第18話 黄金の輝きに鮮血の花を添える

「アナタたちの言い分はわかったわ」


 オレは所在無く縮こまり、エリムは水で濡らしたタオルで太ももを冷やしている。

 そんなオレたちを、仁王立ちで睨み据えている酒場の主人。

 エリムの尊い犠牲の甲斐あって、かなり端折りはしたが、どうにかスミレナさんに事情を把握してもらうことはできた。サキュバスであることを証明するために、結わえていた髪は解き、外套も脱いでつのと翼を晒している。

 相当肝が据わっているのか、スミレナさんは、外で待たせているミノコを見ても怯えた素振りを見せず、一言「大きいわね」と感想を述べただけだった。


「リーチちゃんと言ったわね。アタシのことは、エリムから何か聞いてる?」


 名前を呼ばれ、オレはビクリと肩を跳ねさせた。

 ちゃん付けに不満を言える空気は、欠片も存在しない。


「す、少しだけ。相手が魔物であっても、差別をしない人だと……」

「そうね。アタシは自分の目で見て善人だと判断したら、魔物扱いされている種族だとしても歓迎するわ。でも逆に言えば、悪人と判断したら、相手が人間であっても叩き出すから」


 慈愛に溢れた聖母マリアのイメージは、跡形もなく消え去った。

 この人、かなり脳筋だ。


「今聞いた話が本当なら、リーチちゃんには同情できるし、ウチに置いてあげてもいいんだけど」

「本当です! 嘘じゃありません! 信じてください!」

「信じないとは言ってないわ。ただ、アタシは他人の評価に関してだけは、自分で確かめたことしか信用しないことにしてるの。それが相手を極端に持ち上げたり、貶めたりする内容だった場合は特にね。エリムの話は、どこかリーチちゃんを過剰に擁護しすぎている気がしなくもなかったわ」

「姉さん、リーチさんは本当に、天使のように素晴らしい女性なんだよ」

「ほらね。今日初めて会った女の子のことを天使とか言っちゃう弟に軽く引くわ」

「酷い!」


 ショックを受けているエリムには悪いけど、オレもスミレナさんに同意見だ。


「リーチちゃんはサキュバスなのよね? 実のところ、アタシが一番懸念しているのはそこなのよ。どうしてかわかる?」

「魔物だからですか?」

「いいえ、サキュバスという種族だからよ」

「で、でも、そういう差別はしないって!」

「まあ聞いて。一人、もう高齢で隠居しているけど、サキュバスの知人がいるの。彼女の若い頃の武勇伝がとにかく凄まじくてね。本当かどうかはともかく、当時の為政者を片っ端から魅了しまくって、国を転覆させかけたことがあるとか。一つの町から若い男が一人残らず消えたとか」


 どこの誰か存じませんけど、そんなことしたら、サキュバスが魔物認定されるのも当然じゃないですか。完全にとばっちりだ。


「リーチちゃんは見た感じ、まだそこまでの力は無さそうだけど、サキュバスにはそういうことができる能力が備わっているのは確かなのよ。だからリーチちゃんがエリムを魅了して、操っている可能性も無いわけじゃないの」

「僕は操られてなんか!」

「エリムは黙ってなさい。酔っ払いは、皆酔ってないって言うの。それと同じよ」


 容疑のかかっている者の発言は信用に足らない。

 なら、どうすればいい。信用させる方法なんてあるんだろうか。


「サキュバスの魅了は女には効かない。だから、アタシが今から見極めてあげる」

「見極めるなんて、できるんですか?」

「少し荒っぽいやり方になるけど、覚悟はいい?」


 何をされるのかわからないんだから、具体的にどう覚悟すればいいのやらだ。

 だけど、信じてもらうためなら、それがなんであろうと……。

 どんな苦痛にでも耐える。それだけを頭に置いて腹をくくり、オレは頷いた。


「真っ直ぐで綺麗な目だわ。好きになれそうよ」


 不敵に笑ったスミレナさんが正面に立ち、床に片膝をついた。


「痛みは無いわ。一瞬で済むから」


 視線を腰の高さに固定したまま両手を伸ばし、オレが着ているワンピースの裾を握る。

 そして何を血迷ったか、そこから腕を持ち上げようとしたので、オレはスミレナさんの手を反射的に上から押さえつけた。


「今、何しようとしました!?」

「スカート捲りよ」


 それ以外に何があると言うの?

 そう言わんばかりに、スミレナさんの表情は大真面目だった。


「理由を、訊いてもいいですか?」

「決まっているじゃない。女の本質はね、下着にこそ隠されているものだからよ。男を意識している女ほど下着に気合いを入れているのは明白。これはサキュバスに限ったことではなく、女という生き物全てに共通することなの」


 だからオレの穿いているパンツをあらためるのだと言って、スミレナさんは、強引にワンピースを捲り上げようとしてくる。

 そうはさせまいと、オレは必死に抵抗した。


「ちょちょ、ちょ、やめ、やめてくださいって!」

「ウチに居候したいのなら観念なさい。地味な無地パンツだったら信用してあげるから。ただし、スケスケやド派手なパンツなんて穿いていたら、残念だけど、何か良からぬことを企んでいると見なして、今すぐ出て行ってもらうわ」

「理屈はなんとなくわかりますけど、ダメです! やめてください!」

「隠すと余計に怪しいわよ! まさか、スケスケなの!? それとも穴あきなの!?」

「穴あきってなんですか!? 穿いてません! 穿いてないんです!」

「穿いていないなら見せられるでしょう!? 言っておくけど、白パンツだとしてもフリフリが付いている物は認めないわよ! 清楚を気取っても、本心では男受けを狙っているかどうかくらい、アタシにはお見通しなんだから!」

「お願いしますお願いしますお願いします! 別の方法を考えてください!」

「どうしてそこまで頑なに隠そうとするの!? 別に下着を剥ぎ取った上で、くぱぁして処女かどうかを確認しようってわけじゃないのよ!? それでも見せられないのは、やっぱりエッチな下着を穿いているからなの!?」

「穿いてません! 穿いてないから見せられないんです!」


 ぐ、ぐぐ、と。スカートの丈が膝を越え、太ももの中ほどまで上がってきた。

 そんな……馬鹿な。

 オークに力で敵わないのは当然だ。

 人間の男に敵わなかったのも、悔しいけど、まあ納得してやる。

 でもこれ、女性のスミレナさんにさえ……。


「往生際が悪いわね! いいから、見、せ、な、さあああああい!!」

「ダメですってば! オレ今、下に何も穿いてなあああああああ!!」


 スミレナさんは、この時のことを、後にこう語った。



 ――まるで極上の絹糸のように、一本一本がキラキラと輝いていたわ。



 ぶぱっ!!



 鮮血の花が咲いた。

 オレとスミレナさんの攻防を見守っていたエリムが、漫画みたいな鼻血を噴き出し、ばたりとうつ伏せで倒れた。鼻血の勢いは止まらず、だくだくと血の海が床に広がっていく。


 しばらく両者動けずにいたが、やがて、ヘソよりも高く、下乳が外気に晒されるところまで捲り上げられていたワンピースの裾を、スミレナさんが無言で戻した。

 エリムが出血多量の瀕死に陥っていく傍ら、スミレナさんは、立てていた方の膝も床につき、姿勢を正して三つ指をついた。そこから、深々とお辞儀をする。

 堂にったその仕草は、老舗旅館の女将を思わせた。


「どうぞ、自分のウチだと思ってくつろいでください」


 転生初日にして、まともな住まいをゲット。これは幸先がいい。

 なんて微塵も思えないのは、それ以上に様々な物を失ったからだろう。


「…………お世話になります」


 かろうじて、そう挨拶できたオレは、今日一日でかなりタフになったと思うよ。

 精神的にな。

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