第27話 味噌汁みたいに言うんじゃねえよ
オレがこの世界で生活していく上で、問題となるのは何か。
人間から魔物に転生したこと。
これに気づいたのは昨夜のことだ。風呂に入る前に、朝食用のミルクをしぼらせてもらおうとした。そしたらどういうわけが、ほとんど出なかったのだ。
この原因について、ミノコがモゥモゥと、次のようなことを教えてくれた。
しぼれるうちにしぼらないと、体内のミルクは一、二時間でどこかへ消える。
どれだけ食べても大便小便を排泄する必要は無く、これまたどこかへ消える。
どこかってどこだ……。四次元か?
あと、食い溜めとかできないから、少なくとも朝晩二回は食べさせてほしい。
最低限は腹が膨れないとミルク出ないと思うから、そのへんもよろしく頼む。
だそうだ。ウチの牛様が、極めて衛生的でクリーンな生命体であったことは喜ばしいけど、食った先からしぼらないといけないのは忙しない。何より、食い溜めができないってことは、オークを食ったから三日は何も食べなくてもいいとか、そんな計算は通用しないってことだ。必然的に、大量の備蓄を常に用意しておかなきゃならない。
「なるほど、食費が凄いことになるわけね。馬が食べる飼料みたいなのじゃダメなの?」
「……食べ物の好みは、どうも人間に近いらしくて」
「今からでも追い出されたらどうしよう。なんて考えていそうな顔だわ」
胸中を見透かされ、オレは視線を落として「すみません……」と謝った。
「馬鹿ね。昨日言ったでしょ? リーチちゃんは、もう家族同然だって。それはミノコちゃん込みで言ったのよ? 大食らいが理由で家族を追い出したりなんてしないわ。リーチちゃんを追い出すくらいならエリムを追い出すわ」
「やめたげてください」
「食い溜めはできなくても、しぼり溜めならできるわけね。なんにせよ、どれくらい食べればミルクが出るのかを調べないと。店にある食材で試してみましょうか」
ミノコは消化吸収が異常に早いのか、腹を満たせば、食べたそばから勢いよくミルクを出すことは、昨日のうちに本人の口から確認が取れている。
そこで、オレがミノコの乳首を絶えずにぎにぎしつつ、乳しぼり未経験のスミレナさんにはわんこそばを給仕するように、どれだけ食べたかを量りつつ、食材を与えていってもらうという分担で検証することにした。
「ミノコちゃんって牝なのよね? リーチちゃんが握ってるのって、ミノコちゃんのおっぱいなのよね? チ●コじゃないわよね?」
やる前からやる気を根こそぎ削がれかねないコメントにも負けず、検証を開始。
用意してもらった食材は、生野菜が中心だ。
最初の10kgくらいは全く変化なしだったけど、そこから少しずつ乳房が膨らみ始め、だんだんと掌に伝わる乳首の弾力も強さを増していった。
そして、ちょうど20kgを超えたあたりで、
ドブシュッ!
と、真っ白な牛乳がようやく射出されたのだ。
ミノコに「腹は膨れたのか?」と訊くと、「ぼちぼち」と返された。
ここまででかかった食材の費用は、およそ15,000リコ。食材によって、値段の上下はあるものの、一回の食費が15,000リコだとすれば、朝晩二回としても一日に30,000リコ。
ちなみに〝リコ〟というのは、この世界で広く使われている通貨単位だそうだ。オレはまだ現物を見たことがないけど、紙幣は無く、硬貨だけが流通しているんだとか。大の男が酒場で腹いっぱい飲み食いしても、5,000リコを超えることは滅多にないという。
ミノコが加わったことで、この家のエンゲル係数が大変なことになるってのに、乳しぼりを初めて見たスミレナさんのテンションは、異様なほどに高い。
「すごい、すごいわ! リーチちゃんがシコシコしたことで、白くて濃いミルクがドピュッと出たわ! これ、普通に見物料を取れちゃうんじゃない!?」
ミノコの食費を稼ぐ手段を考えてくれるのはありがたいが、そういう公序良俗に反する見世物で金策するのは勘弁してほしいです。
ここで一旦休憩を挟み、しぼった牛乳でオレも朝食を済ませた。
「それ、美味しいの?」
「ええ、かなり美味しいですよ。スミレナさんも飲んでみませんか?」
「う、うーん、どうしようかしら」
この世界には他種族の乳を飲むという習慣が無い。そのため、牛乳を飲んだことのない人がこれを口にするのは、かなりの抵抗感があるだろう。
「牛乳は体にもいいんですよ。骨を強くしてくれますし」
「んー、でもねえ……」
「それに、胸が大きくなる、なんて話もあったりします」
「とりあえず5リットルくらいもらおうかしら」
「……お腹壊しますよ?」
もしかして胸が小さいこと、実は気にしてたりするんですか?
女性の抱える体の悩みに深く踏み込むことはするまいとし、オレは何も訊かず、スミレナさんのために牛乳をガラス製のグラスに注いだ。
「どうぞ」
「おかわり」
「早ッ!」
さっきまでの抵抗など、まるで感じさせない高速一気飲みだった。
要求された二杯目をスミレナさんに手渡しながら、味はどうだったかを尋ねた。
「美味しかったわ。それよりおかわり」
「だから早いですってば!」
味の感想もそこそこに、三杯目を要求された。
スミレナさんの表情があまりにも真剣だったため、牛乳で胸が大きくなるという話が眉唾物だとは、今さら言い出せなかった。
「しぼれるだけしぼってみましたけど、だいたい10リットルってところですかね」
「大雑把に考えて、食べた分の半分ほどが牛乳としてしぼり出せた計算かしら」
2リットルほどスミレナさんが飲んでしまったが、ストックとしては十分だ。
だけど、ストックがあろうがなかろうが、ミノコの腹は空く。
食費の問題は、何も解決していない。
「できれば朝昼晩と、三食ミノコちゃんに食べさせてあげたいわね」
「三食は、さすがに……」
オレたちの会話を傍で聞いているミノコが、不満を口にする代わりに、ふしゅーと力無い鼻息を立てた。
「ミノコちゃんのお腹を満たせば、また牛乳をしぼれるのよね。仮に今と同じだけの量を日に三度食べたとすると、得られる牛乳は約30リットル。アタシたちだけで消費するには多すぎる。だけど、しぼらないともったいないわよね」
「飲み切れないんじゃ、しぼっても腐らせるだけですよ」
「余った分は、お店で売り出してみるのはどうかしら」
「……売れますか?」
「売れると思うわ。味は確かなんだし」
それが本当なら、スミレナさんの申し出は天啓にも等しい。
「ところで、リーチちゃんの暮らしていた世界では、このミルクをただ飲むだけじゃなくて、料理に使ったりもしているって言ったわよね?」
「はい。でも、オレは食べるばかりで料理したことがないので、レシピはわからないです」
「それでも味はわかるでしょうし、ある程度の具材なんかも覚えてない? 記憶にあるだけでいいから、エリムに教えてあげるといいわ。試行錯誤で何か再現できるかも」
「なるほど。店のメニューに加えるんですね」
店の収益アップに繋がる可能性があるなら、なんでも試していくべきだろう。
「それもあるけど、もしかしてミルクを使った料理なら、リーチちゃんも普通に食べることができるんじゃないかって思ったのよ」
その光景を、本当に楽しみにしているのがわかる笑顔でスミレナさんは言った。
「オレのため?」
「何度も言うけど、リーチちゃんはもう家族同然なのよ。家族と一緒に食事できないなんて、そんなの寂し――って、リーチちゃん、どうしたの?」
スミレナさんの言葉が胸の中を温かい物で満たしていく。
それは次第に溢れるまでになり、視界が滲んでいった。
ああ、やばい。泣く。
俯くとすぐに、ぱた、ぱた、と板張りの床に雫が落ちた。
スミレナさんが静かにオレの頭を胸に抱いて、ぽんぽんと背中を叩いてくれた。
「……あ……と…………ざ……す……」
嗚咽が混じり出す中、しぼり出すようにして「ありがとうございます」と言った――つもりだったけど、擦れて言葉にはなっていなかった。
店の手伝いでもなんでもいい。少しでも早く恩を返したい。
そんな風に考えるようになっていた。
という心温まる遣り取りがあったにもかかわらず、直後に起こったオ●禁騒動とのギャップが酷すぎて、感動も何もかもが吹き飛んでしまったところで今に至る。
「さあ、ぐいっとやっちゃいなさい」
「これ、なんなの? まさか、姉さんの作ったお酒じゃないよね?」
スミレナさんがエリムに持たせたのは、他でもない、牛乳を注いだグラスだ。
他種族の乳だとわかれば、ほぼ例外なく、この世界の住人は抵抗を覚える。
では、牛乳を牛乳だと知らなければ、どういう反応をするだろうか。
それをエリムで試しているんだけど、牛乳の独特の白さっていうのは他の飲み物には無いせいか、初見だと、どうしたって怖いものがあるようだ。
「お酒じゃないわ。美味しいから、騙されたと思って飲んでみなさい」
スミレナさんが勧めても、エリムはグラスの底を透かしたり、軽く振ったりするだけで、なかなか口をつけようとしない。
その様子を少し離れて眺めるオレとスミレナさんが、小声で会話する。
「やっぱり、見た目だけでも抵抗があるようですね」
「そうね。アタシも、牛乳に胸を大きくするという効果が無ければ――ああいえ、なんでもないわ。うん、最初の一口が難しいのよね」
そのコンプレックス、隠しておきたいんですね。
「チ●コを大きくするっていう効果は無いの?」
「そういう効果は聞いたことがありません……」
てかホント、表現に気を遣ってくれないかなあ。
「こうなったら仕方ないわね」
「牛の乳だって、もう教えちゃいますか?」
「いえ、一つだけ試してみたいことがあるの」
そう言って、スミレナさんがエリムに何かを囁いた。
すると、エリムは「え?」と驚いた顔をして、手に持っているグラスと、何故かオレとの間に何度か視線を往復させた。
そして、ごくりと大きく喉を鳴らしたかと思えば、さっきのスミレナさん同様、一息でグラスの中身を飲み干してしまった。
マジか。スミレナさん、いったいどんな魔法の言葉をかけたんだ?
「……お、美味しい!」
「うふふ、だから言ったでしょう」
エリムの表情と感想に、うんうん、と満足げに頷いたスミレナさんが、オレの傍に戻って来た。
「凄いですね。エリムになんて言ったんです?」
「サキュバスは、妊娠してなくても母乳が出る体質なのよって言ったの。もちろん嘘だけどね」
「へえ。…………え?」
その意味を理解すると同時に、エリムがオレの前にやって来た。
「リーチさん!」
「な、何?」
正面に立ったエリムは耳まで真っ赤に染め、全身に緊張を張りつかせている。
そんなエリムが次に口走った台詞は、オレの人生において、迷言として永遠に刻み込まれてしまうほどにトチ狂ったものだった。
「ぼ、僕に……毎日アナタの母乳を飲ませてくれませんか!?」
「味噌汁みたいに言うんじゃねえよ」
ひくひくと顔を引きつらせながらエリムの誤解を解いている間、元凶であるスミレナさんは終始からからと愉快そうに笑っていた。
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