないのである」

「人間様に意見か? コラ、痛い目に遭いてえのか?」


 ガラの悪いチンピラのような脅しにも怯むことなく、ギリコさんは、真っ向からグンジョーの睨みを受け止めている。


「グンジョーさん、こんな往来で揉め事はやめてくださいよぉ?」

「あー、それもそうですね。すんません」


 苛立ちの矛をひとまず収めたグンジョーの視線が、ギリコさんの後ろにいるオレに投げられた。その目が言っている。楽しみは後に取っておこうと。


「トカゲ野郎、命拾いしたな」


 ギリコさんは何も言い返さず、ただ連中をオレに近づけまいとしている。


「お嬢さん、店長さんは中にいらっしゃいますよねぇ? お邪魔しますよぉ」


 許可を求めるつもりもないらしく、カストール領主が勝手に店へ入っていく。

 ゲスな笑みを張りつけたグンジョーも、それに続いた。


「リーチ殿、小生しょうせいたちも中へ」

「……はい」


 死刑執行を言い渡される前の囚人みたいな気持ちだった。

 ギリコさんと一緒に店に入ると、既にスミレナさんは臨戦態勢になっていた。


「こんばんは、領主さん。表の札には〝閉店〟と書かれていたはずだけど、文字が読めなかったのかしら?」


 敵に向ける、どこまでも冷え切った目に変わっている。

 オレは、この目をしたスミレナさんが嫌だ。

 優しいスミレナさんに、こんな目をさせるカストール領主が大嫌いだ。


「ば、化け物も一緒かよ! 領主さん、あれは危険だぜ! 近づいちゃダメだ!」


 ミノコが中にいたのは想定外だったのか、グンジョーが目に見えて慌て出した。


「みっともないですねぇ。もっとどっしりと構えていてくださいよぉ。心配しなくても、こんな所で騒ぎは起こせません。起こす必要もありません。わたしたちは、今後の話し合いに来たんですからねぇ。んふふふ」


 オレとギリコさんは、入り口前に突っ立って不気味に笑うカストール領主を迂回して、スミレナさんに合流した。


「なんとなく状況はわかるわ。バレちゃったのね?」

「ヒゲの方……森で会った冒険者です……」

「そういうこと。それはどうしようもないわね」

「スミレナさん、オレ……」


 この先で自分に課される処遇を心配するより、甚大な迷惑を店にかけてしまったことを何より嘆いた。胸を捩じ切られそうなほど強い後悔を味わっている。

 そんなオレを、スミレナさんは、そっと胸に抱きとめた。

 ぽんぽん、と子供をあやすようにして背中を優しく叩かれる。


「気にしないで。遅かれ早かれ、こういうことは避けられなかったと思うわ」

「ごめん……なさい……ッ」

「大丈夫よ。アタシが絶対に守るから」


 ギリコさんがそうしたように、今度はスミレナさんがオレを背に庇った。


「話は済みましたかぁ?」

「なんの御用かしら? 突然の訪問は歓迎しかねるのだけど?」

「なんの用かは、そちらがよぉくわかっていらっしゃるでしょうにぃ。一応言っておきますと、一つは魔物の不法滞在。もう一つは、未確認生物による人間への暴行――この二点が、そちらのお嬢さんと、そのよくわからない大きな動物にかかっています。その真偽を確認しに来ました」

「領主自ら、わざわざご苦労なことね。暇なのかしら?」

「そこにいるお嬢さん、人間ではありませんよねぇ?」

「人間よ。アタシたちと同じように、血が通い、心がある。ひたすらアホ可愛い、【オーパブ】自慢の看板娘よ」

「人間? んふふふ、嘘はいけませんねぇ。魔物ですよねぇ? サキュバスですよねぇ? 自分でそう名乗ったと聞いていますよぉ」


 そうだ。オレが自分で翼まで見せ、サキュバスだと言ってしまったんだ。

 口止め程度じゃ大した意味なんてなかった。時間を戻せるなら、あの時、迂闊に正体を晒した自分を、ブン殴ってでも止めてやりたい。


「ところで、そちらのリザードマンの彼、どうしてまだこの場にいるんですかぁ? 部外者ですよねぇ?」


 カストール領主は自分のキツい香水の匂いを棚上げし、ギリコさんの姿と格好に辟易するかのようにして鼻と口を手で覆った。


「小生は今日、この店に友人として招かれていたのである。先約はこちら。領主殿が御自分の用件を優先したいと仰るのであれば、同席する権利くらいは主張させていただくのである。後ろめたいことがないのであれば、構わないはずである」

「後ろめたいことなどありませんよぉ。こちらにはねぇ」


 好きにしたらいい。そう言って、カストール領主はギリコさんの同席を認めた。


「話を戻しましょうかぁ。最初に確認させていただいてもよろしいですかぁ?」

「拒否できるのならするわ」

「んふふ、できませんねぇ。よもや、その少女の正体を知らずに匿っていたということはありますかぁ? もしそうだとしたら、アナタの罪はいくらか軽くなりますよぉ? まあ、その代わり、サキュバスの少女には、人間を騙して取り入っていた罪が加わるでしょうねぇ。くふふ、討伐されちゃうかもしれませんねぇ」

「知らないわけがないよなあ。弟は知っているはずなんだからよ」

「わたしは、ご本人の口から聞かせていただきたいですねぇ。さあ、どっちなんですかぁ? 知っていたんですかぁ? 知らなかったんですかぁ?」


 知らなかった。そう言わせて、スミレナさんがオレを切り捨てるところが見たいんだろうか。それとも、単純に相手を困らせて楽しんでいるのか。

 どちらにせよ相手の弱みを攻撃し、執拗にいたぶることを悦にする輩ってのは、こうまで醜悪な顔ができるものなのか。胸糞が悪くなる。


 スミレナさんは、提示された選択肢、そのどちらも選ばなかった。


「何を言っているのか、皆目見当がつかないわ。さっきから言っているでしょう。この子は人間よ。確かに悪魔的に可愛いけど、何か勘違いしていないかしら?」


 徹底的にしらを切るスミレナさんに向かって、グンジョーが指を突きつけた。


「誤魔化そうったって、そうはいかねえぞ。オレははっきり聞いたんだ。そいつが『サキュバスです』って言ったのをな。ご丁寧に、翼まで見せてよ」

「本当に? 本当にそう言った? よく思い出して。実は『サロンパスです』って言ったんじゃない? サキュバスとサロンパスって似てるでしょ。見てのとおり、とても胸が大きいから肩こりも酷くて、湿布が手放せない子なのよ。翼に見えたのも、実はサロンパスだったんじゃない?」


 サロンパス。世界の壁を越えて活躍する鎮痛消炎剤。


「…………あれ? サロンパス……あれ?」

「グンジョーさぁん、もしかして、みたいな顔はやめてくださいねぇ。そんなわけないでしょぉ? 常識で考えてくださいねぇ」

「お、おっと、危ない危ない。よく口の回る女だぜ」


 今のは、さすがにオレでも騙されない。


「んんー、困りましたねぇ。こちらとしても、こうして魔物が町に入り込んでいるという情報を得ている以上、確かめないわけにはいかないんですよぉ。領主権限を行使してでも、事情聴取をさせていただかなくてはいけませんねぇ」

「そういうわけだ。大人しくこっちへ来い」


 またもやグンジョーがオレに近づき、今度は腕を取ろうとする。


 カチャリ。

 硬い音を立て、ギリコさんが、腰に差していた刀の身をわずかに覗かせた。


「同じことを二度言わせるつもりであるか?」


 爬虫類特有の、という表現は好ましくないけど、この時ばかりは、生物の温度を感じさせない冷たい目がグンジョーを射竦め、動きを封じた。


「へ……へっ、そんな睨むなよ」

「次に許可なくリーチ殿に触れようとすれば、その時は腕を斬り落とすのである」

「わ、わかったよ。わかったから、その物騒な物を仕舞えよ」


 グンジョーは、冒険者としてベテランの部類だとエリムは言っていた。

 そのグンジョーを、ギリコさんは威嚇だけで完全に制してしまった。

 チン、と鈴のような鍔鳴りを立て、ギリコさんは刀を鞘に収めた。

 ギリコさんと同じく、グンジョーを止めようとしていたスミレナさんが、改めてカストール領主に向き直る。


「この子は今、体調を崩しているの。熱もあるわ。尋問するというのなら、今回はアタシだけにしてちょうだい」

「しかしですねぇ。町民への脅威となりかねない存在を、みすみす放置しておくというのは、領主として見過ごすわけにはいきませんねぇ。こちらの面目というか、示しもつきませんしぃ?」

「どうせ、後ろのだけが本音でしょう」

「うふふ、酷い言われようです」


 上辺だけの台詞を、さらに並べ立ててくるのか――。

 そう思った矢先、ここまで沈黙を保っていたミノコが不意に動き出した。

 グンジョーがビクリと肩を跳ねさせ、主人であるカストール領主の後ろに隠れてしまう。


 ふと、恐ろしいことを考えた。

 この場でミノコがカストール領主たちを丸飲みにすれば、証拠は残らないんじゃないか。

 でもすぐに、それをしてどうする? という考えが浮かぶ。

 この場をやり過ごせたとしても、綻びは絶対に生じる。

 そうしていつかは、王都の騎士たちが【オーパブ】を制圧しに来る。


 そこまでミノコが考えたのかはわからない。

 ただ、ミノコはカストール領主に攻撃を仕掛けるでもなく、自ら店の出口まで歩き進んだ。

 そこで振り返り、「モ~ォウ」と低い声で鳴いた。


「お前……何言って……」

「リーチちゃん、ミノコちゃんはなんて言ったの?」


 まただ。

 また、オレは守られるだけなのか。


「……自分は大人しくついて行くって……言ってます」

「……そう」


 悲しそうにスミレナさんが言い、オレからギリコさんへと意識を向けた。


「ギリコさん、これからちょっと領主邸まで行ってくるわ。でも、後で連中がリーチちゃんを捕まえに戻ってくるかもしれない。アタシが戻ってくるまで、リーチちゃんのことを警護してもらえないかしら」

「任されたのである。小生の命に代えても」

「それと、もう一つ。エリムが帰ってきたら、メロリナ・メルオーレという人に、このことを伝えに行くよう言ってほしいの」

「委細承知したのである」

「ありがとう。ギリコさんがこの場にいてくれて、本当によかったわ」


 ギリコさんにお辞儀をしたスミレナさんは、「すぐに帰ってくるから」と言って、オレの頭を一撫でした。


「どうやら、話はまとまったようですね。グンジョーさん、【オーパブ】の店長さんを馬車まで案内してください。その動物は……歩いていただくしかありませんねぇ。とりあえず、これで目的の半分は果たせます。今回はこれで良しとしましょう」

「ほ、ほれ、ついて来い。暴れたりするなよ」


 先にグンジョーが店を出て、その後ろをスミレナさんとミノコがついて行った。

 それをじっと、カストール領主は黙って見送っていた。

 見えなくなっても、じっと。


「……笑っていやがる」


 カストール領主の後ろ姿からでもそれがわかる。

 そこで、最悪なまでに嫌な予感がした。

 胸騒ぎを百倍に濃縮したかのような焦燥感に駆られる。


 カストール領主は昨日も店にやって来た。

 カストール領主は、グンジョーを雇い入れたのが先日だと言った。

 なら、オレのことをグンジョーから聞いたのはいつだ?

 今朝? 昨日、店に来た後?


 そんなわけがない。満身創痍のグンジョーがカストール領主に接触した目的なんて、オレのこと以外に考えられない。だったら、雇用されたその日に伝えていたはずだ。

 つまり、昨日店に来た時点で、オレの正体をカストール領主は知っていたことになる。

 知っていたのに、どうして黙っていた?

 考えられる理由は一つしかない。


 ――騎士がいたから。


 あの場でオレの正体を明かしてしまえば、騎士に引き渡さなくてはならなくなるから。

 自分の手で、オレとスミレナさんを断罪できなくなるから。

 そんな恐ろしい考えに至ったのと同時。

 ふるふると、感情が外に漏れ出すかのように、カストール領主の肩が小刻みに震え出した。


「うふ、うふふふ」


 その震えはみるみる大きくなり、やがて、がくがくと全身を揺れ動かしていく。


「うふふふふ、うふ、うはははははははははははははははははははははははは!!」

「豹変……しやがった」

「うふふぁははは! やっと! やぁっとですねぇ! ついにですねぇ! とうとうこの時が来てくれました! ようやく、ようやくあの女に報復できますよ!」

「報復って、おい……!!」


 完全ぐるりと顔をこちらへ回したカストール領主の目は、完全にイってしまっていた。


「あの女には、散々コケにされ、恥をかかされました。町民の前で。そのせいで町民の中にはわたしより、あの女の方が領主に向いているなどと囁く輩まで出てくる始末。そんなわたしの気持ちがアナタにわかりますか?」

「アンタ、王都に媚びを売りたいから【オーパブ】を潰そうとしていたんじゃないのか?」


 カストール領主にある最も大きな感情は、目立ちたいとか、出世したいだとか。

 そういった自己顕示欲なんだと思っていた。

 でも違った。


「そんなもの、あの女への恨み辛みに比べたら全部、全部全部全部ついでですねぇ。わたしが何より求めていたのは、あの忌々しい女の顔を屈辱に歪めてやることですよ」


 カストール領主の中身は、スミレナさんへの負の感情で埋め尽くされていた。

 おそらく、オレが魔物だということすら、カストール領主にとっては些細なことだ。

 スミレナさんに報復できるなら、きっかけはなんだっていいんだ。


「事情聴取と言っても、ほとんど裏は取れているようなものです。多少、手荒なことをしても問題にはならないでしょうねぇ。うふふふふ。んふふふふふ!」


 れろぉ、と自分の口の回りに舌を這わせるカストール領主の姿は、絶望的なまでに理性的な人間とはかけ離れていた。


「じっくりと時間をかけて訊き出すとしましょうか。んふふふ、でも、あの女は口を割らないでしょうねぇ。それならそれでいいんです。むしろ、その方がいいんです。んふふふふふふ、考えるだけで楽しみですねぇ。どうやって辱めて泣かせてやりましょうかねぇ」


 こいつ、イカレてやがる。

 オレがサキュバスで、ギリコさんが保護指定外種族だからか、カストール領主は自分の裏の顔を隠そうともせず、嬉々として悪意を吐き出していった。


「こういうのはどうです? 最近、わたしの私兵団がゴブリンの巣を一つ掃討しましてねぇ。その時に何匹か捕えたんですが、そいつらと同じ檻に放り込むのも悪くないと思いません? んっふふふ、どうなっちゃうんでしょうねぇ」

「お、前……スミレナさんに何かしたら、ブッ殺すぞ!!」

「貴君、それでも領主か!?」

「んふふふ、冗談。冗談ですよ。ですが、彼女の次は、アナタの番ですからねぇ? どうして人の町になんか入ってきたのか、何を企んでいるのか、吐いてもらいますからねぇ」

「オレは、何も企んでなんか!」

「はぁい、そんなこと、どぉぉでもいいですねぇ! 逃げますか!? 逃げてもいいですよ!? 逃げるということは、魔物だと公言したも同じ! すなわち魔物を匿っていた彼女は重罪! どんな目に遭わされても文句は言えませんねぇ!!」


 もう一つ、オレは思い違いをしていた。

 カストール領主は嫌な奴なのだと、そんな風に思っていた。

 全然違う。

 昨日見たカストール領主の態度なんて、まだ紳士だったんだ。

 こいつの本性は、正真正銘、最低最悪のビチグソチ●カス野郎だった。


「それでは、今日のところはおいとまいたしますねぇ。また、改めてお会いしましょう」


 吐き気を催す笑みを残して、カストール領主は店を出て行った。

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