四十. 確執

 一瞬の連続だった。当初来ると予想していた斬撃は行われず、ひたすらに蹴りの嵐が吹き荒れている。それも、急所や目潰し、足払い等の一度でも当たってしまうと、その後の連撃にて致命傷を負いかねないという容赦のないものだ。

 打撃のそれ自体に殺傷能力はないのであろうが、気になるのは手に握られている戦場に不釣り合いなほど華麗な短刀である。彼女の動きと相まって、淡い光を発しているようにも見えていた。

 これが振るわれないことに意味はあるのだろうか。


「っ足!」


 刹那、目の前を掠めるように、一風が通りすぎる。咄嗟に後方へと転がることでそれをやり過ごすとキュロロは大きく息を吐いた。

 まず体が反応したようで事なきを得たが、今のはかなり危ない一撃である。少し遅れ、ようやく頭部へと蹴りが放たれたのだと認識が追い付いてきた。


 ──危なかったわ。


 キュロロは体勢を立て直すと、努めて気を落ち着かせる。遠目にはわからなかったが、いざ対峙してみるとその素早さのみならず、正確さにも驚くべきものがあるとわかった。

 彼女は一定の距離を取ると、次なる動きに備えるべく相手を見て作戦を練る。


「素早い……」


 一方、ファニルもキュロロの様子を観察するように、一度動きを止めていた。

 一発で仕留めるつもりだったのだろう。避けられたことに少し驚きの表情を浮かべているようにも見える。


「突然ね。何か気に障ったのかしら」

「どうでしょう。何か心当たりがあるのですか?」


 うーん、怒らせるつもりはなかったんだけど、とキュロロが小声で呟く。その様子をやはり不機嫌そうにファニルが睨む。


 ともあれ、先の蹴りで確信に至った。やはり相手は普通よりも遥かに速い。ともすれば、自分よりも。

 クラレッタが言っていたように、何らかの特殊な力を備えていると考えていたほうがいいのかもしれない。それを確かめるべく、キュロロは一歩を踏み出すことにする。


「では、仕切り直すわね!」


 今度はキュロロから動いた。お返しだと言わんばかりに蹴擊技を中心にファニルへと迫っていく。

 奇しくも、キュロロにとって打撃、蹴撃はファニル同様に得意分野であった。


「どう? 避けてばかりは疲れるでしょう?」


 あと少しというところで回避を続けるファニルに内心舌を巻く。これほど避けるとなれば、きっと目と勘もいいのだろう。

 少し極端なところはあるが、似たようなタイプだと、彼女は感じていた。


「それほどでも」


 相変わらずそっけない様子でファニルが答える。まだ余裕があるのなら相当に大したものだ。しかし、どちらかというとその逆で、余裕がないためにそうなっているとするほうが彼女としては有難い。


「さーて、どちらかしらね」


 声に出ていたのだろうか、ファニルが訝しげに目を細めていた。キュロロは笑う。


 無論、ファニルの速さは認めるが、こと敏捷性においてはキュロロにもそれなりの自信がある。加え、幼き頃より自身が素早いと自覚するくらいにはしっかりと経験を重ねていると、そう自負しているからだ。


「どうかしら? 私もなかなかだと思わない?」


 舞うように攻める中、堪らず距離を取ろうと後ろへ跳ねるファニルへとキュロロはわざとらしく片目を瞑ってみせた。

 知らずのうちに、自分を認めさせたいという気持ちがあったのかもしれない。思わず口から出た言葉がそれだった。


 少し離れ、一時の間、二人の視線が交錯する。何か問答があるかとの期待もあったが、結局ファニルは特に反応せず、黙って次の動きへと移行し始めた。


 ──うーん、どうも可愛いげはないわね。


 一度はそう思う。しかし、そこがまた可愛いところだと思えば、それもまた良いと思える。まるで反抗期の妹と接している気分だ。

 とはいえ、許すことは決してできない。彼女の行動は彼女の戦場でのルールを大きく逸脱している。


 少しばかりの牽制にはなっていればよしとしよう。そう結論付けると、緩みかけた気を再びきつく締め直した。

 そうしている間に、ファニルがついに短刀を抜く仕草を見せる。そして、体の前へとそれを掲げ、構えるように滑らせた。その腕前は不明ではあるが、本気で来たということかもしれない。

 鬼気迫る、とはこのことだろうか。キュロロは無意識に自分の武器へと手を伸ばしていた。


「それがあなたの得物なの?」

「これは……御守りです」

「御守り?」


 キュロロは困惑する。というのも、ファニルが動きを止めたからだ。本気で来ると感じた矢先である。それは何を意味するのだろう。

 頑なだった態度とは裏腹に、この何気ない問いに応じたことが意外だった。


「気にしないでください。これで終わりですから」


 終わり、という言葉につい反応して口元がピクリと動くが、そこはなんとか自分を落ち着かせる。子供の喧嘩ではないのだから、いちいち目くじらを立てるのも馬鹿馬鹿しい。


「自信があるのね。でも、そう上手くいくとは思えないわ」


 キュロロもまた剣を手にし、ファニルと同じく構えを取った。その口と、本気で来なかったことを後悔させるには、頃合いだったということかもしれない。


「いいわ。来なさい!」


 キュロロが全てを言い終わらない内に、ファニルの姿が揺らぐように微かに動き始める。そして間もなく、足元から始まり、そのまま止まることなく順に頭部へと連続した攻撃がキュロロを襲った。


「やっぱり、まだ物足りなかったとでもいうのかしら?」


 武器を握っているのに、あくまで蹴擊を中心とした打撃で攻めて来ている様子にキュロロは首を傾げる。これでは、先程までと同じではないか。

 てっきり新たな手の内を見せてくるのではないかと踏んでいたのだが、どうにもそのつもりは感じられなかった。


「ええ。それに、やっぱり一発は当てておきたいと思いませんか?」


 思わず耳を疑う。当てておきたい、とは?

 肯定するファニルの声色に変わりはない。冷静だ。


「驚いた。負けず嫌いなのね」


 キュロロは若干呆れつつも、しっかりとその攻撃に当たることのないように丁寧に体を運んでいく。これは持久戦になるかもしれない。


「そろそろ交代の時間にしましょう」


 何度目かの頭部への蹴りを反るように避けると、今度はキュロロが割り込むように剣を払う。そもそも、相手に合わせてはいたものの、自分が手にした剣を使えない理由などない。牽制代わりに驚かせてみるのも一興である。

 とはいえ、これで仕留めることは厳しいと思う。彼女ならば、軽く後ろへと逃げるだろう。しかし、そのタイミングで攻守を変え、この負けず嫌いに先に一発お見舞いするのはなかなかに妙案だとは思わないだろうか。


「まだ終わりませんよ」

「え?」


 その言葉ではっと現実に戻る。視界に映るのは、避けると踏んでいたファニルが剣を目掛けて腕を振るう姿である。


「油断しましたね。ようやくです。ようやく、掴まえた」


 そうだった。何故、手にした武器を使ってこないと思ったのだろう。


「……!」


 ──キィィン!


 力強く弾かれた剣から、反射的に手を離す。バランスを崩すことは避けなければという意識がその選択をさせたのである。

 あわよくば、その手応えにファニルの姿勢が乱れることも期待したが、どうやらそれは叶わなかったようだ。


「終わりにしましょう」


 追い打ちを掛けるように、ファニルが大きく一歩を踏み出すのが見える。


 ──ここに来てっ……蹴りじゃないわね!


 咄嗟にそう判断すると、即座に後ろへ跳ねた。もはや声を出す余裕はない。

 ファニルの手がくるりと返り、そのまま弧を描くような斬擊がキュロロに襲い掛かる。


「ページ!」


 キュロロは叫んだ。


「ブラスト!」


 ◇


 ──ブ……ト。


 耳鳴りのような感覚が走り、微かな囁きが届いた。こんな伝達手段に心当たりはないが、もしかすると、誰かが何かを知らせてくれているのかもしれない。

 心当たりとなれば、やはり、トウカ……否、彼女は違う気がする。となれば、やはりエルマかクレハか……いや、どうも違う気がする。


「エステル、大丈夫かい?」


 先程から何度か感じている慣れない感覚に胸騒ぎを覚え、隣の仲間に声を掛ける。もし魔力に訴えているものであるならば、彼女にだって覚えがあってもおかしくはない。


「うん? 何が?」


 しかし、当の彼女は、まるで何も感じていないかのように、くるりと首を傾ける。つまるところ、エステルには届いていないようだった。

 魔力なら多少は何か感じる部分があると思ったのだが、この感じだと違うのかもしれない。慣れていない部分も否めないので、結論を出すのはまだ少し先になりそうだ。


「確認するけど、魔力は感じるんだったね?」

「うーん。そうみたいだけど、あまりわからないっていうか」

「まだ認識と感覚にズレがあるのかもって感じなのかな」

「そういうことなのかな。……ところでナツノ、何かあったの?」


 なんとなくは察したのだろうか、もしくは、やはり何か思うところがあるのだろうか。

 エステルの表情が少し曇る。


「魔力、と思ったけど、やっぱり風の精かもしれない」

「風の精?」

「うん。ほら」


 そう言ってナツノは指で風の精を遊ばせた。目には見えないが、クルクルと回るそれは確かに感覚としては存在している。


「風?」


 ナツノの指に絡み付くような風の動きに、エステルはまたも首を傾げる。


「うーん、その言い方はどうだろう。でも、そのうちわかるよ」

「わかった。わかるようになるなら今はいいよ」


 意外にもナツノの予想に反してすんなり納得してくれたようだ。しかし、それとは別に、風の精はこの世界ではナツノ以外に扱えるものがいるとは思えない。置いてきたエルマに何か動きがあったのかもしれないが、特に知らせはまだ来ていない。


「それより、ほら! 街が見えてきたわ」


 前を見たエステルが声を明らげ、小走りに前を走っていく。ナツノも顔を上げると、彼女の後ろを追い掛けた。


「本当だ。今回は少し遠かった気がするよ。それで、この街は?」


 ナツノはエステルに訊ねる。


「そうかな? あたしはすぐだったけどな。グィネブルの地はどこを見ても似通っていてつまらないけど、マーキュリアスは所々で景色が変わって楽しいな」

「それもそうだね」


 確かにそうだ。ただ、ナツノからすれば景色が変わることは至って普通であり、景色がほとんど変わらないグィネブルのほうが馴染んでいない。むしろ、その違いを探そうと細かいところで気になっていたような気もする。

 彼女はグィネブル出身なんだろうか。そんなことを考えていると、くるりとエステルが振り返る。


「この街はね、ラザニーっていうの。ミュラー、お疲れ様!」


 エステルはそう言うと、にこりと笑った。


「ラザニー……」


 口に出し、思う。この胸の高鳴りは何に対するものだろう、と。

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