二十. 来訪者

 背中には翼が生えていた。


 少なくとも自分の感覚としてはそうだった。

 体はとても軽く、駆け出せばどこへでも飛んで行けそうな気がして心が弾んだ。


 右手には父から託された龍の剣、左手には恋人の祈りが込められた鱗の盾、そして背には村の皆からの期待の翼があり、すぐ隣を見れば相棒であるジルフィルドの姿がある。


「行こうジル!」


 胸踊る大冒険は始まったばかりなのだ。

 これから仲間を探し、花の都グィネブルへと向かう旅路には様々な困難が待っているだろう。けれど、何も心配いらない。自分は一人ではないのだから。


 ◇


 ゼフィーはゆっくりと目を開けた。

 夜空は星で溢れており、寝転びながら見上げていると、まるで宙に浮かんでいるかのような気分になる。

 すぐに動く気にはならなかった。


「フィアッカさん……?」


 微かに人の気配を感じ、もしかしたら、彼が追いついて自分を介抱してくれたのではないだろうかと胸の奥の方が熱くなった。


 ──そうに決まっている。


 ほんの少しの安心感からもう一度目を閉じてみる。どんな夢を見ていたのだったか。


 内容は覚えていないものの、それはとても長く、そして、とても悲しいものであった気がした。──例えるなら、大切な人にもう二度と会えないような……。


「気が付いたか?」


 声と共に、見知らぬ男性が覗き込んでくる。


 ゼフィーは驚いて飛び起きると、すぐに武器を探す。ところが、身に付けていた武器の類いは全て外されているようで、その手は空を切るばかりで焦りが吹き出すように声として表へ出る。


「誰だ!」

「おいおい、寝ぼけてるのか?」


 その男はそう言いながら、湯気の立った器をゼフィーへと差し出す。ゼフィーはとっさに避けるように身を屈めて手で顔を覆った。


「言いたいことはあるだろうが、まずは飲めよ。結構好評だったんだぞ? このスープは」


 差し出されるがままにゼフィーもそれを反射的に受け取ってしまう。手に触れる温かみに、それは不思議と悪いものではないのだろうと感じたところで、ようやく冷静に相手を見ることができた。


「……ありがと」

「気にするな」


 アツッ、などと言いながら、フリットは手にしたスープをすすり始める。

 まるで少年のようなその様子がやたらと可笑しくて、ついゼフィーの口元にも笑みが生まれ、緊張が和らいだ。


「ねぇ、私の他に誰か通らなかった?」


 ゼフィーは一度深呼吸をして呼吸を整えると、ほんの少しの期待を込めて質問する。


「いや……悪いな。俺が来たときからは誰も通っていないはずだ」

「そう……だよね」


 がっかりとしたのを感じたのだろう。フリットは複雑な表情で口を開く。


「ダンガルフの方向へ倒れていたな? お前は兵士ってことでいいな?」

「ゼフィー。名前で呼んでくれて構わないよ」

「ああ。ゼフィー、お前は兵士ってことでいいな?」

「その前に名前くらい教えてよ」

「悪かった。俺はフリットだ」


 時折スープの熱に顔をしかめているが、演技ではなく素の反応なのかもしれない。


「そうだよ。私はダンガルフ砦から偵察に来てたんだ」

「ダンガルフのほうからか。その様子じゃ見つかりでもしたってとこか」


 フリットの問い掛けに、ゼフィーは唇を噛んで俯いた。

 無言を肯定だと受け取ったのだろう。フリットは一度視線を外すとそれ以上聞くこともなく手元のスープを覗き込んだ。


「まぁいいじゃないか。命があるんだ、まだ最悪ってわけじゃない」


 フリットが話す度に、ゼフィーの気持ちは暗く重くなり、自然と涙が滲むような感覚が涌き出てくる。


「……最悪だよ。一緒にいた先輩が……先輩が私を庇ってグランバリーで捕まっちゃったんだよう。……どうしよう。ねぇ! どうしたらいいの?」


 一度溢れだすと感情の波は止まらない。ぶつけることで楽になるなら、いっそ彼にぶつけてしまおうかと思ったとき、思わぬ言葉が返ってきた。


「そうか。なら飲めよ。まずは元気を出さきゃいけないよな」


「……え?」


 予想だにしない返答に思わず聞き返してしまう。


「もう一度だ」

「え?」

「グランバリーに行くんだろ? 連れ戻すぞ」

「え……」


 何故かその言葉を聞いたとたんに、みるみると彼の姿はぼやけていった。


 ──もしかして……泣いているの?


 ゼフィーは何故自分が泣いているのかわからずにそれを拭った。


 ◇


 朝方のまだ暗いうちから兵士たちが慌ただしく動き回り、ラザニーでは沢山の足音が響いている。一応は目立たないようにはしているものの、異様な雰囲気がはっきりと醸し出されており、否が応でも注目を集めてしまっているようだった。


 そもそも朝早くから動いている街だけあり、騒ぎが起これば多少早い時間であれ、自然と人が集まって来る。もっとも、昨日の騒動の後ということもあり、そうでなくとも気にしている人々が多かったのも事実である。


 街の中心からは少し離れ、普段はあまり人気のない場所であるにも拘わらず沢山の人が集まっているのは、それに気が付いた住人や旅人たちが何があったのだろうと噂を広め、更なる人を呼んでいるからに他ならない。

 つまり、大騒ぎになるのは時間の問題だった。


 して、その人々が何を見ているのかといけば、兵士たちにより隠されているその先である。そう、人々の視線は、大きく抉れるように削れてしまっている大地に向けられているのであった。


「ラウンデル様、これはどうみるべきでしょうか?」


 そんな状況を尻目に、兵士たちは眼帯を付けた男にしきりに報告や疑問を投げかけている。


「どうもこうもないですな。幸いにも人目に付かぬ場所での争いに移行したのは運が良かったというべきですかな」


 ラウンデルは目を細めて独りごちた。


「それでも騒ぎになっていた分、追い掛けて来た輩も多少なりともいたようですが……」


 当初は大勢いた野次馬であったが、危険があるとわかるとその大半が姿を消した。しかし、それでも、遠巻きに追って来た者は多少なりとも存在する。


「龍に鬼、……それに何ですかな。そうそう、魔法使いですか。全く、一度に伝承を相手にするのも困ったものですな。少しはこちらの都合も考えて頂きたい」

「あの乱入して来た……あの、“鬼”とは何者なのでしょう?」


 部下の問いに、ラウンデルは大地の傷跡をなぞるように空を指で辿った。


「伝承返りかと思いましたが、恐らくは“来訪者”でしょうな。流石というべきか、当然ともいうべきか。我らがマーキュリアスでもあれほど覚醒している者などはおりませんな」

「その……ユーゲンフットやあの村の……でも、でしょうか?」


 尚も、少し気まずそうに問い掛ける部下の口をその指で制止すると、ラウンデルは天を仰ぐ。


「大きな声ではいけませんな。それにあの龍娘と鬼娘、おそらくは二人共がそれでしょう。……全く、よそ者には困ったものですな。些か面倒である」

「来訪者……魔法使いなんているんですかね? 私は俄に信じられませんが」


 そんな部下の言葉に、ラウンデルは細い目をさらに細くする。


「フィオナ様が夢見されたと聞いている。まず間違いありませんな。慎んだほうが良い」

「申し訳ありません。しかし、私は恐ろしいのです」


 そう言うと、兵士はおずおずとした様子でラウンデルから目を逸らした。


「……我々は、あんな相手に太刀打ちできるのでしょうか?」


 その言葉にラウンデルは目を閉じた。


「戦う必要があれば、ですな。そういう意味では急ぎすぎたかもしれませんな。少なくとも既に龍娘のほうは我らに敵対心を持ってしまったと見るべきである」


 ラウンデルの言葉に皆が一斉に唾を飲む。


「ただ問題は、旅人にも龍と鬼の存在を知られてしまいましたな。広まるのも最早時間の問題ですな。上にはなんと報告をすればいいのやら」


 それだけ言いきると、ラウンデルは果実のジュースに手を伸ばしそれを一息に飲み干した。特産であるそれは、瞬時に渇いた喉に癒しの潤いを与えてくれる。

 苦い言葉を吐いた喉にも多少なりとも効けば儲けものである。


「ラウンデル様、砦のほうは大丈夫でしょうか?」

「そちらの心配はいりませんな。イルヴァルトとフレヴァニールがいる。彼らを倒せる者などそうはいませんからな」

「なるほど。そういうことでしたか」

「存外、今頃は釣られて出てきたクラレッタでも捕らえているかもしれませんな」


 ラウンデルは目を細めると、今度は楽しそうにほくそ笑む。

 口から漂う甘い香りは、この場に似合わぬほど爽やかだった。


 ◇


「えっ! フリットを行かせちゃったの?」


 周囲も少しずつ暗くなってきた頃、エステルの声が大きく鳴り響く。


「んー。大丈夫。気が済んだら帰ってくるよ」


 それに対し、ナツノはなるべくエステルとは目を合わさないように答えている。


「ほんとに思ってる? あーもう! 任せるんじゃなかったよう」

「大丈夫だよ。やることがあるんだよ。きっと」

「ないよ! いじけてどこかに行っただけよ!」


 こうなるだろうな、と思っていただけにナツノはエステルを直視することができず、ただ空に浮かんだ丸い月を眺めていた。


 ──何だろう? この落ち着かない感覚は……


 そう思った時、魔法樹の付近に急激に魔力が集中し始める。明らかに魔法による干渉の気配だった。


 それは以前にエルマが転移魔法を使った時の感じに似ており、ナツノは瞬時に理解する。──これは、まずい、と。


「エステル、離れようか。きっと誰かが来るよ」

「え?」


 エステルが疑問を口にする間もなく、その場には血にまみれた“何か”が現れ、そして咆哮していた。


「ちぃぃぃぃ! エルマァ! 余計なことを!」


 地の底まで響き渡るような荒々しい怒声を発しながら、まるで大地を穿つかのように血に染まったその拳を激しく地面に叩きつけ、尚も吼える。


「お、鬼ぃ?」


 驚いたエステルが隠れるようにナツノの後ろに回り込む。


「……もしかして、君はこの前の……?」


 ナツノの問い掛けに気が付いたのか、その生物はゆっくりと探るように、ナツノへと顔を向けた。


「お前か。……あれは、仲間だな?」

「仲間? ……トウカか! トウカに会ったのか!」

「ああ! とびきりの龍を見つけたよ。お前も龍なら続きをやってもいい」

「龍? あいにく僕は何も知らない。それに僕は龍にはなれない」


 ナツノが答えると、メアリードの気配に一際荒々しさを増す。


 ──トウカ?

 

 彼の後ろで、小さくエステルが何かを呟いた。しかし、ナツノはそれに気が付かない。


「お前は嘘つきだ。信じられないな」

「僕が嘘つき?」

「そうだ。それに隠し事が好きなんだろう? 今は言えない、聞かれなかったから答えなかった。一つ隠すと二も三も伏せる。手の内は明かさない。そんな魔法使いがお前だ、そして、お前の師もそうだ。お前もそう思っていたんじゃないか?」

「え……」


 早口に捲し立てるメアリードの目は、ナツノではなく、いつしかエステルのほうへと向けられていた。


 そのエステルの表情はナツノからは見ることができなかったが、小さな震えと共に、こぼれるような吐息が彼の背中に当たる。それが彼女の答えなのだというのだろうか。


「確かめてやろう。ただし、今度は手の内は見せてもらうぞ」


 異様な雰囲気がほとばしり、その場を緊張が支配する。


「守ってみろ! その娘を! お前の全力でだ!」

「エステル、逃げるよ!」

「え……」


 ──足が動かなかった。


「風の精よ!」


 ──砂塵により、視界が少し悪くなる。


「エステル?」


 ──やはり、足は動かなかった。


 ここに留まれば、彼のことがわかるのだろうか。

 そんな事ばかりが頭の中に浮かび、彼女の心から離れなかったのだ。

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