三十六. 暗示

 けたたましく響く金属音に歓声。また、畳み掛けるような号令や、それに対する悲鳴を聞きながら、ヴィルマは頭を掻いていた。なかなか想像していたよりも酷い有り様だったのである。


 ──はぁ、落とすつもりだとは聞いていたんですがねぇ。


 酷い、といっても、決して凄惨な、という意味ではない。そういう段階の話ではないのだ。


 戦場に入ってしばらく経つ。そろそろ本腰を入れたほうがいいのは確かだろう。しかしながら、今回ばかりはどうにもやる気というものが出てこなかった。感じるのは脱力ばかりである。


「はぁ、実戦はイレギュラーが付き物だとはわかっているつもりでいたのですが」


 ヴィルマは人知れず呟くと、未だ気合いが入らない頭に、何かスイッチでもないものかと探るように手をあてがった。そんなものがあるのであれば、気持ちの切り替えなどで悩むことなどなかっただろう。


 気持ちは大事だ。だからこそ、気が向かないことはなるべくしたくない。それは心情でもある。しかし、かといってやらないということでは決してない。ましてや軍に身を置いている彼にとってはそれはあり得ない話である。

 では、軍にいるから断ることができないのか、ということならそれも違う。正式な理由があるのであれば、それくらいの融通は利くからだ。


 ヴィルマは考える。

 やる気がでないということ、それは果たして断る場合の立派な理由になるのだろうか。無論、立派なことはないだろうが、理由の一つにはなるかもしれない。

 しかしながら、それはそれで問題点も多い。やる気がでないという理由が浸透してしまえば、国や軍として如何なものだろう。


「はぁ、駄目そうですね」


 スイッチは見つからなかったが、あれこれ考えているうちに、なんとかしようという気持ちにはなれたようだ。


「はぁ、手早く済ませましょうか」


 頭を上げると、丁度、跳躍するラウリィと思わしき人影を発見する。早速、当たりを付けて深いところへ来た甲斐があったようだ。

 実は今回、彼の任されている役割は、三人の部下を守りきることである。もちろん、ラウンデルからの指示だ。


 部下とはもちろん、ファニルにイッパツとラウリィの三人なのだが、問題となっているのはラウリィとイッパツである。この二人がなかなか言うことを聞きそうにない。

 もちろん、予想はしていたが、なんだかんだ直接会えば従うだろうと楽観視していたのが甘かったようだ。


 ラウリィだけならしばらく放っておいても問題ないはずだった。性格的に、無理な相手からは距離を取ると予想できる。しかし、ここで気になるのはイッパツの存在だ。

 彼は今頃、無茶を承知で突き進んでいるのだろう。まるで壊れるまで退くことを知らないようだ。下手をすればそろそろ限界が近い恐れもある。


 大きな音が二発。任務がある以上、自壊の危険を承知で遊ばせ続けるわけにはいかず、そろそろ頃合いだろうと思う。むしろ、この辺りで止めてやらないと危ない状態になってしまうことは容易に予想できる。……いや、予想ばかりしていてもしょうがない。確実な方法を今は模索すべきであろう。

 ならば、予定は変更になるが、比較的利口そうなファニルを連れてから動くべきか。しかし、彼女もまた利口であっても素直ではない。


 様々なパターンを考えてみるが、結局はイッパツの様子を見ておいたほうが良いという考えに落ち着いた。


「はぁ、まずはイッパツを連れ戻しましょうか」


 視界の端のほうで、時折姿を覗かせているラウリィを目印に決めると、身を低くして移動を開始する。

 その時だった。


「待て」


 声と同時に肩を掴まれ、完全に動きを止められた。不覚にも不意を突かれたらしい。


 ──少し考え込んでいたか? いや、そんなことはないはずだ。では、誰が?


「ああ……道理で」


 振り向いた瞬間に、ヴィルマは大方を悟った。


「探したぜ。ヴィルマ」

「驚きましたよ。何故ここに?」

「白々しいな? 決まっているさ」

「みんなあなたを探していますよ。そして、恐れている」


 目の前の男は、鬼のように鋭い目でこちらをじっと見つめている。これからは容易に逃げることはできないだろう。

 それが口を開く度に、周囲の音が静かに感じる意味を噛み締めるように理解した。


「ラウンデルはどこだ?」

「残念、聞いていませんので。それより、よく俺を見つけることができましたね」

「ああ、お前が来ていることは知っていたからな」


 こんな危険人物に、軽々しく情報を与える者がいるとは考えにくいのだが、なんとなく予想はできなくもない。きっと彼女が……。


「全くだ……。いえ、あなたのことだ、今更驚くこともないか」


 肩からスッと手が放れる。それだけで驚くほど身体が軽くなるのだから、未だ相手が格上であると認めざるを得なかった。


「いいのですか?」

「いいさ。肩を掴まれていては、ゆっくり話もできないだろう」


 垣間見える余裕に少しの不快感を覚え、一度は試してみたいという気持ちも湧いてくる。


「話すことなどありませんよ。それに……」


 一旦口を止めると、一息に戦場の混乱へと滑り込んだ。伝う汗は自分なりの彼への敬意ということだ。


「ここでお別れしますので」


 ヴィルマは周囲に溶け込むべく、なるべく人の多いところを目指して突っ走った。振り返らない。


「さようなら。ユーゲンフット」


 ◇


 静かな部屋に、微かであるがほんの少し高めの音が響く。手元に目を落とすと、手にしたカップにひびが入り、その中身には波紋が走っていた。少しでも他の音が混じると聞こえなかっただろう。


「むむ、少し強く握りすぎたようですね」


 オーディナルはそれをくるりと回し、細部を確かめると困ったように呟いて笑う。握りは関係なかった。


「まぁ! お怪我はありませんか?」


 向かい合うように座る女性が驚き、心配するような声を発する。


「ええ、ご心配には及びません。エレノア様」


 オーディナルは心配ないと伝えるように彼女へ一度微笑むと、再びカップに目を落とした。走っている割れ目から中身が抜け出している様子はまだない。


 このカップは、弟が自分への贈り物として持ってきてくれた代物だ。自分なりには大事にしてきたつもりであったが、やはり少し扱いに問題があったのだろうか。……それとも。


「オーディナル様、ここでは私は普通の女性です。……そう接していただけますか?」


 オーディナルは考える。普通でない人達は、何かの拍子に一度は“普通”というものに憧れを抱いてしまうものなのだろうかと。ならば、これは通過点なのだろう。成長の過程で必要だった、それだけのこと。言い換えれば、一種の夢のようなものかもしれない。

 そう捉えると、以前からも接する度に微妙な変化を繰り返しているその口調に頬を緩めた。


 ──もう少し荒くてもいいかもしれない。


 そう思うが、確か少し前にはそうであったことを思い出す。なるほど、今回はそういう設定だということだろうか。


「困りましたね、エレノア様。私はすでにそう接しているつもりでいるのですが……おや、何か気になる点でも?」


 彼女の口が不満そうに尖るのを見て、オーディナルはそこで一度話を区切った。


「エレノア、とお呼びください」

「それはなりません」

「エ・レ・ノ・ア」


 今度はにっこりと笑いながら、ゆっくり、はっきりと自分の名前を発声する。

 いつからこんなに押しが強くなってきたのだろうか。自我が芽生えるにしても少々強引な点を感じざるを得ないものだが。


 ──いつから?


「……ククル、出てきなさい」


 そんなことはわかりきっている。彼女の警護が代わってからだ。そして、その警護がここに来ていない訳がない。


「くぅぅ! もう少しだったのに!」


 一体どこに隠れていたのだろうか。開き直りも甚だしく憤慨するその姿に、怒りを通り越してオーディナルは呆れてしまった。


「ククル、何がもう少しだと?」


 しれっと現れ、エレノアの隣に腰を下ろしているククルに冷たい視線を送る。


「わかっているくせに。奥手な君には少しばかり刺激が強すぎると思ってはいたんだが、案の定だ。……君はそれでも本当に男か?」


 オーディナルは黙ってエレノアへ目を移す。


「うふふふ」


 彼女は片目を閉じて、悪戯っぽく笑っている。オーディナルは静かに目を伏せるように下を向いた。

 無邪気で楽しそうな姿が、人知れず彼の心に痛みを与えていたのだ。


「では、お迎えも来たことです。入口までお送りしましょう」


 オーディナルは立ち上がると二人に付いてくるように合図をする。


「仕方ないわね。オーディナル様はご機嫌斜めのようですので、今日のところは撤収しましょう。いいわね? エレノア様」


 ククルがわざとらしく肩を竦めると、エレノアが続くようにくすくすと笑った。まるで、乙女のようだ。


 ──一国の王女様がお忍びとは、この国は如何なものか。

 

 賑やかな二人が帰り、静かになった部屋では、オーディナルが一人、指でカップのひびをなぞるように這わせては憂いでいた。

 縁に施されている小洒落た装飾が、触れた部分によく馴染む。


 ──今日も戦場にいるのだろうか。


 弟とは、年々連絡の頻度が少なくなっている。昔は彼のスケジュールまでも把握していたものだが、今では、どこにいるのかすらも知らずにいる。

 手元に置いておきたい気持ちが裏目に出て、彼の反発を招いてしまったのかもしれない。


 ──一度、ゆっくりとお茶でも飲み交わしたいものだ。


 割れたカップを机に戻すと立ち上がり、窓へと向かう。そして、反射する自身の姿に闇夜の訪れを予感した。


 夜が怖い。目を閉じるのが怖い。誰も信じないだろうが、これは本当のことだ。

 そのことは特に隠したいわけではない。むしろ、たまに話してみたりもするのだが、単に信じる者がいないので噂にもならない。


 龍が怖い。鬼が怖い。自分は一体誰の、何の夢を覗いているのだろう。


 オーディナルは目を閉じた。


 ──伝承への回帰。そういえば、あの人も誰かの夢を見るのだろうか。

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